69話
なんだろう、シャノンが2人いる。
俺のよく知っているシャノンと俺のよく知らないシャノンだ。
よく知らないほうはあちこち怪我をしていて、えらく殺気立った目をしている。
よく知っているほうは顔がインクまみれで、猫耳を落っことしている。
どういう状況だろうね、これは。
ドンガリーユたち遠征隊をテキトーにあしらってからマーカーを頼りに追いかけてきてみれば、これだ。
二人でキャットファイトでもしていたのだろうか。
「サグマ・カウッドか。アンタの分の暗殺命令はまだ出てないんだけどねぇ。アチキの仕事の邪魔するってんなら殺っちまうよ?」
『違ウヨー。我輩、謎ノ仮面冒険者サグマンダカラ。闇ノ枢機卿ダカラ、シュコォォ……』
マジ、なんで俺の正体を知っているのだろう。
「アヘヘ、アチキの暗殺術、アンタみたいなボケに見切れるかなぁ?」
暗殺者の少女はところどころ溶けた双剣を構えた。
切っ先を向けられているというのに、およそ恐怖というものが感じられない。
脅威だと認識できない。
ゆえに、身を守らねばという危機感も湧いてこない。
なんだか不思議な感覚だ。
なんらかの異能によるものだろう。
でもそれ、魔道具相手にも通じるのかな?
「いっくよー?」
ひとつ微笑むと、暗殺者は一歩目を踏み出した。
その瞬間、無数の閃光に撃ち抜かれ、ボロ雑巾のように地面に転がった。
『連なる四凶星』に敵性生物認定されたのだ。
『対人攻撃ハ非殺傷ニ設定シテアル。安心シテ少シ寝テロ。カシュゥゥ……』
俺はシャノンに猫耳カチューシャをつけ、顔にこびりついたインクを洗い流した。
ツヤのある黒い髪をなでてやると、シャノンはホッとした様子で俺の胸に頭をあずけてきた。
王都にいた頃もこうして何度も頭をなでたよな、と思い出す。
目も見えず耳も聞こえないシャノンとはスキンシップだけが唯一のコミュニケーション法だったからだ。
しかし、あらためて考えると、異性の頭をなで回すなんてセクハラにもほどがある。
『スマナイ。ツイ癖デ……』
「やめないで」
手を離そうとすると、シャノンは猫っぽい動きで頭を擦りつけてきた。
顔は無表情なままだが、頬は赤みを帯びている。
よほど不安だったらしいな。
『デ、ドウイウ関係ダ?』
俺はボロ雑巾の素性について尋ねた。
『待テ、当テテヤル。……ワカッタ。股間ヲ強打シタ拍子ニ体ガ左右ニ分裂シテシマッタンダナ? アイツハ右シャノンデ、オ前ガ左シャノン。ソウダロウ?』
「えーっと、違います。でも、それでいいです」
いや、よくないよ。
ちゃんと説明しろ。
あと、脇の下に鼻を突っ込んでくんくんするな。
「姉です、殺し屋の。名前はカトネロ。私の双子の姉なのです」
シャノンも昔は殺し屋だったんだろうな、となんとなく思った。
闇夜を駆ける美少女ツインズだ。
殺されることをご褒美だと思う奴もいそうだな。
「すぅぅぅ――――っ!! サグマ様の匂い。好きすぎて死にそうです」
『ウン。ヤメテネ。濡レテルシ、恥ズカシイシ』
「嫌です。これは、特訓ですから」
『トックン?』
「目が見えずとも耳が聞こえずとも、あなた様を匂いで感じるための特訓ですニャ」
シャノンはドリルみたいに鼻を擦りつけてくる。
もう、ここまで来ると、俺はお前が怖いよ?
