8話
帰郷して2週間ほどが経った。
俺は春のたんぽぽも羨むほどの優雅なスローライフを謳歌していた。
朝は日射しを浴びて目覚め、夜は月を見ながら眠る。
ごく平凡な日常ではあるが、俺にとっては得がたい幸福だ。
「お兄ちゃん、おはよう! 目玉焼きパンが焼けたよ!」
ちょうど空腹を感じたタイミングでマイヌが俺の部屋に飛び込んできた。
甲斐甲斐しくも着替えを手伝ってくれる。
ガキどもと食卓を囲むのは小うるさくてゲンナリもするが、日毎に豪華になっていくマイヌの手料理は日常を彩る楽しみのひとつでもあった。
「お兄ちゃんが作ってくれたフライパン、すっごくいいよ! 絶対焦げないし、洗わなくてもキレイだし、火も使わなくていいから料理が楽しいの。でも、包丁はちょっと切れすぎかな」
「魔力を込める量で切れ味が変わるから少しコツはいるかもな。マックスまで込めたら岩も切れるぞ」
「お兄ちゃんの魔道具ってたまにオーバースペックだよね」
「夢があると言いなさい」
俺がいろいろと作ったおかげでマイヌの負担はだいぶ軽くなったと思う。
ゆえに、俺がゴロゴロしていても目くじらを立てられることはなくなった。
朝食を食べたら昼まで寝て、昼食を食べたら夜まで寝る。
そして、夕食を食べて朝まで寝る。
俺は今、とても満ち足りた生活を送っている。
「最高だな、スローライフ」
「本当のスローライフはゆっくりと、かつ、能動的に暮らすことじゃないかな? 例えば、畑を持ってみたり、趣味に打ち込んでみたりとか。お兄ちゃんのはダラけているだけだよ」
「マイヌ、正論って最低だよな。人を傷つけるから」
「正論なのは認めるんだね、お兄ちゃん」
俺はなんと言われても我が道を行く。
俺のスローライフの定義はこうだ。
――好きなだけぐーたらできること。
これだけでいいのだ。
「でも、お兄ちゃんはなんだかんだ言って頑張ってくれているよね」
マイヌは立て看板を持ってそんなことを言った。
看板には点滅する文字で『壊れた魔道具、直します。』と書かれている。
先週から俺は魔道具修理の仕事を始めた。
魔道具を作れる人間は俺だけだが、壊れたものを修理できる職人なら王都にも数人いた。
本当は働くなんて御免だ。
でも、この孤児院にスポンサーはいないし、働ける年齢の子もマイヌしかいない。
そのマイヌは子供たちの世話にかかりきりだから、俺が稼ぐしかないというわけだ。
「子供たちのために仕方なく働いてあげてるだけなんだからね? 別に仕事のことが好きってわけじゃないんだからね?」
「お兄ちゃん、私知ってる! それって王都で流行ってるツンデレだよね!」
「いや、デレてないから。仕事は本当に嫌いなんだからね!?」
労働時間は1日3時間まで。
やる気が出ない日は終日休業。
そんなルールでダラっと営業しているわけだが、高価な魔道具を直せる職人は貴重だ。
なんだかんだ実入りはいい。
あくまでスローライフを第一に考えつつ、ゆるっと続けていこうと思う。
朝食を終えたらジャレついてくるガキどもを無視して自室にこもる。
自室を工房にしているから、やる気が出るまでベッドでゴロゴロし、作業に飽きたらやはりベッドでゴロゴロする。
そんな最高の職場環境となっている。
エルドに馬車馬のごとく使われていた頃には考えられなかったことだ。
修理屋の接客は庭に面した窓で行っている。
だから、俺がこの部屋を出るのは食事とトイレのとき、それから川辺に散歩に行くときくらいのものだ。
すべてがここで完結している。
俺にとっては世界一快適な場所なのだ。
唯一の悩みと言えば、孤児院のガキどもが受付の呼び鈴でピンポンダッシュをかますことか。
屋根のひさしと茂みの中に悪ガキ撃退用水鉄砲を設置したから、その問題も解決されつつあるが。
「ああー、ベッドで寝転がって魔道具いじるの楽しいー」
こんな素晴らしい日々がいつまでも続けばいいのに。
などと思っていると、呼び鈴が鳴った。
客みたいだ。
「本当にここか? 魔道具の修理ができるって奴がいるのは。ただのボロ教会にしか見えねえぞ」
「ちゃんと直せるんでしょうね? あたしの大切な弓をポンコツ職人なんかに触らせたくないんだけど」
「オレだって自分の脚をあいつ以外に任せたくねえよ。でも、仕方ねえだろ。関節が微妙に軋むのが気になって仕方ねえんだから」
「あたしも弦の調子を見てほしいのよね。ずっと彼に任せっぱなしにしてたから、自分じゃメンテもロクにできないし」
「オレたち、あいつに頼りきってたんだなぁ」
「失って初めて気づくありがたみってヤツかしらね」
すりガラス越しにそんな会話が聞こえる。
客は若い男女の二人組らしい。
なんだか聞き覚えがある声だった。
もしかして、この村出身の誰かだろうか。
「へいへい、今出ますよ……」
面倒なので居留守でやり過ごそうかと思ったが、客が誰か気になったので応対することにした。
窓を開けて外を見る。
「…………」
「………………」
「……」
俺は窓を閉めた。
ついでに、カーテンもビシャリと閉める。
なんだろう、今窓の外にめちゃくちゃ見覚えのある顔の二人組がいた気がする。
男のほうはライトブラウンの髪を後ろになでつけた義足の青年だった。
女のほうはエルフだ。
現実離れした美麗な顔が俺をぽかーんと見つめていた。
どっちも俺がよく知っている人物と酷似していた。
シャックスエルクとフィオレット。
Sランク冒険者ギルド『時は金なり』の中核を担う二人組だ。
窓の外にいるのが本当にあの二人だったとすると、だ。
近くにあいつがいてもおかしくはない。
金ピカ鎧に身を包んだ恐ろしい元・上司の顔が俺の脳裏をよぎった。
「お、おい! 今のって……」
「サグよ! 絶対サグだったって!」
窓の外からそんな声が聞こえてきた。
まずい。
俺がここにいることがエルドに伝われば、手脚をへし折られて王都に連れ戻されるなんてことにもなりかねない。
もう殺すしかない。
俺は叫んだ。
「敵襲――! 全砲門最大出力で迎撃せよ!」
4門の水鉄砲が同時に火を噴いた。
「うおおお、冷てええええ!? おい、サグマやめろ馬鹿!」
「イタタ! けっこう水圧強いわよ、これ! ちょ、変なとこ濡らさないでよ!」
騒がしい声が遠ざかっていく。
そして、静寂が戻ってきた。
殺ったか?
……殺ったな。
だが、ホッとしたのも束の間、コンコンと部屋の戸が叩かれる。
「お兄ちゃん、王都からお友達が訪ねてきてくれたよ。開けるね」
「マイヌ! ちょい待……!」
止める間もなく戸が開け放たれた。
そこには、びしょ濡れになった元・ギルメン二人がキレ気味の笑みで立っていた。




