第15話 虹の決算、王国は二度目の始業ベル
朝の王都は、音で目覚めた。
一、二、三、四――鐘の拍が街路を走り、工房の屋根と市場の天幕と学校の窓硝子を同時に震わせる。
掲示台の水晶板には、七色の帯が一本の白金の線に束ねられ、上段に小さく**「始業」**と灯った。
決算は終わりではなかった。始業は、決算から生まれる。
「本日、新布告を発する」
ユリウスの声が澄む。王妃は扇を膝に、王太子は正面に立つ。
私は白金の算棒を机に置き、深く息を吸った。
「――『虹の布告』
王立試金箱(白金)/青清算(青)/緑決算(緑)/赤の焼戻し(赤)/黒の工程(黒)/金の眠り(金)/紫の手続(紫)
以上七帯を総勘定元帳に恒常連結し、市井立会いで運用する。
三者割符:王家・監査・市井。
均衡終値は毎日、始業ベルで閉じ、始業ベルで開く」
広場の空気が、わずかに背筋を伸ばす。
儀式と実務が、同じ拍で歩き始める音だ。
◇
最初の始業は、白から。
内陸支店の白頁は、後記拘束の穴を市井二名立会いで埋め、立会印コストを公開で支払った。
白が費用になり、費用が恥になり、恥が自走する。
ミナが板に走り書きする。「白=自由の翻訳→費用」
黒は、川で晒してから舞台へ。
洗い張り屋の掲示には三・五・八の目安と、上塗り禁止の印。
王太子は再び八日の黒を頼み、掲示の前で短く言う。「急ぎは祈り、工程は約束」
人々の顔に、わずかな笑い。冗談ではない笑い。理解の笑いだ。
赤は、炉で言葉と一緒に鍛え直す。
鍛冶街の焼戻し時間の予算化は、今日から納入規格の表面に印刷される。
裏版は廃止、紙目は縦目に統一。
試し折りのきぃん/ぐうは、子どもたちの一分劇になった。
舞台の小剣がぐうと耐えると、広場の隅で老人が小さく泣いた。
今を守る剣は、泣き声まで戻す。
青は、呼吸の帯を少し太らせ、夜の窓をもう一つ。
王立銀行は淡青の小窓を二本にし、小声の処理を夜のうちに青化。
外商の五拍は港の緩衝桟橋に新設された**「五拍回廊」で四拍割付**。
礼(紫)が境目を守り、上限手数が拍差を整える。
呼吸は静かな技術だ。静かな技術が、恐慌の声をやわらげる。
緑は、仮橋の上で人と役割を結んだ。
林務長と渡し組合は青石当座で枝打ちと土留めを受け持ち、緑掲示柱の成長尺は、子どもたちの背比べの柱にもなった。
現象配当――木陰二度/土砂流出減/鳥の巣十――は、今日も道路費と医療費に薄紅を返す。
詩は約款で、約款は生活だ。
金は、土壺の中で小さく鳴った。
眠り利率が1.07に上がり、浅俵の往還率が二割改善。
回し俵の二重孔は二度押しを終えるたび、裂け線を誇らしげに増やす。
眠りは見えないが、裂け線は見える。見えるものは、伝わる。
紫は、礼を潤滑油の量に戻した。
二層孔の招待札は孔縁色票で偽装を弾き、席次の視界指数は背高椅子を倉に送った。
贈答は現象に翻訳され、一分劇が広場に増えた。
美しさは残った。見せびらかしは痩せた。
◇
総帳は動き出した。
ただ動くだけでは不足だ。学ぶ必要がある。
そこで私は最後の仕掛けを取り出した。
「学ぶ帳」。
誤差を恥のままにせず、次回の標準に翻訳するための小さな副帳だ。
「学ぶ帳の項目は三つ。
一、遅延の翻訳――“遅れた”を“必要時間”に直して規格へ吸収。
二、善意の翻訳――“先回し”を“順番の変更”と書き、公開朗読で恥を薄紅へ。
三、恐怖の翻訳――“取り付け”を“拍差の可視化”に直し、青帯で呼吸に返す」
ユリウスが短く笑う。「翻訳こそ、君の鍛冶だな」
「言葉は焼戻し。制度は刃」
◇
そのとき、広場の端で五拍が止まった。
外商商館長がやって来て、帽子を取った。
今日は遅れていない。四拍の列に自分で合わせて立つ。
彼は短く言った。
「五拍回廊は、悪くない。速さは尊重された。