『シカシ、姉カ……』
なぜ、ドンガリーユを狙ったのか。
おそらく、そこには政治的な思惑があるはずだ。
要するに、カトネロは国王が放った刺客なのだろう。
『トリアエズ、縄デ縛ッテ連レ帰ルカ。シュコォォ……』
俺は地べたに伏したカトネロに歩み寄った。
ふと、シャノンの声が耳の中に蘇った。
――腕の良い暗殺者は心の死角を突くのです。
あっ、と思ったときには、俺の胸の前に黒塗りの刃があった。
「サグマ様……!」
シャノンが金切り声を上げた。
でも、問題ない。
刃は根元からガギンと折れて、くるくると飛んでいった。
胸部装甲『完全防殻』――。
空間そのものを断絶した、不可侵の装甲板だ。
空間ごと斬る剣でもなければこれを破ることはできない。
すかさず、カトネロはもう一本のナイフで俺の首を狙った。
それが、あくびしたくなるほどのスローモーションで見える。
俺は刃を指でつまんで止めた。
そのまま、刃先をぐにゃりと曲げる。
「ア、へへ……」
苦笑したカトネロの顔にシャノンの飛び蹴りが炸裂した。
「大丈夫ですか、サグマ様! サグマ様……!」
『ウン、ダイジョブダイジョブ。我輩、乳首ガ硬イカラネ。全然余裕ダッタヨ』
「乳首が硬いなんて最高に素敵ですニャ! 大好きです、サグマ様!」
シャノンは硬乳首派らしい。
硬乳首派ってなんだ!?
「あの、サグマ様」
シャノンは猫マスクをとって乞うように俺を見上げた。
「お姉様のことを見逃してあげてもらえませんか?」
『フム?』
「お姉様は今回こそ敵方でしたが、普段は王国のために陰ながら尽力しておられるのです」
ダークヒーローみたいなものか。
今回の任務は謀反人ドンガリーユの粛清。
王国の明るい未来のために、その身を捧げる日陰者。
それが、暗殺者カトネロである、と。
シャノンが姉をかばって嘘を言っているようには見えない。
なら、それが事実なのだろう。
俺は死んだふりをしているカトネロの背中をツンツンした。
『ドンガリーユハ謀反ナンテ考エテナイト思ウゾ、タブンナ。ソレニ、ソノ怪我ジャ暗殺続行ハデキナイダロ? 傷ガ治ルマデ成リ行キヲ見守ッタラドウダ? シュコォォ……』
「……」
カトネロは意地でも死んだふりをやめるつもりはないらしい。
俺は細っこい体を持ち上げて、ホイッと水の中に投げ込んだ。
どっぼーん。
「あばば!? 何しやがんだ、アンタ……!」
カトネロは拳で水を叩いて猛抗議している。
ほーらー、元気じゃないか。
『見逃シテヤル。行ッテイイゾ』
「サグマ様……」
シャノンが安堵の息を漏らした。
別に、寛大な心で赦してやるとか、そういうアレではないよ?
こちらに敵意がないことを示そうとしているだけだ。
カトネロが国王配下の刺客なら、虜囚とするのは悪手だ。
殺すなんてもってのほか。
それ自体が謀反の証拠となりかねない。
逃がしてやったほうが賢明だと判断したまでだ。
「まさかポンコツの妹に命乞いしてもらう日が来るとはねぇ。アチキも焼きが回ったもんだ。ま、借りってことにしとくよ。――それじゃ」
カトネロは暗殺者とは思えないほどまぶしい顔で笑うと、おしゃぶりのようなものをくわえて水没した迷宮に潜っていった。
最後に足ヒレがチラリと見える。
どっちも俺が作った魔道具じゃないか。
なぜ、あいつが持っているのだろう?
持っている誰かから奪ったのか、盗んだのか、はたまた借りたのか。
そもそも、水中装備がなければここまで来られないわけで、カトネロがなんらかの方法で装備を手に入れたのは最初から明らかだったわけだ。
気づくのが遅れた。
逃がす前に問い詰めておくんだったな、とちょっと後悔。
今から壁をぶち抜いて追いかけようか。
追いつこうと思えば3秒で追いつける。
でも、ドンガリーユたちのほうも気になる。
騎士と一触即発の空気だったからな。
今頃、殺し合いになっているかもしれない。
その場でぐるぐる回って悩んだ挙句、俺は結局カトネロを追わないことに決めた。
「サグマ様、来てくださると信じていました。信じていれば救われるなんて、やはりサグマ様は神ですニャ☆」
『ア、ウン。ソウカモネ……。シュココォ……』




