第11話 緑の勘定、橋は芽から架かる
匿名の羊皮紙に残された最後の色――緑。
朝、掲示台の水晶板に新しい帯を一本足した。
「緑の勘定」。
**種/苗/梢**の三段。
支出に見えるものを、成長の期で読み替える帳だ。減るのではなく、育つ。
「お嬢様、仮橋の入札、森の組合の代表がもう広場に」
ミナが肩で息をしながら走ってくる。
王都の外では、落橋のせいで荷の滞りが続いている。今日、仮橋の入札を公開でやる。木材は第二王妃領の森から。
ユリウスは短く頷き、騎士団長は人の流れを整える。ヴァーレは紫のかごを片手に、渡し守たちの列を横目で数えた。
「本日の主題は緑です」
私は声を置く。「費用で切った木を、資産として植え直す。
――伐採台帳と植栽台帳、両方を同時刻印で繋ぎます」
◇
入札は二段構え。
一段目は木材の供給。乾燥度、年輪幅、反り癖。
二段目は植え戻しの約束。本数、樹種、間伐計画、土留め。
最安のみを取らない。最長を取る。すなわち、耐用年数が一番長く見積もれる提案を。
「木は切れば終わり、じゃないのか」
渡し守の年寄りが腕を組む。
「終わりません。緑の勘定は成長スケジュール。今日の伐り口は芽で埋める」
私は森の組合に目を向ける。「苗木銀行の証憑を」
代表の女――額に布を巻いた林務長が、革袋から木札を出した。
木札には苗床番号と発芽日、樹種、生育帯。端には小さな孔。
「壺と同じ穴ですね」
ミナが目を輝かせる。
「はい。緑札も同時刻印で」
私は木札を水晶板に載せ、芽→苗→梢の色帯に結ぶ。
「――第一案。広葉樹混交、伐採一本につき苗三本、三年で一本間伐、六年で一本残し」
「第二案。針葉単純林、苗二本、間伐少なめ、成長早いが脆い」
掲示に耐風指数と保水指数を併記する。
早いは気持ちいい。が、長持ちとは限らない。
「第三案」
渡し守が手を挙げた。「渡し道の緑は俺たちが世話する。橋が架かれば客足は減る。なら、林の世話で稼ぐ」
私は頷く。「青石で。渡しの公開収支に緑手当を組み込む。枝下ろしと土留めはあなた方へ。
――橋と渡しを競合から連結へ」
ヴァーレが口笛をひとつ。「味を奪って役を残す。相変わらず」
「味は看板で。中身は透明で」
ユリウスが笑いを喉で噛み、短く言う。「第一案と第三案の合わせ技で行こう」
◇
落札の鐘。
林務長+渡し組合が落とした。
私はその場で緑の約定を読み上げる。
「一、伐採一本につき苗三本。緑札に時刻印。
二、間伐と土留めは渡し組合へ委託。報酬は青石で当座清算。
三、森の公開掲示板を設置――成長尺(年輪棒)、土の湿り(井桁指標)、鳥の巣(生態指標)。
四、緑債の発行――利払いは木陰と土砂流出減で現物・現象支払い。王家・監査・市井の三者割符」
「木陰で利払い?」
王太子が面白そうに眉を動かす。
「はい。現金だけが利息ではありません。夏の市場温度が二度下がれば、氷代・医療代の薄紅が減る。――減った費用が利払い」
彼は目を細めた。「地味で、好きだ」
◇
午後、穀倉地帯の支店へ。
問題の白い頁がある内陸の倉。
仮橋が立つまでの一週間をどう耐えるか。
私は緑の勘定で短期投資をひとつ提案した。
「種貸し」。
今すぐ種を青石で貸し、発芽を担保に返す。
返済は収穫の**「三・五・八」――三割は種戻し**、五割は市場へ、八割の日には村の備蓄を増やす。
「担保は芽か」
倉番が戸惑う。「芽は、数えられない」
「数えられます」
私は芽尺を取り出した。
木と同じく、畑にも成長尺を。
列の間隔、葉の枚数、茎の色。青→緑の遷移を色見本で標準化する。
ミナが笑う。「粉の裂け線の次は、葉の裂け線ですね」
「はい。数えるのはいのちの側に立つため」
そこへ、ヴァーレが早足でやってきた。
「早耳。仮橋の材に虫が混じってる。穴が円じゃない。扁だ」
林務長の瞳がすぐさま鋭くなる。「根切り虫だ。材の保管日が嘘なら混ざる」
私は材木札を晒す。保管日の紙目が斜目。
また裏版。
騎士団長が唸り、親指で川上を指す。「供給元を抑える」
「供給の穴は緑で塞ぐ」
私は樹皮粉を少量、水に溶いて材の穴に垂らした。匂いで虫を追い出す森のやり方。
「現場の知は早い。制度は追認すればいい」
王太子が頷く。「規格は、現場の背骨をまっすぐに見せる鏡だ」
◇
夕刻。仮橋の一杭目が打たれた。
杭の横に、小さな柱を一本。
頭には葉っぱ形の板。
緑掲示と刻んだ。
今日植えた苗の数、明日植える数、土留めの進捗、鳥の巣の位置。
公開は、森でも効く。
渡し守の若い衆が、青石を掲示の小箱に入れ、拇印を押した。
