2025/09/02[先生とわたしと荒神様]
今日は何も浮かばなかったのでストックから。
少しだけホラー
「迷った」
「ええ……、先生きちんと調べてきたんですよね?」
プリウスの車内で先生がため息をつきながらiPhoneを触っている。
ただいまの現在地は静岡県の山中。サイレントヒル……、なんて言いたくないけど、道路は舗装されてるけどひとがいない。わたしは今回は先生の助手として取材についてきている。なんだか都会ではなかなか見られない儀式があるとかなんとか。先生の次回作は和風ホラーかな?
「うーん、この道で合ってるはずなんだけどなあ」
先生は眼鏡を外して、眉間を揉んでいる。
「少し走ったら民家が見えてくるかなあ……、お寺さんがある前の家って言ってたけれどお寺がまず見つからないよねえ」
先生はのんびりとした声で呟く。
「今回なんの儀式なんでしたっけ? ええっとこう……?」
「荒神様、だよ」
先生が口を開くと、さらさらと解説が流れてくる。
「荒神様は竈神でね、姿形としては不動明王に近い。なかなかこれが文献が少なくてね、しかも地方によっては姿かたちを変えて祀られていると言うじゃないか、なんだかワクワクしてこないかい?」
にこにこしながら先生は運転を続ける。
にこにこしてるのはいいけれどどんどん森の方に入り込んでいるんですがそれは……。まだ川が地核を流れているからなんとなく安心できる。けど道は苔だらけでタイヤが滑らないか心配だ。
「今回見させてもらえるのは、なんでも地域で祀っている荒神様の祠と掛け軸のようでね、一軒一軒掛け軸が家を渡り歩くそうだ。係になった家はその掛け軸を掛けて、ご馳走と麻雀で持てなさなければいけないんだそうだ」
「先生、楽しそうですけど道合ってます? どんどん森の方に行くじゃないですか」
窓の外は緑豊かで少し見ているだけでも視力が上がりそうだった。夏だからか道端には特に花などは咲いておらずただただ濃密な緑だけが覆い被さって、日陰をところどころに作り出している。
「あー、ここを右折かな? 地図的にはそのはず……」
先生は少し困ったようにハンドルを切った。
「あっ、先生! 猫!」
「えっ!?」
先生がブレーキを踏みながらハンドルを切った。
直後にゴスっという音が聞こえて車は停車した。車道を見ると小さな黒猫が走り去って行くとこだった。
「あー、良かった。先生、猫ちゃん無事でしたよ。クロちゃんと同じ黒猫でしたね!」
「待った、それは嬉しいけどなんか車のバンパーが凹んだような音が……」
外に出ると強烈な夏の匂いがした。湿度とさらさらと聞こえる木々の揺れる音。それから川の流れる静かな音。原初の夏だ。
「うわあ!」
「先生? 大丈夫ですか……?」
確かにプリウスのバンパーが凹んでいた。
「あー、これは先生……。ん、先生?」
落ち込まないでと声を掛けようと、しゃがんでいる先生の視線の先を探った。
そこには……
「これ、もしかして見に行く予定だった祠ですか……?」
祠だった残骸が崩れており、中に安置されていたであろう道祖神のようなお地蔵様が首から取れていた。やばい。
「いや、これは……」
「あらまあ……」
わたしがその声に振り返ると、真っ黒なワンピースが見えた。先生とともにしゃがんでいたから自然と足元から目が行く。黒のパンプス。薄い肌色のストッキング。シンプルな黒のワンピース。露出している肌は白く、髪は長い。切れ長の瞳のお姉さんはゆったりと私達を見てこういった。
「その祠、壊しちゃったの? ご愁傷さま……、何もないで帰れるといいわね……」
低い声音でそう言うと、お姉さんは車を指差した。
「車、動かしたほうがいいんじゃなくて? もし、動くのなら、だけど」
その声にハッとして先生が立ち上がった。
「動かしていいんでしょうか、事故現場ですよ?」
「事故現場なんて、交番もない村で何を仰るの? すぐに警察がくるとでも? まあ、村人なら呼べば来ますけどね」
なんだか怖いような、怖くないようなそんな人だ。にこやかだけど目を開けた時の瞳が青く見える。カラコンだろうか。
「動かしますよ。見ててもらってもいいかな? 助手さん」
