28話
水蒸気の煙幕が晴れる。
俺が見たギザギザの輪郭はどこを見渡しても見当たらなかった。
「シャックス、今の見えたか? かなりデカイのがいるぞ」
「おう! サグマにも見えたってことはオレの見間違いじゃねえみてえだな。足音がしねえ。奴め、姿を消す能力でじっとしているはずだ」
シャックスが偽空石の欠片を拾い上げて投げた。
しかし、石は何事もなく草むらに落ちていった。
「姿を消す魔物に心当たりは?」
「いや、そんな反則みたいな奴、聞いたこともねえ。少なくとも王都にはいなかったな」
ドッガルたちにも視線で尋ねるが、彼らも首を横に振った。
完全なる透明化か。
俺も魔道具で実現しようと悪戦苦闘したが、できなかった技術だ。
色を似せて背景に溶け込むことはできるが、動くと一瞬でバレてしまうのだ。
その点は、おそらくこの見えざる敵も同じなのだろう。
速く動きすぎれば景色が揺らぐはず。
今はどこかで息を殺し、こちらの隙をうかがっているのだ。
「くそ、腕が明後日の方向向いてやがる……」
ドッガルが大剣を杖にして立ち上がった。
「ペロッタ、カニス。お前ら、まだいけっか?」
「いや、宙吊りにされたときに肋骨を何本かやられちまった。もう戦えねえ……」
「右に同じだぜ……」
『四首犬の遠吠え』は6人中3人がダウンしている。
もはや戦闘続行は不可能だろう。
「チッ、逃げ帰るみてえで気は進まねえが、そもそもオレらの目的は調査だ。撤収するぞ。攻撃が止んでいる今がチャン――」
突然、ドッガルが黙った。
溺れているかのように腕をバタつかせている。
顔がまるでガラス板でも押し付けられているみたいに変形している。
透明な何かで顔を覆われているらしい。
「フィオ!」
「了解!」
無属性矢が立て続けに3発放たれた。
しかし、いずれの矢もドッガルのそばを素通りして遥か遠くに見える壁に突き刺さった。
「当たらないわ! 透明化って矢も透けちゃうの!?」
さすがに実体がないってことはないだろう。
どうも敵は何か細長いもので離れたところから攻撃しているらしい。
「俺に考えがある。フィオ、光の矢を射てくれ」
おそらく、敵は素早い動きはできない。
派手に動けば透明化にほころびが出るからだ。
なら、急に景色が変われば適応できずに姿を現すはずだ。
「よくわかんないけど、サグのアイデアならきっとうまくいくわ!」
フィオは力いっぱい弓を引き絞った。
「ピカピカフラッシュ!」
2本の矢がカッ、と光った。
草原が真っ白に染まり、光源の移動に合わせて影が時計の針のようにぐるりと回る。
大きな影が草の上を走った。
ほんの一瞬、小山のようなシルエットが見えたが、すぐに影ごと消えてしまった。
「バッチリ見えたぜ!」
シャックスがロープを断って突っ込んでいった。
人間離れした速度で跳躍し、
「うおりゃああああッ!!」
と、何もない空間めがけて飛び蹴りを放つ。
どごん、と空気が震えた。
シャックスの足を中心に波が広がっていく。
景色に波紋が広がって大きな輪郭が浮かび上がった。
土煙を上げて倒れたそれは、俺の目には巨大なカメレオンに見えた。
左右で独立して動くぎょろ目。
何色とも形容しがたい不気味な肌。
ギザギザに見えたのは頭の後ろに生えたトサカだった。
ドッガルの顔に巻きついていた長い舌が口の中に戻っていく。
カメレオンは巨体に似合わぬ細い四肢で音もなく起き上がった。
体が虹色に変色し、徐々に存在感があいまいになっていく。
あの特殊な外皮で景色と同化しているらしい。
俺は声を張り上げた。
「シャックス、気合の見せどころだ!」
「あの皮を焼いちまえばいいんだな! 任せろ!」
シャックスは息を吸い込んで胸を膨らませると、赤熱した義足を蹴り出した。
「『覇道を拓く気炎』あああああああああッ!!」
姿をくらましたカメレオンに炎の濁流が直撃した。
めくれ上がった外皮が焼き飛ばされるのが見えた。
