41話
「おはようございます、サグマ様」
朝。
目を開けた俺は金縛りにあったように身を固めた。
修道服姿の猫耳美少女が枕元に立って俺を見下ろしていたからだ。
ほのかに赤く光る縦割れの瞳孔には魔性の力みたいなものが感じられた。
「……」
「……」
ジーッと見つめてくるので、俺も負けじと見つめ返す。
そのまま、静かに時間だけが流れ、そろそろ5分が経つだろうか。
その間、そいつは一度たりとも瞬きをしなかった。
まあ、する必要がないのもあるが。
「おはようございます、サグマ様」
「おはよう、シャノン」
俺は目をそらさないように注意しつつ、体を起こした。
シャノンは『時はゆっくり』に籍を置くBランク冒険者だ。
第二パーティーで射手兼前衛――すなわち、遊撃手を担当している。
それが、なぜ俺の部屋でシスターの真似事などしているのだろう。
「マイヌ様は子供たちのお世話でお忙しいご様子でしたので、本日よりサグマ様のお世話は私が担当させていただくことになりました」
無表情かつ抑揚のない声でそんなことを言われた。
そういえば、いつもならマイヌが起こしにくる時間だが、姿が見えない。
なるほど。
妹に愛想を尽かされた愚兄が外部委託された構図か。
これは、辛い……。
「せっかくだが、俺は面倒見てもらわなければならないほど怠惰ではないぞ? なんだかんだ方々で躍動している気がするしな。まあ、面倒な奴ではあると思うが」
「私はサグマ様のおそばに置いてもらえるだけで満足です。サグマ様のことが大好きですので」
またしても無な顔でそんなことを言われた。
一向に瞬きしない目も相まって、一体何を考えているのか見当もつかない。
「ところで、サグマ様。なぜ私を睨んでいるのですか?」
「いや、先に目をそらしたほうが負けになる気がしてな。瞬きしても負けだ」
「それでは、サグマ様が不利では? 私は義眼です。瞬きの必要はありませんので」
言葉のとおり、シャノンの眼球は両目ともに義眼だ。
俺が作った魔道具の義眼である。
耳もそうだ。
頭の上でぴょこぴょこしている獣の耳は、猫耳を模したカチューシャ型の聴覚支援デバイスになっている。
「あれは、2年前。俺がまだ王都にいた頃の話だ」
俺は前フリもなく回想に入った。
シャノンと出会ったのは雨降る日の路地裏だった。
ボロ雑巾のような姿で打ち捨てられたシャノンを抱き起こした俺は思わず悲鳴を上げそうになった。
両目をえぐり取られ、耳を焼き潰された惨憺たる状態だったからだ。
「ころして……、ころして……」
血の涙を流しながら泣き続けるシャノンを背負って、俺は王都中の教会を回った。
しかし、聖職者たちは保護を拒み、殺してあげたほうがその子のためだ、と同じ文言を並べた。
仕方なくギルドに連れ帰ると、今度はエルドからそんな汚いものは捨ててこいと言われる始末。
結局、工房の隅で俺が寝ずの看病をし、代わりの目と耳を作ったのだった。
それを恩に感じて、孤児院の手伝いを買って出てくれたのだろう。
「あのときのことはよく覚えています。今の私があるのはサグマ様のおかげです」
表情こそ硬いものの、一言一言噛み締めるようなシャノンの言葉には深い感謝の念が感じられた。
「だよな。だから、お前は俺が気持ちよくスローライフを送るために全力で奉仕すべきだと思うんだ。具体的には俺のスロラを妨げるすべての者を排除してくれ。血ならいくら流してくれても構わん。殺戮のシスターと化し、敵を駆逐しろ」
「はい。承知いたしました。サグマ様のスロラを妨げる者は皆殺しです」
