第12話 備蓄の期、金は土で眠らせよ
朝、王都北の穀倉地帯に白い霧。
土の匂いは帳の匂いに似ている。乾きすぎれば割れ、湿りすぎれば黴る。
掲示台の水晶板に新しい帯を増やした。
――「眠り(リザーブ)の勘定」。
殻金=穀/貨金=貨幣。
どちらの金も、土で眠らせる。土は冷蔵庫であり、金庫であり、時々哲学者だ。
「お嬢様、倉の前で揉めています」
ミナが指差す先、共同穀倉の門で農夫と商人が口を尖らせている。
「回し俵が足りないんだ!」「市場が先だ!」
ユリウスは短く頷き、騎士団長が人垣を押し広げる。
私は扇の骨(王妃から預かっている“軽さ”)で風を作り、声を置いた。
「本日は備蓄の期。眠り方の仕訳を決めます。
一、土倉の同時刻印。
二、先入先出(FIFO)の公開札。
三、飢饉の勘定の目覚まし」
◇
まずは土倉。
地面に半身を沈めた丸い倉。厚い土壁に藁と石灰。
入口に二重封蝋。蝋の融点を色見本に照らす。
蜂蠟:橙白で軟化、獣脂混:柿で軟化。
封蝋は朱まで持つべきだ。
私は融点の低い封を白に、規格品を青に灯した。
「封、混ぜ物ですね」
ミナが鼻をひくつかせる。
「混ぜ物は火で剥がれます。赤の規格が眠りを守る」
扉が開く。冷たい穀の匂い。
木札が吊るされている。取り入れ日/区画/水分。
問題は――水分の欄が空白の札が混じること。
「空白は自由。自由は嘘の近縁」
私は札に湿度糸を通す。藍に染めた糸が青→薄青へ変わるまでの拍で含水率を読む。
一、二、三、四……七。
七。多い。
「――ここ、眠らせすぎ。呼吸穴が詰まってる」
穴に詰めた藁を抜くと、内部から澄の小さな音。
穀は生き物だ。息をさせないと、自分を食べる。
倉番は肩を落とした。「市場が騒ぐと、倉は閉めよって」
「閉めは恐怖の拍。開けは理性の拍」
私は先入先出(FIFO)の公開札を掲げる。
色は緑→黄→橙。
緑は眠り継続、黄は目覚まし、橙は出庫。
札の端に孔、同時刻印で寝起きを記録する。
◇
次に、飢饉の勘定。
広場に砂時計を三つ置き、上に板札。
空腹指数(Stomach)――粥の粒度、塩の薄さ、診療所の来訪。
畑指数(Field)――芽尺の色移り、葉の裂け線、虫の密度。
市場指数(Market)――一斤三線の乖離、値札の筆圧、黒石→青石の比。
三つの砂が同時に半分を超えたら、緊急放出。
二つなら薄紅放出(回し俵)。
一つなら見回り(情報の薄紅)。
「数字で腹は満たせない」
農夫の一人が唸る。
「数字は順番を作る」
私は粥の鍋を持つ女の列に青札を渡す。「先に薄いところから」
列が静かに動く。
静けさは、満腹の前奏だ。
◇
回し俵の再設計。
これまでの俵は重すぎ、盗まれやすく、記録が遅い。
私は浅俵を提案した。容量半分、二段縄、孔付き札。
孔は二つ。
出庫孔と返庫孔。
同時刻印は二度打ち。
孔の裂け線が二重になっていれば、往還済。
片側だけなら、滞留。
滞留は飢饉の親戚だ。
「返す穀はどこから」
商人が腕を組む。
「緑債の現象配当から。――木陰で冷えた氷代の減、土砂流出減の道路費、鳥の巣による害虫減の農薬費。
減った費用を薄紅に積み、穀の眠りへ金で返す」
ユリウスが板の角を押さえ、短く言う。「三重配当、ここでも効く」
◇
昼、公開開倉。
橙札の区画から浅俵を二十。
回し俵の行き先は三層。
一層:産婦と病者。
二層:乳幼児のいる家。
三層:働き手が出払った家。
層は青札で上書きできる。市井の証言と医療宿の印。
証言は嘘の親戚にもなるが、公開の前では恥に敏感だ。
列が動き出すとき、倉の影で五拍の靴音。
外商だ。
彼は乾乾穀の札を見せ、「直買いを」と笑顔。
乾乾は眠りすぎずに乾いた上物。
市場が煮えたぎる前に掬い、外で金色に変える目論見。
「外への売りは、青の窓で」
私は為替窓に案内し、同時刻印を押す。
条件は三つ。
一、回し俵が戻るまで二分保留。
二、飢饉指数が薄紅なら一分上納。
三、五拍は四拍へ割付。
彼は眉を動かさず、五拍の束を青にくぐらせた。
礼儀は硬い革でも滑る。
