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76話 ジョルコジ


「「おおおおおおお――――っ!!!」」


 ドンガリーユが金の大杯でバケツ1杯分の酒を飲み干すと、貴族や冒険者たちから館を揺らすような歓声が上がった。

 それを尻目にジョルコジは領主邸を後にした。

 明るい場所にいたせいか、外はひどく暗く感じられた。

 足元も見えない中、それでもジョルコジはもつれる足を懸命に動かし続けた。


 背後から闇に紛れて何か恐ろしいものが迫ってくるような、そんな漠然とした不安に駆られ、気づけば駆け足になっていた。

 入り組んだ裏路地をデタラメに曲がり、少しでも領主邸から遠ざかる。

 それでも、背中に感じる寒気がなくなることはなかった。


 行き止まりにぶつかり、ジョルコジはついに足を止めた。


「タダ酒が飲める席を早退されるとは珍しいこともあるものですね、ジョルコジ様」


 すぐ後ろでそんな声が聞こえてきた。

 どこまでも冷たい、少女の声だ。

 振り返った瞬間、喉笛を切り裂かれるような気がしたが、それでもジョルコジはゆっくりと背後を見た。


 闇に半ば溶け込むようにして、黒髪の少女が一人立っていた。

 普段の修道服ではないものの、頭の上の猫耳とほのかに光る縦割れの瞳孔を見れば、それが誰であるか一目瞭然だった。


「シャノン、かぁ……」


 知っている顔だというのに、恐ろしさが消えることはなかった。

 むしろ、全身を襲う寒さはいや増すばかりだ。


 ジョルコジは、へへ……、とおどけ笑いを浮かべた。


「オレっちは安酒飲みなんだよぉ。高級ワインは口に合わねえのさぁ……ひっく」


「御託は結構です。本題に入りましょう」


 シャノンはどこからともなく黒塗りのナイフを取り出した。

 切っ先がまっすぐこちらを向いている。


「へへ、お前はずっとおっかねえ目でオレっちを睨んでいたからなぁ。こんなことになるんじゃねぇかと思ってよぉ、ワインボトル持ち出して正解だったぜぇ……」


 ジョルコジはボトルを民家の壁に叩きつけて割った。

 尖った先端をシャノンに突きつける。


「酒飲みの武器って言ったらコレだからよぉ……」


 凍りつくような沈黙が続き、二人は同時に口を開いた。


「ジョルコジ様」

「シャノアーレ」


「あなたですね?」

「お前だなぁ?」


「サグマ様の暗殺を企てたのは」

「サグマを殺りに来た暗殺者はよぉ」


「……」

「……」


 再び沈黙が訪れて、二人は同時に首をかしげた。

 ジョルコジは軽く顎を振って、先に話すようシャノンに促した。


「ジョルコジ様、私は便利な耳を持っているのです。あなたほどではないですが、盗み聞きは得意なのですよ」


「するってぇと、なにか? オレっちが『耳』だってことも知ってるわけだ」


「あなたが素性を隠し、姉と連絡を取り合っていたことも突き止めています」


 大したものだ、と思った。

 たしかに、ジョルコジは国王直下の諜報機関『王の耳』の一人だ。

 正体を見破られたのは初めてのことだ。

 サグマの魔道具のインチキっぷりには毎度驚かされる。


「お姉様に水中装備を渡したのもあなたですね? サグマ様を亡き者とするために暗躍していたのでしょう。サグマ様は殺させません」


「そいつぁ、オレっちのセリフだぜ?」


 今にも飛びかかってきそうな黒猫を、ジョルコジは果敢に睨み返した。


「オレっちだって知ってるぜぇ? お前の正体が『影』だってことはなぁ……」


『耳』の任務でカトネロと接触したとき、その顔を盗み見て、一目でわかった。

 二人は双子である、と。

 そこからシャノンの正体を探り当てるのは、ボトルの形で銘柄を当てるのと同じぐらいに簡単なことだった。


「すげえじゃねぇか。目と耳潰してまでサグマに取り入るたぁ大した役者だぜぇ……。使命ころしのためなら手段は選ばねぇってんだから『影』ってのは恐ろしいなぁ」


「取り入る? あれは運命の出会いです。サグマ様は奈落の底にいた私を救い出してくれた神なのです。殺そうなどと考えるはずもありません」


 シャノンはきっぱりと否定した。

 情報の嘘を見抜けるジョルコジの目をもってしても、そこに嘘を見出すことはできなかった。


「い、いや、でもよぉ。お前、ここのところずっとサグマに張り付いていたじゃねぇかぁ。いつでも殺せるようになぁ」


「それは、事実ではありません。私はサグマ様のことが大好きで愛していて神だと思っているので、おそばで守っていただけです。お姉様とジョルコジ様がサグマ様を狙っているようでしたので」


 その言葉にも嘘は感じられなかった。

 考えてみれば、取り入るためだけに両目両耳を潰すというのはあまりにも馬鹿げている。


「そんじゃぁ、サグマの野郎を暗殺する気はねぇってことかぁ?」


「私が殺すとすれば、それはサグマ様の敵だけです。さあ、今度はジョルコジ様が答える番ですよ」


 首筋に冷たいものが触れた。

 いつの間にか、刃を押し当てられていた。

 血なのか汗なのかわからないが、首筋を滑り落ちていく水滴の感覚で怖気が走る。

 酒の利尿作用も相まって失禁しそうになった。


「ま、まま、待てってぇ……。オレっちはたしかに『耳』だぁ。お前の姉貴に情報を流したのもオレっちだ。でも、殺ろうとしたのは領主だけだってぇ。野郎は北罰者と陰で連絡を取り合っていたからなぁ……。心変わりしたようだが……」


