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悪役令嬢、王国の決算を監査します。—婚約破棄より重いのは赤字ですわ  作者: 妙原奇天


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第3話 公開決算、扇は数字より軽い

 王城の大広間は、朝の光で磨かれていた。高窓から差す帯が床の石目をなぞり、柱の金箔を穏やかに温める。

 玉座の脇に長机。背後には王家の旗。机の上には私の帳簿と白金の算棒、そして王家公印。

 告知の通り、今日は公開決算。

 貴族列には絹の音、市井の傍聴席には麻の音。音の目録を作れば、それもきっと経済統計の一部になる。


「開廷」

 宣告役の声が天蓋を震わせ、ユリウスが立つ。

 騎士団長、兵站局長、小麦連合の代表。さらに、エステル商会の副支配人が列の端にいた。舞踏会で舌先を痺れさせた伯爵は、今日も扇の陰で目を細めている。


「本日の議題はふたつ」

 ユリウスは簡潔に告げる。「一、偽印章石事件の連結。二、小麦連合の談合。

 証人、前へ」


 最初の証人は、兵站局補助吏員――ハルト。

 彼は緊張に喉仏を跳ねさせながらも、昨日より背が伸びて見えた。帳簿の前に進むと、胸へ手を当てて深く礼をする。


「印章石の持ち出しは、保管責任者と副支配人ルフェイの指示でした。印の鋳型は、港の石工ルーウェンが作りました。

 私は……家の借金を理由に、応じました」


 会場がざわめく。私は算棒で欄を開き、関与層に名前を連結させる。

 ハルトの名は薄紅へ。保管責任者は赤。石工は薄紅へ、そしてルフェイの名に深紅が点つ。


 副支配人ルフェイは微笑を崩さなかった。顎をわずかに上げる、その角度が「勝ったつもりの者」の角度に近い。


「根拠は」

 ルフェイの声は柔らかい。

「彼は補助吏員。上の者の名を出せば、自分の罪が軽くなると考えたのでしょう」


「では、紙を」

 私は静かに答え、ミナが抱えていた細長い箱を開ける。

 石粉が詰まった薄袋、港の潮で湿った麻紐、そして焼け残った鋳型片。

 契約魔法の紋が灯り、白が瞬き、偽物の輪郭だけが淡く浮く。


「これらの由来は?」

「港の工房です」

 騎士団長が一歩出る。「工房で押収。職人が自白した」


「加えて」

 私は帳簿の石目欄に光を通す。

 印章の押印に使う石の微細な模様――石目は、石の出自を教える。

 昨日、倉で見つけた受領印の一部は、王城の印と微妙に目が違う。契約魔法はその差分を拡大し、指先ほどの模様が屏風大に可視化された。


「王城の石目は山脈の筋。押収品は海岸の筋」

 私は指で筋をなぞる。「王城の印が、港に通っています」


 副支配人の扇がかちりと音を立てる。

 扇は軽い。数字は重い。

 重さの対比は、だいたいの場合、真実の傾きと一致する。


「物証が不完全だ」

 ルフェイは笑む。「印は移動し得る。私が命じた証拠はどこにも――」


「移動の履歴があります」

 私が口を挟む。「印章石を運ぶ木箱の底に、砂が残っていました。王城の砂ではありません。港の砂です。潮の塩分が、箱の金具を鈍色に変える。

 箱内側の金具は鈍色。外側は金色のまま。外で潮を浴び、内で乾いた。

 ――あなたが命じましたか?」


 ルフェイは少しだけ沈黙し、次に扇を広げた。「推測だ」


「ならば、契約で」

 ユリウスが静かに言う。「王城は、被疑者の自発的宣誓を受ける。契約魔法の前で『関与なし』と署名すれば、深紅は解除される」


 場が、さらに静かになった。

 契約魔法の宣誓は、嘘を罰する。

 ルフェイは扇の骨を見つめ、やがて、扇を畳んだ。


「宣誓しよう」

 彼は一歩進み、羽根ペンを取った。

 その瞬間――

 私は算棒で帳の端を軽く叩いた。音は鈴のように小さい。だが、魔法は音に敏感だ。


「宣誓の前に、追加の一問」

 私は穏やかに口を開く。「あなたが王都の給金日を動かした記録があります。満月の前日に前倒しし、翌週に戻す。何のために?」


 ルフェイの目がわずかに泳ぐ。

 市井席のパン職人が前のめりになる。

 給金日が動けば、購買量が変わる。満月前に賃金が支払われれば、その晩のパンの需要は跳ねる。

 需要が増えれば、価格は上がる。談合があれば、さらに上げられる。


「……王都の活気のためだ」

「活気は粉飾で作れません」

 私は帳に数字の波形を描き出す。給金日の移動とパン需要、納入台数、納入単価。三つの線が満月前に同じ方向へ跳ね上がる。

 さらに、港の出荷記録から外貨の流出が同じ週に増える。

 王都で膨らませた価格差は、海の向こうで逆ざやに化ける。


 副支配人の指が、羽根ペンの軸で滑った。インクがわずかに零れる。

 宣誓の紙に落ちる黒点――魔法の紋に触れ、赤が滲む。


「……宣誓はやめる」

 彼は扇を握りしめた。「顧問弁士を呼ぶ」


「顧問弁士は数字を喋りません」

 私は微笑む。「今日は数字の声が主役です」


 ユリウスが頷き、騎士団長が一歩。副支配人の名が深紅に固定される。

 扇は、数字より軽い。

 軽いものは、重いものに従う。


     ◇


「第二議題」

 ユリウスが告げる。「小麦連合の談合」