――君たちの四拍に、私たちの五拍を翻訳する窓がある」
「礼は翻訳機です」
「もう一つ頼む。学ぶ帳の外版を港にも」
私は頷いた。「公開なら」
敵と他者を分ける境界線が、少し後ろへ下がる。
その分だけ、道が長くなる。
長い道は、だいたい安い。
◇
正午前、王城前の広場に机が置かれた。
王立試金箱の鍵が三本。
王家、監査、市井(青い紐の子ども代表)。
三者が同時に鍵を回し、箱が開く。
中には銀貨の乱取り束、緑債の決算票、青清算の小冊、紫の孔見本。
私は小さな声で言った。
「顔は洗い続ける。木は数え続ける。呼吸は合わせ続ける。礼は節約し続ける。
――そして始業ベルは、毎朝鳴る」
王太子は一歩前へ出て、静かに頭を下げた。
「この王国の拍を、私は好きになる」
居心地の悪さはもうない。そこにあるのは、慣れ始めた責任だ。
王妃は扇でかさりと風を送り、広場に笑いじわをいくつも作った。
◇
夕刻が近づき、影が長くなる。
ヴァーレが紫のかごを肩に引っかけ、耳打ちする。
「早耳。匿名の羊皮紙の出どころ、わかった気がする」
「誰」
「単数じゃない。複数だ。港の書記、森の林務見習い、洗い張りの娘、鍛冶の老人、倉の小役人。
青い紐の子らが運び、サラが選別して、王妃が扇で送った。
“市井”の書簡」
私は笑って、胸の奥でちりと拍を取った。
――それなら、なおさら三者割符で正しい。
ミナが寄ってくる。「お嬢様、頬の薄紅、もう白になりかけです」
「減価償却が進んだのね」
「耐用年数、延長可」
ユリウスが横から小さく言い、視線で「担当だ」と続けた。
私は礼をし、扇を一度開いた。
軽さは、重さの隣で風を通す。
◇
日が傾く。
始業ベルの兄弟――終業の小鈴が一度だけ鳴る。
終業は、次の始業の予備拍だ。
私は水晶板の隅に、小さな欄を増やした。
「明日の予備拍」。
白:白頁ゼロ目標/黒:三・五・八の進捗/赤:戻し平均十五へ/青:拍差0.6→0.5へ/緑:木陰二度の測点追加/金:浅俵往還+一巡/紫:孔一致95%へ。
数字は欲張らない。一分(六十拍)ずつ進めば、王国は長持ちする。
サラが静かに近づく。「祝意の一分劇、用意できました」
舞台中央に三人。
子ども、職人、侍女。
子どもが拍を取り、職人が刃をぐうと耐え、侍女が扇で風を送る。
最後に三人で声を合わせた。
「白は海で、黒は川で、赤は火で。青は息で、緑は森で、金は土で、紫は礼で。
――そして国は、帳で歩く。」
拍手は大きくなかったが、揃っていた。
◇
夜。
宿の机で、私は最後の監査メモを書く。
白金の算棒でちりと鳴らし、一、二、三、四と刻む。
窓の外では、港の五拍が遠くで四拍に重なり、うねりではなく和音になっていた。
匿名の羊皮紙を開くと、今夜はなにも書かれていない。
白だ。
だがその白は、欠落ではない。
余白だ。
次に書く自由――費用ではなく、可能性。
私は栞を閉じ、静かに笑う。
講義は終わらない。
始業が、毎日あるから。
◇
監査メモ/#15(最終)「虹の決算、王国は二度目の始業ベル」
・虹の布告:白金(試金箱)/青(清算)/緑(決算)/赤(焼戻し)/黒(工程)/金(眠り)/紫(手続)を総帳に恒常連結、三者割符×市井立会い。
・五拍回廊で外商の速さを礼×上限手数で四拍へ翻訳割付。
・学ぶ帳:遅延→必要時間、善意→順番の変更(公開朗読)、恐怖→拍差の可視化へ翻訳し、次回標準に吸収。
・白=費用化/黒=工程時間の資産化/赤=戻し時間の標準原価化/青=拍差の資本コスト化/緑=現象配当の二重仕訳/金=眠り利率の評価換算/紫=礼の視界指数化。
・始業ベル=毎朝の均衡終値→開場。終業小鈴=予備拍の掲示。
・匿名書簡=市井の複数の手。講義=遊びの形式で継続。
・結句:国は帳で歩く。 “混ぜるなら焼戻しで”。速さと美しさは翻訳で並走させる。