 どうすれば信じてもらえるかとあれこれ思案したが、結局泣き落し以外のアイデアは浮かんでこなかった。

 涙やらなんやらを垂れ流しながらジョルコジは叫ぶように言った。


「サグマの野郎が今もピンピンしてんのは、オレっちのおかげなんだぜぇ!? サグマが殺されねぇように情報操作コントロールしてたのはオレっちなんだからなぁ……!」


「信じましょう」


 意外にもすんなりと刃が離れていった。


「どうやらジョルコジ様がおっしゃっていることに嘘はないようですね。お姉様も下見だけで結局仕掛けてはきませんでしたし、暗殺命令ゴーサインは出ていないと言っていましたから」


 シャノンはナイフを納めた。

 途端に安堵感が込み上げてきてジョルコジは尻餅をついた。


「おたがい、勘違いだったみてぇだなぁ……」


「そのようですね」


 ジョルコジは未だ震えの止まらない手でスキットルを口に運んだ。

 一口ごとに恐怖が和らいでいき、体が熱を取り戻していく。


「これで、サグマ様は平和に暮らせるのですね」


 シャノンは無表情な顔でお気楽なことを言った。


「どうだかなぁ……。オレっち以外にも『耳』はいる。どんな報告を国王うえに上げるかわかんねーぞぉ……」


 ヘマして領主に捕まったスミッギはどうもカトネロに殺されたらしい。

 わざわざ口封じしたということは、彼も『耳』の一人だったのだろう。


「サグマは天才だぁ。だが、魔道具作り以外にゃなんの才能もありゃしねぇ……」


「同意します。でも、神です」


「謀反なんて馬鹿なことするわけねえのになぁ」


「そこも同意します。そして、サグマ様は神です」


 だが、国王はそうは思わない。

 権力者とは、ドンと構えているようで実は誰よりも臆病なものだ。


「カウッド家の生き残りってだけでも殺される理由には十分すぎるからなぁ……」


 シャノンも静かに頷いた。

 カウッド家は、かつて『王国四大貴族』に名を連ねた名家だった。

 天職に恵まれた血筋であり、一族全員が国のあり方を容易に変えうるほど強大な天職を持っていた。

 その権勢は王家をも凌駕するほどだった。

 名も無き小国の一つにすぎなかった王国が大陸有数の超大国にまで成長を遂げたのも、カウッド家の献身があったればこそと言われている。


 しかし、大きすぎる力はやがて恐れと嫉妬の対象となった。

 カウッド家は優秀すぎたがゆえに淘汰され、その忘れ形見たるサグマ・カウッドは北方の地へ追放されたのだ。

 もっとも、まだ赤子の頃の出来事ゆえ、当の本人は知る由もないのだが。


「サグマには世話になってっからなぁ。でも、野郎をかばったのはそれだけが理由じゃねぇ……。カウッド家の血を絶やせば、国益を損なうことになりかねねぇからなぁ」


「天職に愛され、それゆえに歴史の闇に葬られたエリート一族の生き残り、ですか。もし、王国に苦難が訪れ、その血を増やす必要に迫られたなら、私は進んでこの身を捧げます。欲しいです、サグマ様の赤ちゃん」


 完全なる無の表情で、シャノンは下腹部をさすっている。

 ジョルコジは引き気味に笑った。


「シャノンよぉ、お前、サグマの野郎がどうしてあんなにボケ散らかしてるか知ってっかぁ?」


「いえ、存じ上げませんが」


「これは取って置きの情報なんだがなぁ」


 ジョルコジは冷やかすように言う。


「お前の目が見えるようになったときのことだぁ。野郎は変顔をしていて、お前はそれを見て笑ったんだろぉ?」


「はい。爆笑でした」


「あいつはなぁ、それが嬉しかったんだとよぉ。ずっと泣いてばかりいたお前が笑ってくれたのが嬉しかったんだと。だから、ボケ散らかしてんのさぁ。また、お前の笑顔が見てぇーんだろぉなぁ」


 シャノンの瞬きしない目から一筋の涙が滑り落ちた。

 ぽろぽろと落涙し、どうしていいのかわからない様子だ。

 その大きすぎる隙を突き、ジョルコジはボトルの飲み口でシャノンの頭をぽかりと叩いた。


「ヒヒッ、一本取ってやったぜぇ……! オレっちも捨てたもんじゃねえなぁ」


 シャノンは再び何を考えているのかわからない表情になった。

 涙を拭って言った。


「私、笑えるように努力してみます。サグマ様のためにも」


「そうしろぉ。野郎もきっと喜ぶぜぇ……ひっく」


「それはそうと、ジョルコジ様。鼻、殴りますね。倍返しです」


「ひ、ヒヒ……」


 体重の乗った拳をまともに受けて、ジョルコジは仰向けに転がった。

 長く垂れこめていた雨雲はいつの間にかどこかへ旅立ってしまったらしい。

 満天の星々がベルトンヒルの夜をキラキラと飾っていた。


まだ書き足りないですが、これにて完結です。

ここまで読んでいただけて嬉しいです。

次回作に期待してもらえると光栄です。

ありがとうございました。

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