第10話 王立銀行、息の拍——貸借の青と取り付けの黒
夜明け前、王都の石畳はまだ冷たく、見物人の影も短い。
掲示台の水晶板に、新しい細帯が一本、青で点いた。
――「息の拍」
一、吸(預け入れ)。
二、拍(清算)。
三、吐(貸し出し)。
四、間(準備)。
拍は国の呼吸。銀の顔は洗った。剣の今は鍛えた。次は息だ。
「お嬢様、板の前に人だかり……じゃなくて、行列です!」
ミナが青ざめて駆け寄る。
王立銀行本館の前、噴水の円弧に沿って、早起きの人々が取り付けの列を伸ばしていた。
噂は速い。外商五拍の話が、いつの間にか「銀が薄い」へ、さらには「明日にはお金が消える」に変換される。
不安は利息をつけて増殖する。
ユリウスが横に並ぶ。眉は険しいが、声は落ち着いている。
「公開監査の効能と副作用、両方だ。今朝、先に息を整えよう」
「はい。青は息の色。青帯を太らせます」
◇
王立銀行大広間。天井は高く、柱は白、床は石の市松。
私は正面カウンターに透明窓を立て、同時刻印の鐘を掛ける。
窓の向こうには三つの仕切り。
「吸」——預け入れ。
「吐」——貸し出し。
「間」——準備・清算。
仕切りの上に青い紐を渡し、子どもたちを板書手として配する。彼らは時刻と額と行(預金・貸出・準備)を写し、息の拍を見える形に変える。
「本日の規程を宣言します」
私は声を張る。
一、『呼吸規程』——吸:吐:間=3:2:1を目安。
二、『潮汐準備』——開店直後と正午前後は準備率を高める。
三、『青の窓』——再預金の意思表示は青札で、取り付けは黒札で分けて掲示。
四、『薄紅保険』——小口預金は一定額まで薄紅基金で即時支払い、利息を薄紅で積む。
五、『同時刻清算』——商人行・ギルド金庫との相互当座を毎時見える清算。
ざわめきが広場とともに揺れ、行列の拍がわずかに整う。
人は自分の息が見えると、呼吸が合う。
最初の黒札が窓口に落ちた。
髪に銀の糸を混ぜた老女。
「孫の薬代を、今日じゅうに」
私は頷き、薄紅保険の枠から即時支払い。翳の帯は立たず、澄が小さく鳴る。
次の黒札は若い男。手は荒れ、目は寝不足。
「昨夜、噂を聞いた。俺の一枚は、汗の匂いがする。消えるのは嫌だ」
「一枚は、残るのが普通です」
私は青札を示す。「半分を青に。半分を黒に。三日後、様子を見てまた決めましょう」
男は逡巡し、うなずいて青札に拇印を置いた。
青の拇印は、朝の帯を太らせる。息は、片方だけでは続かない。
王太子が列の端から見ていた。居心地の悪さはもう薄く、代わりに考え込む沈黙がある。
「講義の朝か」
「はい。呼吸の実技です」
彼は小さく笑い、財布から銀貨を一枚取り出して青札に重ねた。
「再預金。八日で」
八日。黒の話で出た三・五・八の拍が、ここでも息を合わせる。
◇
清算室。
市中の商人行が持ち込む受取手形と為替を、毎時、見える形で清算する。
壁には四枚の水晶板。
市中清算(四拍)、外商清算(五拍)、王城支出(特拍)、壺(慈善)。
板の下端に、呼気(吐)と吸気(吸)の矢印。
呼気が多すぎると青が薄まる。吸気が過ぎると、黒が太る。
拍は目で見ると、笑うほど素直だ。
「調達局からの緊急支出が予定にない」
ミナが板を指さす。特拍が合図なく点った。
武具調達局の裏版を思い出す。焼戻し省略可の脚注。
私はユリウスへ視線を送る。彼は短く頷き、使いを出す。「裏版は廃止通知を本日付で。支出は午下に回せ」
清算は拍の芸術だ。
いま、王都は四拍で息をしている。
そこへ外商の五拍が遅れて重なると、低音のうねりが出る。
うねりは、人の不安に似ている。
私は板の右隅に小さな帯を増やす。「拍差指数」。
数字が青なら許容、薄紅なら注意、赤は遮断。
「本日は薄紅。――外商の清算は窓を通します」
窓。
換金窓口での上限額と同時刻印の割符。五拍は五拍のまま、四拍に合わせる。
◇
昼前。
取り付けの列は短くなり、青札の束が増えた。
そのとき、銀行の裏門で小さな騒ぎ。
貸金屋の男が、黒石(三・五・八)を布袋に入れて、窓口の外で利率を囁いている。
「今日中に現金、明日から返済」
黒石は息の外の目印だ。
呼吸器を外すなら、まずは酸素量を上げてやるのが先。
「貸金屋さん」
私は外に出て、男に声を掛けた。「青の商売にしません?」
「青?」
「青石。――相互救済石。王立銀行と相互当座を結んで清算。
