56話
「サグマしゃぁーん!」
ぼすん――。
俺は胸にちょっとした衝撃を感じて起床した。
目を開けて最初に見たのはシャノンの能面じみた顔だった。
視線を少し下げると、胸の上でジタバタする小動物的なものを発見する。
半べそをかいた獣人の少女だ。
丸い耳とふっくらした頬が実に愛らしい。
「なんだ、カスか。おはよう」
「カスじゃないですぅ。キャスです。キャスナットですぅ。おはようございます、サグマさん。うう……」
キャスナットは『時はゆっくり』で最も小柄な冒険者だ。
ジョブはポーター。
今日も小さな体に似合わない大きな背嚢を背負っている。
背嚢の向こうで揺れているカールした独特の尻尾はリス系獣人の証である。
「聞いてくださいよ、サグマしゃあん……!」
体と同じくらいの大きさがある尻尾を振り回しながら泣きついてくるので、小柄と言っても押しが強い。
体を起こそうとすると逆に押し倒されたので、もういいや。
そのまま寝ることにした。
「わあああああんん……っ! しゃぐましゃああああんん!!」
「チッ、うるせえ目覚まし時計だな……」
パチンと指を鳴らす俺。
すべてを察したシャノンが暗殺者じみた早技で小リスを拘束した。
「一体どうしたんだ? だんたしうどイタッイ?」
「大変なことになっちゃったんですよ! ボク、死ぬかもしれません!」
「おい、回文で言えよ。よえ言でんウオウオ……」
「サグマさんも言えてないじゃないですかぁ!」
キャスはジタバタしながら涙目で言った。
「ボク、領主様たちの遠征隊に選出されちゃったんです!」
そういえば、シャックスとフィオに加えてポーター枠が1人分あったな、と思い出す。
名誉なことじゃないか。
「ボクなんかがS難度ダンジョンに潜ったら塵になりますよぉ……。それも、ガウグロプス掃討作戦だなんて。絶対無理ですってぇ……」
「泣くことないだろう。俺がなんとかしてやるよ」
「ほ、本当ですかぁ……!?」
目を輝かせるキャスに俺は力強く頷いてみせた。
「要するに、いざというとき楽に死ねる魔道具を作ってほしいんだな?」
「何を要約するとそうなるんですかぁ……!? 道具に頼んなくてもボクみたいな雑魚なんてSランクの小石につまずいただけでも即死ですよ」
Sランクの小石ってなんだ!?
いかに『金黎窟』といえども、落ちている小石にそれほどの殺意があるとは思えないが。
「まあ、話は朝食を食べながらウオウオ!」
3人で食堂に向かう。
孤児たちに交ざって座ると、小柄なキャスはガキにしか見えなかった。
「それにしても、シャノンさん。さっきサグマさんの寝顔に何をしていたんですか? 近くで見ていたみたいですけど」
「えっ、あの……ええっと」
珍しくシャノンが狼狽している。
頬を赤らめているようにも見えるが、まさか俺の顔に卑猥な落書きでもしていたのではあるまいな。
「なんだかキスするくらいの距離で――」
「キャスナット様、ほら、ピーナッツバターサンドですよ! たくさん食べてくださいね!」
シャノンがキャスの口に食べ物を突っ込んだ。
すると、ふっくらした頬がパンの形に膨らんだ。
これもまたリス系獣人の特徴だ。
「俺のも食っていいぞ。オラ、食え食え」
「あも!? ンムムモ……!?」
キャスの頬は面白いほど膨らんだ。
昔、このほっぺからインスピレーションを得て、魔道具を作ったんだよな。
などと思いながら、丸い頬を揉みしだいていると、ジトーっとした視線を感じた。
「お、お兄ちゃんが私以外をムニムニしてる……」
マイヌだ。
ムニムニ度でいうなら……うん。
キャスのほうが上だな。
俺の内心が伝わったのか、マイヌは打ちひしがれる感じで厨房の奥に引き上げていった。
耳毛のモフモフ感はお前のほうが上だぞ、とか後でテキトーにフォローしておこう。