カメレオンは意外にも俊敏な動きで熱波から抜け出すと、湿地でのたうち回って火を消した。
皮がべろりと剥がれ落ち、緑色の血を滴らせている。
もはや透明化はできないようだった。
「忽然と姿を消す冒険者の謎が解けたみたいだな」
ペロリといかれたのだろう。
問題はこいつをどうするかだが。
「姿を消せなくなっても、あのデカさは脅威だ。それに1匹とは限らねえぞ。撤収が無難だ」
ドッガルが苦しげにうめいた。
透明な唾液のせいで珍妙な髪型になっている。
「なら、オレたちがしんがりを務めるぜ。ま、うっかり倒しちまうかもしれねえがな」
「あんたたちは荷物を置いた場所まで退きなさい。サグ、あんたもよ!」
シャックスとフィオの背中が頼もしい。
俺はドッガルとペロッタをひょいっと肩に担ぎ上げた。
「な、なんつぅ怪力だ。こいつ……」
「下ろしやがれ! オレは荷物じゃねえぞ!」
「お荷物ではあるだろう。ロクに動けないんだから大人しくしてろ」
怪我人を中央に置き、動ける冒険者で周囲を固めて後退を開始する。
その間にもしんがり組は戦闘を進めていた。
フィオが氷の矢を連射し、カメレオンが怯んだところでシャックスが破壊的な蹴りを叩き込む。
長年組んでいるだけあって、さすがのコンビネーションだった。
姿を消せなくなったカメレオンはまな板の上の鯉も同じだった。
シャックスの稲妻じみた動きに翻弄され、目を回したところでフィオの矢が七色の雨のごとく降り注ぐ。
それでも、悲鳴ひとつ上げないのだから、なかなか気骨がある。
と思ったが、姿を消して忍び寄るという性質上、鳴き声を上げる習慣がないのかもしれない。
どうでもいいか。
「奴ら、なんて戦い方してやがる……」
「速ぇ……。あんな動き、Aランカーのオレたちにもできねえぞ。これじゃまるで奴らがSランカーみてえじゃねえか」
撤退も忘れて眺めているうちに勝負に決着がついてしまった。
片目を潰されたカメレオンは文字通り尻尾を丸めて逃げ出した。
「奴め、逃げやがったぞ! 無駄に速えな、トカゲ野郎の分際でよぉ!」
「いや、遅いな」
予想以上の瞬足で遠ざかっていくカメレオン。
しかし、シャックスは楽々と追いついてみせた。
横っ腹に強烈な一撃を叩き込んで蹴り倒すと、こちらを振り返った。
「フィオ、トドメは譲ってやんよ」
「遠慮はしないわよ? 最ッ強の必殺技でフィニッシュを飾らせてもらうわ!」
フィオが銀の矢を番えると、弓は紫電をほとばしらせた。
「それじゃ、――おやすみ!」
カメレオンが爆発した。
緑の血肉が雨となってザアアアアと降る。
巨体を貫いてなお矢の勢いは衰えなかったらしい。
草原にまっすぐな線を引いて、1キロほど先の壁に大穴を穿っていた。
「あ、ぁあ……」
ギャグみたいな驚き方をしたドッガルたちがペタンと尻餅をついた。
まあ、驚くわな。
俺も驚いている。
そこそこ実力のある冒険者が俺の魔道具を使うと、こういうことになるのかと。
やはり、魔道具を作れることは内緒にしたほうがいいだろう。
悪人の手に渡ったら大変だ。
「……」
ふと、背後に何か重いものが動くような気配を感じた。
俺は振り向きざまに『無を刻む剣』を振り抜いた。
伸縮自在の黒い刃が虚空をなでる。
何の感触もなかった。
だが、宙には線が引かれている。
線から緑の液体が湧き水のようにあふれ出した。
地響きを立てて何かが倒れる。
1匹とは限らねえ、というドッガルの見立て通り、2匹目がいたらしい。
「サグマ、何があったんだ!?」
「大丈夫、サグ!?」
「俺はなんともない。どうやらもう一体いたらしいな」
「それがなんで真っ二つになってんだよ」
「さあな。夫婦のようだし、伴侶の死を嘆いて自刃したんじゃないか?」
「魔物って自刃するのか……」
「自刃したとしても真っ二つにはなんないわよ!?」
まあ、いいじゃないか。
3匹目がいないとも限らない。
よい子はそろそろおうちに帰る時間だ。