 壇上へ呼ばれたのは、小麦連合の代表、恰幅のいい商人――ブラント。

 彼は恭しく礼をし、にこやかな笑顔で始めた。「王都の安定供給のためには、適切な価格の調整が必要でして――」


「調整とは、『談合』の婉曲表現でしょうか」

 私が問う。「あなたが支払った“調整費”の帳簿がこちらに」

 ミナが差し出す薄帳。表紙には上品に「交際」。

 私はページをめくり、交際費の対価として支払われた“情報料”を指す。「この“情報”の提供者は王都兵站局。

 給金日の変更予定、納入ルートの塞がる日、城下の祭礼の日時――あなたは『供給不安』を先回りして作った」


 ブラントは笑顔を保つ。「適正なリスク管理です」


「では、適正を数字で」

 私は石臼の粉を少量、水と混ぜ、台の上で丸める。

 パン職人カールが前に出る。「粉の質は舌が知ってる」

 彼は薄く伸ばし、指でちぎった。「混ぜ物が増えた粉は、裂け方が違う。線がざらつく」


 私は帳の横にその切り口を置く。契約魔法は物理の徴候も記録する。

 過去三ヶ月の品質検査――王都監視局の記録は省略されていたが、市井の記録から復元した粉の裂け線が並ぶ。

 裂け線は満月前に、砂の目を混ぜたようなざらつきへ変わっている。


「量を水増しした粉で価格を上げた」

 私は言う。「その二重取りの差益はどこへ?」


 私は算棒の先で、王都の外へ伸びる線を示した。

 港の船積記録、貨幣鋳造所の外貨受け払い、そしてエステル商会の口座へ。

 線が合流する地点に、金色の点が灯る。

 契約魔法は連結が好きだ。数字は繋がると、よりよく喋る。


「証拠として十分だろう」

 ユリウスが低く言い、ブラントを見る。「代表。

 談合と品質偽装を、王家立会いのもとで是正するか。あるいは、市場からの退場を選ぶか」


 ブラントは、笑顔を保てなくなった。

 扇は持っていない。代わりにハンカチで額を押さえる。


「……是正を」

「条件を提示します」

 私は指を折る。「

 一、公開入札へ即時移行。

 二、品質試験を市井立会いで実施。

 三、談合差益の返還を薄紅で割賦。

 四、兵站局との“交際費”は、贈賄として計上し直す」


 ブラントの喉が鳴る。

「返しきれない額になる……」

「大丈夫」

 私は静かに言う。「薄紅は、返せる速度で返すための色です。

 あなたが逃げないことの宣誓を――今」


 彼は両手を開き、宣誓の紙に署名した。

 魔法の紋が薄紅で鳴る。

 市井席から、小さな拍手。

 ざまぁもいいけれど、直す拍手は長く続く。


     ◇


 副支配人ルフェイは、終始、扇を握りしめていた。

 王家の衛士が近づき、彼の脇に立つ。

「連行する」

 騎士団長が言い、視線で私に問う。

「深紅は、救済の外」

 私は頷く。「けれど、証言は価値です。価値には対価を。

 彼の証言で救える赤があるなら、その分の評価は後で計上しましょう」


 ルフェイの目がわずかに揺れた。

 彼は俯き、扇を音もなく落とした。

 扇は床で軽い音を出し、止まった。

 軽さは、ここで終わる。


     ◇


 決算の締めに、ユリウスが立つ。

「本日の公開決算、ここまで。

 ――王家は、監査官レティシア・アルマダの提案する再建計画の第一段を承認する。

 市井は、監査の立会い者として、明日もどうか来てほしい」


 大広間に、ためらいがちな拍手が広がる。

 私は帳簿を閉じ、銀の栞を挟んだ。

 王太子は終始、沈黙していた。立ち去り際、こちらへ向けられた視線には、怒りよりも戸惑いが混ざっていた。

 怒りは費用。戸惑いは仕訳前。どちらも、次の勘定に使える。


 退出の列。

 ミナが小声で囁く。「お嬢様、手が冷たい」

「緊張は流動資産。すぐに消える。その代わり、信頼は固定資産。今日、少し増えたわ」


 ユリウスが歩を合わせた。「よくやった」

「作業です」

「作業が王国を救う。英雄譚より地味だが、長く効く」

「地味なものは、たいてい耐用年数が長いのです」


 彼はふっと笑った。「君の比喩帳簿、いつか見たい」

「貸借は常に均衡してますわ」

「だといい」

 言葉は軽く、視線は真剣だった。軽さと重さの配分が、彼は上手い。


     ◇


 その夜、私は短い近況を書いた。

 ――今日の“監査メモ”は三行。

 一、扇は数字より軽い。

 二、薄紅は、返すための赤。

 三、連結は、嘘の逃げ道を塞ぐ。

 それを窓辺に置き、星を数える。一、二、三、四。

 拍は、まだ正しく刻めている。


 窓の下、王都の通りから、パンを焼く匂いが昇ってきた。

 明日の朝は、市場に出る。

 価格は物語だ。

 市場は、最初の読者だ。


     ◇


監査メモ/#03「公開決算、扇は数字より軽い」


・偽印章事件は石目と砂で立証。印は動くが、痕跡は動かない。

・談合は「給金日の前倒し」「品質の裂け線」「外貨流出」の三点連結で可視化。

・**薄紅(償い可能)と深紅(救済外)**の線引きを公開の場で運用。

・数字は重い。扇は軽い。軽いものは重いものに従う。

・次回、市場監査:「朝の一斤は誰のもの?」


(つづく/次回「朝市の価格は嘘をつかない」)

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