数字は、礼儀が好きだ。
◇
午後、土の銀行。
内陸支店の裏庭に、土の部屋を造る。
床は踏み固め、壁に藁+石灰、天井に笹。
中に土壺。
金貨を入れる壺と、穀を入れる壺。
壺の口に同時刻印、底に澄/翳の音輪。
金は土で冷える。穀は土で呼吸する。
眠りは利息を産む。ただし、遅い。遅い利息は、嘘を嫌う。
「土の利息って、どう数える」
倉番が眉を寄せる。
「目減り率と虫穴率の逆数です。眠りの質が利率。
今日の眠りは、明日の安堵」
ミナがくすりと笑う。「詩です」
「約款です」
◇
市場の目覚ましも要る。
広場に朝の鐘とは別の穀鐘を吊るし、三打刻。
一打:黄札が全体の三割を超えた。
二打:空腹指数が薄紅。
三打:三砂同時半分――緊急放出。
鐘は制度のアラームであり、恥の鈴でもある。
鐘の調整をしていると、ヴァーレが紫のかごを揺らして近づく。
「早耳。内陸支店の小役人、黄札を橙に塗り足していた。“善意の先回し”だって」
「先回しは粉飾の表兄弟」
私は塗り跡の筆圧を水晶板に出す。
黄の上に橙は、縁が濃い。
橙の下に黄なら、縁は淡い。
塗り足しは濃い。
小役人は肩をすくめて言う。「人が並ぶと、善意が急ぐんだ」
「善意に拍を」
私は善意の薄紅を設けた。塗り足した者は公の場で理由を朗読し、次回一巡、黄を先に並べる。
恥は自走力。制度はそれを導線にする。
◇
夕刻、飢饉の勘定の初回決算。
空腹指数:薄紅/畑指数:青寄り/市場指数:薄紅。
二砂だ。
――薄紅放出(回し俵)を継続、外商売り一分上納。
掲示台には眠り帯が流れ、緑/黄/橙が拍に合わせて揺れる。
王太子が帯を見上げ、ぽつりとこぼした。
「眠らせるのは、勇気が要るな」
「はい。今を削って、明日を守る。
剣が今を、帳がこれからを守るなら、眠りはその間を繋ぐ」
彼は小さく笑い、浅俵を肩に載せた子どもに銀貨を渡した。「運搬賃だ」
◇
そのとき、倉の外で鈍い地鳴り。
地平の向こうから砂塵。
外商の荷隊がもう一列、五拍で接近。
隊列の端に金色の布。
ヴァーレが歯を見せた。「金布。……干し粥だ」
干し粥の板――非常食。
非常食は善意であり、時に価格破壊の道具でもある。
「金は土で眠らせよ」
私は小さく息を吐く。「非常食は土の窓で」
土の銀行に粥板窓を増やす。
条件:
一、壺に粥板の水復元率を記録。
二、壺の澄/翳が青なら開放、薄紅なら配給のみ**。
三、五拍は四拍へ割付。
彼らは無表情のまま、金色の板を土の青へ沈めた。
眠りは、派手ではないが、背骨になる。
◇
夜、内陸の宿。
机に匿名の羊皮紙。
今日の土壺の蓋をそっと載せると、紙がちりと鳴った。
新しい一行。
――「金は土で眠らせよ」
その下に、さらに小さな続き。
「紫は礼で整えよ」
紫。
儀礼/法/手続。
礼は摩擦を減らす潤滑油で、免罪符ではない。
「礼の監査、来ますね」
ミナが湯を置き、私の頬の薄紅の跡を指先でなぞる。
「礼が乱れると、薄紅が深紅になります」
ユリウスが窓を閉めながら言う。「王家儀礼局、明日呼ぶ」
私は銀の栞を挟み、拍を取る。一、二、三、四。
眠りは浅く、制度の夢は長い。
明日は紫――手続の拍と礼の費用だ。
◇
監査メモ/#12「備蓄の期、金は土で眠らせよ」
・土倉:封蝋の融点規格+湿度糸で眠りの質を可視化。閉めは恐怖、開けは理性。
・FIFO公開札(緑/黄/橙)+同時刻印で寝起きを記録。塗り足しは縁の濃さで看破→善意の薄紅で矯正。
・飢饉の勘定(砂時計三本):空腹/畑/市場の三指数。二砂=薄紅放出、三砂=緊急放出。
・回し俵の浅型化:二重孔×二度押しで往還を可視化。滞留は飢饉の親戚として監視。
・土の銀行:金貨壺/穀壺に澄/翳の音輪。眠りの利率=目減り率・虫穴率の逆数。
・非常食(干し粥)は土の窓で処理。復元率・拍差割付・配給条件を公開。
・外商五拍は青の窓へ:一分上納/二分保留/四拍割付で外の急ぎを内の拍へ。
・次回:紫は礼で整えよ――儀礼/法/手続の監査。儀礼費の焼戻し、招待状の拍、礼の薄紅。