「それと、そろそろ目をそらしたほうがいい。俺が負けちゃうだろ」
「拒否します。サグマ様といるときはサグマ様のことだけを見ていたいので」
「じゃあ、俺のケツを見ろ」
「はい」
こうして俺は朝一番の勝負に勝ったのであった。
ああ、目が痛い……。
「ちょうどいい。新しい聴覚支援デバイスが完成したんだ。前より軽量化して感度も増し増しになっている。さっそく尻につけてみてくれ」
「お尻に、ですか?」
「ああ、今度のは骨伝導ではなくケツ伝導で音を聞く仕組みなんだ」
ジョーダンはさておき、俺は艶やかな黒髪から猫耳カチューシャを抜き取った。
途端にシャノンは不安げな顔になり、俺の服を掴んだ。
まだ音が聞こえなかったときのことが心の傷として残っているのだろう。
新しい猫耳をそっと頭に載せてやる。
「聞こえるだろう? 聞こえちゃならない声が。呪ッテヤル、呪ッテヤル……」
「いえ。でも、本当によく聞こえます。意識を向けた方向に耳が動くのですね。さすがサグマ様です。あと、サグマ様になら呪われたいです」
「ああそう。安心安全の10年保証だが、月に一度はコントさせてくれ。面倒くさいだろうけどな」
「コント? メンテのことですか?」
「それそれ」
「面倒くさくなんてありません。メンテのときは、サグマ様のおそばにいることができますから」
またまた無表情でそう言われる。
パチリともしない目は何を考えているのかイマイチわからない。
案外、何も考えていないのかもしれない。
俺だってそうだ。
朝起きて寝るまで生産的に脳を使うことなどほとんどない。
くらげみたいなものだ。
潮に乗って流れ、夜が来たら眠るのだ。
来なくても俺は寝るけどな。
ピクッ、と。
猫耳が窓のほうを向いた。
シャノンは珍しく感情をあらわにし、警戒心剥き出しの顔で窓の外を睨んだ。
猫ならシャアアアア、だ。
しかし、窓の外には何もいない。
強いて言うなら、尻尾の長い野良猫が1匹いるだけだ。
「ははーん。さては、尻尾が欲しいんだな?」
シャノンは猫耳をつけているが、獣人族というわけではない。
なので、尻尾も存在しない。
しかし、猫の目・猫の耳とくれば尻尾が欲しくなってもおかしくはない。
今度何か考えておくか。
「サグマ様、素敵なお耳をありがとうございます。ずっとおそばにいたいですが、私はこれから依頼がありますので、失礼いたします」
シャノンは丁寧に頭を下げて去っていった。
ほどなくして、こんこんと窓を叩く者が現れる。
客は酔いどれハゲ茶瓶ことジョルコジだった。
「よぉ、サグマ。今、シャノア……じゃねぇ、シャノンが来ていたみてぇだなぁ」
「なんだよ、ジョルコジ。スキットルに猫耳でもつけてほしいのか?」
「そんなんじゃねぇよぉ。ただ、オレっちはな、警告してやろうと思っただけだぁ。シャノンには気ぃつけるんだぜぇ?」
「というと?」
「なぁに、ただの『情報屋』の勘だよぉ。深い意味はねぇ……。だがな、サグマ。お前ぇは自分で思ってるよりでっけぇモンを背負った人間だぁ。そのことは忘れるんじゃねぇよぉ、ひっく……」
ふむ。
ジョルコジはあれで優秀な情報屋だ。
仲間を疑うのは気が進まないが、わざわざ警鐘を鳴らしてくれたのなら頭の隅には置いておこう。
俺自身、多少なりとも心当たりがある。
シャノンを保護したとき、彼女は黒塗りのナイフを所持していた。
衣服や靴にも隠しナイフを忍ばせていた。
目をえぐり取られるほどの何かが彼女にはあるはずだ。
シャノンは謎多き少女なのだ。
「たまには一緒に飲もうぜぇ、サグマぁ……」
「酒臭い。帰れ」
「ひっく、うぃぃ……」