わたしのことをわざとらしく助手と呼んだのは置いておいて、わたしは車から距離を取った。のだが結果敵にプリウスは動かなかった。
「おかしいな、ほんの少しぶつけただけなのに動かなくなるなんて……」
「ね、祟りよきっと」
お姉さんはくすくすと笑う。
笑いながら歩いていってしまった。置き去り、投げっぱなしである。
「先生、どうします?」
「不本意だけど、ついていこうか」
ついていった先には長い上り坂。その上にはこじんまりとしたお寺があった。
「今日は御施餓鬼だったのよ、だから車が動かない程度で済んだのかもね」
先程のお姉さんがそう言う。
御施餓鬼、おせがきというらしい。餓鬼道に落ちた餓鬼達を成仏させるためにするらしいが……、そのためかお寺には数人の人がいて、先生が会いたかった人もそこにいた。
「あ、あなたが東京から来られた学者さん? こんにちは」
人の良さそうなふくよかな女性だった。他の人たちはみんなこんがりと焼けているのに、この人とさっきのお姉さんは色白だ。
なんとなく似ているような気もしないでもない。共通点は色白以外無いが。
先生が挨拶している間、わたしはお姉さんに話しかけた。他の人たちよりも二周りも三周りも若そうなお姉さんが少し怖かったが一番話しかけやすかった。
「あの……、先程わたしたちが壊してしまった祠なんですけど……」
「ああ、あの祠ね。なんの祠だったかしら……、ここらへんにはそう言う祠や道祖神やらが多いのよね。ほら、そこにも」
お姉さんが指差す先には傘地蔵があった。その前に賽銭箱も。お姉さんは更に指差す。
「あっちにあるのは無くしものをしたときに見つけてくれるお地蔵様。あなたたちが訪ねてきたのはわたしの母でしょう? 話は聞いてたわ。あのお地蔵様が荒神様のときに灯す灯りのお地蔵様ね」
わたしはお姉さんの言葉をスマホにメモした。電波はしっかりと来ている。かなり山奥だが。
「あの、さっき黒猫が……」
そう、あの、小さな黒猫。ここらへんの仔なのだろうか?
「黒猫? まあ横切られて事故っちゃったの? ご愁傷さま……、とは言わないわよ。今どき黒猫が横切ったって何も怒らない。多分家のくろちゃんね。轢かないでくれてありがとう。もうおばあちゃんなのよ」
「えっ……、子猫に見えました……」
お姉さんの家の猫だったらしい。くろちゃんと呼ぶ声からはとても大事にしていることが見て取れる。わたしも早く家に帰って家のクロちゃんをモフりたくなった。
「おまたせ。寺下さんとは話がついたよ。お嬢さんだとは、思いませんでしたが?」
戻ってきた先生は少し厭味ったらしくそう言った。ニコチン切れかもしれない。
先生は車の中では喫煙しないし、さっきから吸うタイミングがあったとも思えない。
「まあまあ、家の中へどうぞ。車はわたしが従兄弟に連絡しておきますわ。車の何でも屋みたいなのをやってますので」
「お母様もそう言っていましたよ、ありがたいことです。で、先程の祠なんですが……、どなたに聞いても出処がはっきりしないんですが……」
「わたしもこどもの頃からここに住んでいるけどわからないわ、残念ながら」
お寺から寺下さん宅までは本当に近かった。歩いて三分ってところだ。御施餓鬼はどうやら済んだようで、集まっていた村の人たちもそれぞれ車や徒歩で帰っていくが、圧倒的に車が多かった。しかも軽トラが。
「それで、こちらなんですが……」
麦茶をいただき、クーラーの聞いた部屋でほのぼのとくろちゃんとたわむれていると、お母様のほうが紙袋を持ってやってきた。お姉さんは家に戻ると自室に戻ったのか全く出てこない。
紙袋の中からは、巻かれた掛け軸と通帳。それから将棋の駒のようなものが出てきた。
「こちらはどのようにして使われていたか聞いてもよろしいですか?」
老婦人と言っても差し支えない、お母様がたどたどしく口を開いた。
「ええっと、掛け軸はここの神棚の下に掛けています。回ってきた月のいい日にですね、掛け軸の下に水晶の玉がついて、ふさふさしてるでしょう? 猫がこれにたあぶれてしまって困っているんです」
たあぶれて……、戯れて? かな? 方言だろうか?