「俺たち、緑手当で食う」
「橋を嫌うんじゃなく、森で好きになる」
彼らは照れくさそうに笑い、縄を巻き直した。
競争から争いを取り、役割に置き換える。
味は残す。逃げ道は塞ぐ。
それでだいたい、争いは薄紅にできる。
◇
夜。王家の会議室。
地図の上に、緑の帯が三本流れる。
王都—森—内陸。
森—渡し—仮橋。
畑—倉—市場。
王妃が扇を膝に置き、静かに言う。
「緑債の文言、可愛いわ。『木陰配当』なんて、詩ね」
「詩は約款を覚えやすくします」
財務官僚が遠慮がちに手を挙げる。「現金の利払いは……」
「行います。ただし、現象配当を上乗せ。現金+涼しさ+土砂流出減。
――三重配当は、嘘が入り込む余白を小さくします」
ユリウスが紙端を整え、視線で合図を寄越す。
「緑勘定の監査は年二で。王立試金箱と同じ三者割符」
「承知」
私は白金の算棒でちりと机を叩き、拍を取る。一、二、三、四。
緑は遅い。遅いから、拍が必要だ。
◇
その夜更け。
森の外れ、緑掲示柱の前に影が立った。
柱の根元に油を垂らし、火打石に指を伸ばす。
ボッ、と小さな火。
かさり。
扇の音。
暗闇から扇が一枚飛び出し、火を叩き潰した。
第一王妃の侍女頭――サラが、冷たい目で影の手首を掴む。
「薄紅で済む火と、深紅になる火がある。
――今は薄紅だ。話を」
翌朝、サラは私の机に油壺を置いた。
蓋の裏に砂。港北の匂い。
外商五拍が、緑の帯にも指を伸ばしている。
私は掲示台の端に、「緑の遮断弁」を増やした。
拍差指数が赤の時、緑勘定は新規停止。
急ぎは、嘘の親戚。緑に急ぎは敵だ。
◇
王都の広場。
水晶板には新しい三枚の窓。
『森の決算』――苗の生存率、土の湿り、鳥の巣。
『畑の拍』――芽尺の色移り、種貸しの返済三・五・八。
『仮橋進捗』――杭の本数、渡しの青石、緑手当の支払い。
人だかり。
ブラントが腕を組む。「緑債、商人にも売るのか」
「売ります。ただし持ち合い禁止。森を持つ者は緑債を買えない。
――自分の影には、別の目」
彼は渋い顔で笑う。「味が減るね」
「味は看板で」
ヴァーレが肩で笑い、紫のかごを叩く。「早耳の続報。内陸支店の白い頁、埋めるのを嫌がる小役人が一人。**『緑は数字じゃない』**って」
「翻訳してあげましょう」
私は掲示の下に小さな表を貼った。
『緑の翻訳表』――
木陰二度=氷代〇〇ルク減、
土砂流出一割減=道路修繕費〇〇ルク減、
鳥の巣十=害虫駆除費〇〇ルク減。
緑は詩であり、経理だ。
◇
夕刻。仮橋の上に、最初の荷車。
軋みはぐうで、きぃんではない。
私は胸の奥で拍を数え、橋脚の足元に手を当てた。
拍が通っている。
渡し守が隣に立ち、汗を拭う。「悔しいが、橋は……いい」
「悔しさは費用です。役割に投資すると、回収できます」
彼は笑い、「木陰配当で昼寝するか」と言った。
ユリウスが橋の端でこちらを見ている。
彼は短く手を上げ、私に紙を渡す。
王家布告二枚目――
『緑債の発行』『森の決算』『緑の遮断弁』。
下段に私と彼の署名欄。
私は署名し、彼も署名する。
扇――王妃から預かった軽さの象徴――を、布告の角にそっと添えた。
軽いものは、重いものの側で風を通す。
◇
夜。宿で銀の栞を差し込み、匿名の羊皮紙をひらく。
白は海で洗え/黒は川で晒せ/赤は火で鍛えよ/青は息で支えよ/緑は森で育てよ
――その下に、また極小の追記。
「金は土で眠らせよ」
金。土。眠り。
備蓄。休むという技術。
私は静かに拍を取る。一、二、三、四。
明日は備蓄の期――穀倉の眠りと市場の目覚まし。
物語は派手に進まない。
焼戻しのように、育つ。
◇
監査メモ/#11「緑の勘定、橋は芽から架かる」
・緑勘定=種/苗/梢の三段で支出を成長に翻訳。伐採台帳×植栽台帳を同時刻印で連結。
・仮橋入札:最長(耐用年数)を採用。広葉混交×渡し組合の合わせ技→競合から役割連結へ。
・緑札(苗木銀行の木札)導入。森にも公開掲示:成長尺/土の湿り/鳥の巣=現象配当の指標。
・緑債=現金+現象の三重配当(木陰・土砂流出減)。持ち合い禁止で監査性を担保。
・内陸の種貸し(三・五・八返済)と芽尺で短期投資を可視化。
・虫入り材=裏版の混入→樹皮粉で応急・供給元を公開で抑え、緑の遮断弁(拍差赤で新規停止)を設置。
・渡し守を青石で林務へ組み込み、緑手当支払い。味は看板へ、中身は透明へ。
・次回:備蓄の期――金は土で眠らせよ:穀倉の眠り/市場の目覚まし/「飢饉の勘定」。