自室に戻り、魔道具作りを再開する。
「これが、ガウグロプスを蒸し焼きにする魔動兵器なんですね」
キャスは自分の背丈より大きな構造物――牛男蒸し焼き装置『モウムリ』を興味深そうに眺めている。
「そうだ。下のスリットから引き込んだ水を、内部の加熱装置で沸騰させるんだ。すると、上部の噴気孔から高温のスチームが猛烈な勢いで噴出する。浴槽いっぱいの水を3秒で蒸発させる火力がある。牛の蒸し料理があっという間にできあがるぞ?」
小さな体がぶるりと身震いした。
「これを運ぶのがキャスの役目なんだよな?」
「そうみたいです。重そうですけど、サグマさんが作ってくれたバッグがあるのでボク一人でもなんとかなると思います」
キャスはリスの顔に見える背嚢を誇らしげに弾ませた。
空間を捻じ曲げることで驚異の大容量性を実現した背嚢『栗鼠ノ頬袋』――。
キャスの食べっぷりをヒントに作った魔道具である。
重力から切り離す仕組みになっているから、中に入りさえすればどんなに重いものでも軽々と持ち運ぶことができる。
俺が作った魔道具の中でも傑作のひとつだ。
「これのおかげでボクは冒険者になることができたんです」
キャスは『栗鼠ノ頬袋』に愛おしげに頬ずりした。
獣人は普通、身体能力が秀でている。
しかし、リスの獣人であるキャスは身軽ではあるもののパワーではほかの獣人に見劣りするものがある。
ギルドの採用試験にことごとく落ちて路頭に迷っているキャスを拾ってやったのが、3年ほど前の話だ。
「サグマさんには本当に頭が上がらないです」
「そうか? 小柄なのはメリットも多いだろう。狭いところに潜り込めるし、身を隠すのも容易だ。俺が手を貸さなくてもキャスはいい冒険者になれたと思うぞ」
「サグマさん……」
大きな瞳が石を投げ込んだ水たまりみたいに波打っている。
「あ、でも、今回求められるのは戦闘力なんですよ。だって、S難度ダンジョンですよ? 周りの皆さんに守ってもらう前提じゃダメだと思うんです」
まあ、一理ある。
ポーターは非戦闘員だが、身を守るすべは持っていてしかるべきだ。
「知ってますよ、サグマさん。シャックスさんの義足やフィオ姉さんの弓、今回の遠征に合わせてグレードアップしたんですよね? 二人ともめちゃくちゃ自慢してましたよ」
うむ。
シャックスの義足はつま先から魔力の爪――魔爪を伸ばせるようにしてみた。
シャノンの『猫灼爪』と似たようなものだ。
打撃に斬撃が加わって攻撃の幅も広がると思う。
フィオの弓も拡散矢を撃てるようにしてみた。
分裂した矢が広範囲に散らばることで面攻撃ができるようになった。
今度の遠征でも大活躍間違いなしだろう。
それがどうした?
「サグマさーん、ボクにもかっこよくて強い魔道具、作ってくださいよぉ。お願いしますぅ……!」
キャスはもちもちの頬を俺の手にこすりつけて上目に甘えている。
俺は普通に可愛いと思った。
孫におもちゃを買ってやりたい好々爺の気分だ。
一方、シャノンはというとキレそうな顔になっている。
「おい見ろよ、キャス。シャノンが感情を表に出すのはレアなんだ。近くで眺めてみようぜ」
「えっ、遠慮しときます。すっごく殺気みたいなの感じるので」
「賢明ですね、キャスナット様。私もサグマ様のお部屋を血で汚さずにすんで嬉しいです」
「ひぃ……」
キャスは尻尾を抱いて俺の陰に飛び込んだ。
「出発までには何か考えておいてやるよ。よかったな、今の俺は働き者モードなんだ。クソがァ」
「サグマさん! ありがとうございます!」
にぱぁっと笑うキャス。
その横から猫耳シスターが物欲しそうな表情で見つめてくる。
ついでに、シャノンの装備も作ってやるか。
俺がぐーたらできる日はいつ来るんだ?
悶々としながら俺は作業机に向かい合った。