「このテーブルに炊き込みご飯や、お刺身などをお供えして、仏間から蝋燭立てを持ってきて、線香立てももってきてお線香を上げますね。それでその間は先程のお寺の中腹にあるこうじんさんに火を灯して、決して消えないように何度か見に行きますね」
なんだか中々手間に思える。令和の時代にもこんなことをしている人たちがいるんだと思うとなんだかすごい。
「こちらの通帳は?」
ああ、それはとお母様が再び口を開いた。
「昔は一軒でやるのではなく、料理をもっとたくさん用意して近所の人にも来てもらっていたんですよ。なので、その材料費や酒代を積み立てていたものですね。いまではもうやっていません……、みんな年を取りましたし……、わたしが嫁に来たばかりの頃はまだ、やっていましたかね……」
遠い目をしてそう締めくくった。
広げさせてもらった掛け軸からは、積年の重みを感じるような気がする。わたしでさえそう思うのだから、先生なら尚更だろう。
「こちらの小箱に入っている、将棋の駒のようなものは?」
「ああ、それはなんだかこうじんさんにまつわる遊びがあったのか、忘れてしまいましたがなにか昔は集まって遊びもしていたようです」
「麻雀かなにかかと思いましたが、将棋の駒のほうが近そうですね。麻雀の牌を混ぜる音は縁起がいいんですよ」
先生はそこで話を切り上げ、玄関を出ていった。煙草を吸いに行ったのだろう。カフェイン不足もたたっているかもしれない。
「お嬢さんは学者先生のお弟子さんかしら、妹さんかしら。なんだか仲が良さそうね」
「いやあ、そうみえますかねえ……、まあ何と言いますか幼馴染みと言いますか……」
「幼馴染み、いいわねえ……、わたしにもいたんですよ。でも幼い頃に川で流されてしまって……」
チリリンと猫の首輪の鈴が鳴った。
「いやね、おばさんになると悲しいはなしばっかりして。もうお見せできるものはありませんがゆっくりしていてください」
そういうとお母様は席を立った。荒神様のものはすべて紙袋に納められ、またもとあった位置の壁から出ているネジのようなものに引っ掛けられている。
「あ、まだいた助手ちゃん」
「さっきのお姉さん」
お姉さんはにこにこしながらこちらに歩いてきた。先程とは違い、白い半袖ブラウスに黒のミニスカート、なんと生足だ。それにしても色白である。
わたしのほうが焼けてるかも……、服装もなんとなくお嬢様っぽい感じ。わたしも今日は先生とお出かけだったので気合を入れて可愛らしい襟付きの水玉のチュニックにチェックの短パン。それなら黒のストッキングだ。先生はいつも通りのワイシャツスラックス。白黒にスニーカーだ。
まあ先生の場合はどんな格好をしててもおしゃれに見えますけどね!
「ねえねえ、あれ学者さんなの?」
お姉さんは縁側の窓越しに見える先生を指差して言った。
先生はというといつの間にか小太りの男性と話をしている。
「ええっと……、学者というか文学者というか作家というか」
「作家なんだ。随分と若く見えるね。なんか作家っておじいちゃんおばあちゃんみたいなイメージ、ない?」
先生がおじいちゃん……、なんだか笑ってしまいそうだ。
「まあ、ありますね。でも最近は若い人が多いって言ってましたよ。まあ大家と言われる人たちはやっぱり、年がいってますけど」
先生も話に区切りがついたのか戻ってきた。
「あ、お嬢さんだ。僕とそう歳が変わらないそうですね?」
「あら、従兄弟から聞きまして? お車の方はどうです?」
「レッカー移動されましたよ。こんなところまでレッカー車が入ってこれるとは思いませんでした。無事代車も借りられましたしそろそろお暇します」
まあ、とお姉さんはつぶやいて立ち上がった。
「なんのお構いも出来ませんで。でも助手ちゃんと喋ってる間は楽しかったですよ。本になったら送ってください。あと、帰りはどうぞ気を付けて」
「ありがとうございました。お母様にもお伝えください。無事出版されたら送らせていただきますよ」
わたしはお姉さんに手を振って玄関を出た。広い庭に軽自動車が停まっていた。えっとこれは……、キャンバスだ。
「かわいいですね、代車」
「そんなことより気を付けて帰らないと。あの破壊してしまった祠について誰も何も言わないのが怖すぎる」
「確かに。誰も知らないのに祠があるなんてまるで祠が意思を持って生えてきたみたいですね?」
「やめよう、帰ろう一刻も早く」
エンジンをかけ、坂道を下る。先程の祠を通り過ぎるとき車が微かに減速した。
「せんせ……」
どうしたんですか、と続けようとしたがその時か細いこどものような声が聞こえた。
忘れないでね……
「先生、いまなにか、言いました……?」
「君こそいま、僕に何か……、話しかけたし肩を触っただろ……?」
わたしたちは数秒見つめ合ったあと絶叫した。
「早く、早く帰りましょう!!!」
「わかってるから!!!」