利率の上限は掲示。取り立ては薄紅の帯で。
黒石ならここで晒します。青石なら窓を通します」
男の目が細くなる。「青石にすると、俺の味がなくなる」
「味は看板で。利率の中身は透明で」
ヴァーレが紫のかごの影から笑う。「監査官、味を奪って名前を残す。やるわね」
「相互主義です。息は一人では続かない」
貸金屋は肩をすくめ、布袋から黒石を三つ取り出した。
「三、五、八。青に替える。……様子を見て八日返済で」
青石が王都で初めて鳴った。
ちりと小さく。
音は青にもある。
青は、息の音だ。
◇
午後。
王妃の離宮から使者。壺の薄紅基金が、朝の取り付けで二度、小口支払いを肩代わりした件の連絡だ。
掲示板には壺帯と息帯が並び、澄/翳と吸/吐が線で結ばれた。
王太子がその線をじっと見つめる。
「慈善と信用は、同じ線で繋がるのか」
「はい。恥と誇りが歩いた線は、息にも道を作る」
彼はゆっくり頷き、王家印の横に**「青の布告案」を置いた。
――『王立当座清算会』創設**。
王家・監査・市井の三者割符。毎時清算を公開。
拍差指数が赤の時は、緊急の息を王家が薄紅で支える。
「最後の呼気は、王家が」
ユリウスが少し照れたように言い、王妃の扇が遠くでかさりと鳴る。
王家の焼戻しも進んでいる。
◇
その頃、清算室の隅。
内陸支店からの便りが着く。「渡し守、仮橋の入札前に黒石を溜め込み」
橋が落ちれば、渡しが儲かる。儲かれば、黒石が積まれる。
私は掲示板の端に「渡しの公開収支」を太字で再掲し、渡し賃に上限帯を付けた。
渡し守を青石に誘導し、仮橋の薄紅で初期費を支える。
利ざやは残しても、逃げ道は塞ぐ。
これはもう、何度もやってきた手だ。
◇
夕刻。
王立銀行の大広間は、朝より静かだ。
窓口の青札は厚く、黒札は薄い。
息は拍を取り戻し、青帯は落ち着いた海のように流れている。
そこへ、外商の使い。
帽子のつばが広く、靴は革が固い。拍は五。
彼は無表情のまま、厚い為替束を差し出した。
「換金を」
私は束を受け取り、窓へ案内する。
同時刻印を三者割符で置き、上限の帯を示す。
五拍の束は五拍のまま、四拍に割り付ける。
彼は眉を動かさないが、拍はわずかに揺れた。
青い窓は、無表情の上から礼儀をかける。
礼儀は、硬い革の上でも滑る。
「監査官」
彼が去ったあと、ユリウスが声を落とす。「王立銀行の帳、見せたい頁がある」
机に広がったのは、貸借表。
貸(吐)と借(吸)の青が左右で均衡し、下段に予備の淡青。
淡青がわずかに薄い。
私は指で叩く。一、二、三、四。
拍は合っている。息はある。
だが、走る準備が少し足りない。
「夜間拍を一本、増やしましょう」
「夜に?」
「はい。夜の薄紅を青に換える小窓。
工房の仕上がり、市場の帳尻、壺の翳。夜は小声の処理が多い。
小声の処理に窓を」
王太子が口を開く。「夜の窓は、治安の費用が増える」
「費用は息のため。耐用年数を延ばす費用です」
騎士団長が短く笑い、「夜の窓、衛士を六付ける」と言った。
◇
夜。
王都は今日も四拍で眠るが、銀行の窓は一つだけ淡青に灯る。
小さな音で、澄が鳴り、翳が細くなる。
薄紅の帯がわずかに青へ移る。
この微小な移動を、明日の朝の安堵がじっと待っている。
窓を閉め、私は机に匿名の羊皮紙を広げた。
白は海で洗え/黒は川で晒せ/赤は火で鍛えよ/青は息で支えよ
――その下に、今夜はさらに小さな一行。
「緑は森で育てよ」
緑。
投資。種。成長。
内陸の仮橋、穀倉の白頁、工房の焼戻し時間。
息が整ったら、次は根だ。
銀の栞を差し込み、拍を取る。一、二、三、四。
呼吸は静かで、長い。
明日は森と種、緑の勘定だ。
◇
監査メモ/#10「王立銀行、息の拍——貸借の青と取り付けの黒」
・呼吸規程(吸:吐:間=3:2:1)と潮汐準備で取り付け時の青を維持。
・青札/黒札で心理を可視化。小口は薄紅保険で即応→翳が立たない。
・毎時清算の公開+拍差指数で外商五拍を窓に誘導、四拍へ割付。
・黒石→青石:貸金屋を相互当座に組み込み、利率上限と取り立ての薄紅帯で青化。
・王立銀行に夜の窓(淡青):小声の処理=夜間拍で翌朝の安堵を前倒し。
・王家:最後の呼気を宣言。当座清算会を三者割符で創設。
・次回:緑は森で育てよ——仮橋・穀倉・工房、投資(緑)の仕訳と成長の期。