18話 シャックスエルク
「まずいぜ、こりゃ……」
シャックスエルクはドブの中に片膝をついて硬質な脚を危ぶんだ。
「歩くたびにギィギィ言いやがる。あと2、3発でも蹴りを入れりゃ、粉々に砕けちまうぞ……」
「あんた、どこなでてんのよ。そこ、膝じゃなくて肘じゃないの」
「……ぁ? お、おう」
「しっかりしなさいよ、もう」
フィオレットのあきれ果てたような指摘を受けて我に返る。
度重なる魔物の襲撃に加えて重度の魔力酔いだ。
だいぶ憔悴しているらしい。
シャックスエルクは頭をぶんぶんと振って朦朧とする意識を振り払った。
「チッ、サグマの奴は、10年は壊れねえって豪語してたのにな。あの触れ込みは嘘っぱちだったのかよ」
愚痴をこぼすと同時に冷ややかな感情が胸の中に広がった。
「……いや、違うな。サグマは何も悪くねえ。オレの使い方が悪りぃんだ」
魔動義足『難関走破』の秀逸さは誰あろうシャックスエルクが一番よく理解していた。
誰よりも速く駆け、誰よりも高く跳べる魔法の脚。
これがあったからこそ、ここまで来ることができたのだ。
「乱暴な蹴り技の多用で義足の寿命を削っちまったんだろうな。もう、いつバキッといってもおかしくねえ……」
「あたしの弓も強射のしすぎで弦が切れそうだわ。力任せにバッカンバッカン撃ってたツケが回ってきたのね」
「依頼が終わってからサグマに見せようと思っていたんだがな。裏目に出たぜ」
「あたしたち、完全に舐めていたのよ。ベルトンヒルのダンジョンは王都とは比べ物にならないわ。あたしたちが挑むには早すぎたのよ」
フィオレットはすっかり戦意を失っている。
矢も残すところわずかとなり、戦闘継続は難しそうだった。
出口は見つからず、体力も底を突きかけている。
「少し休むか」
崩れかけただだっ広い石室で足を止め、シャックスエルクは魔動ランタンのつまみを回した。
オレンジ色の暖光が蛍の光に似た淡い緑色に変わっていく。
森の中で木漏れ日を浴びているような心地よさを感じて、胸の中に安堵感が広がった。
『癒やしの燈籠』――。
光に触れた者にヒーリング効果をもたらすだけでなく、魔物が嫌う波長の光で束の間の安全地帯を作り出す照明魔道具だ。
これもまた、サグマが作ってくれたものだった。
「相変わらず、便利だよなぁ」
ツマミひとつで光源を得られ、光の強弱も思いのまま。
どういう仕組みなのかは不明だが、周囲の魔力を吸い取って半永続的に発光するらしく、油や光の魔石と違って頻繁に交換する必要もない。
おまけに、強い閃光を焚いて目くらましができたり、投げても壊れなかったりと、すっかりダンジョン攻略には欠かせない一品になっていた。
ここまで、なんとかやってこられたのもサグマの魔道具のおかげだった。
「フィオ、お前ひっでえ格好してんな」
「自己紹介ならいらないわよ?」
そう言われて初めて自分の有様に気がついた。
あちこち泥まみれで、衣服はボロボロ。
武具は砕けて剥がれ落ち、素肌は無数の生傷で目も当てられない状態だ。
「こんなにひでぇのは、あのとき以来だな……」
記憶にあるのは4年前のことだ。
まだ駆け出しだった頃、薬草採集の簡単な依頼のさなか、不運にもS脅威度魔物『怪奇狼』に出くわした。
両脚を食いちぎられ、出すものを全部垂れ流しにして半死半生で王都に担ぎ込まれたのだ。
そして、サグマと出会った。
そこからはサクセス・ストーリーだった。
王都トップレベルのギルドに籍を置き、筆頭パーティーの2番手として華々しい活躍をした。
通りを歩けば誰もが道を開けた。
町一番のワルを気取っている小悪党たちも亀みたいに首をすぼめて機嫌を取ってくれた。
なんて自分はすごいんだ。
いつしか、そんな風に考えるようになっていた。
「おい、サグマの言葉を覚えているか?」
シャックスエルクは隣で膝を抱えるフィオレットに問いかけた。
『こうして見ると、みんな意外と普通の冒険者って感じだな。俺はもっとこう、獰猛な狼みたいな連中だと思っていた』
あの言葉が不思議と頭を離れなかった。
「サグマにはわかっていたんだな。オレたちの等身大が。あいつの言うとおりだ。オレたちは獰猛な狼なんかじゃなかった。チワワだ。自分をデカイ犬だと勘違いした馬鹿なチワワだ」
最難関ダンジョンの中層域で身動きもままならなくなってようやく認めることができた。
「オレたちは弱ぇ……。サグマの魔道具がなけりゃ何もできねえ雑魚だ」
「あたしもそう思うわ。もっと早く気づけていれば、こんなところで死ぬこともなかったのに」
「諦めんのは早ぇぞ。おら、元気出せよ。頭なでてやっから」
「それ、あんたの膝よ。だいぶ酔いが回ってるわね」
魔動ランタンの色合いが緑からオレンジへと変わっていく。
「ヒーリング・モードは終了だ。再チャージまでの10分間、どうにか魔物どもをやり過ごすぞ」
シャックスエルクは異音を立てる脚で立ち上がった。
「どうして逆立ちしてんのよ、あんた」
「さすがにしてねえよ。お前もだいぶ酔ってるみてえだな」
「そうね。何もかも歪んで見えるわ……」
フィオレットはシャープな顎を手の甲でこすっている。
本人はまぶたをこすっているつもりらしい。
「よォ、お二人さん。いい感じにグロッキー状態だなァ」
唐突に声がかかった。
冒険者風の男たちが3人、こちらに近づいてくる。
最初は魔力酔いが見せる幻かと思ったが、その姿にも反響する声にもたしかな存在感があった。
「うおお、助かった……! すまねえが出口まで案内してくれねえか? オレたち、だっせえことに遭難しちまったみてえでな」
「そりゃ災難だったなァ。こんなとこじゃ泣けど叫べど助けなんか来ねえかんなァ、絶対にな」
歪んだ視界の中で男の顔に焦点が合う。
その顔には見覚えがあった。
「オルゴ……」
「おう。昨日ぶりだなァ。悪りィな、助けじゃなくてよ」
薄暗い笑みを浮かべ、オルゴは剣を抜いた。
「ンギ――」
小さな悲鳴の直後、全身に生温かい液体が降りかかった。
斬られたのかと思った。
だが、どこにも痛みを感じない。
なぜか、男が一人消えていて、オルゴの横に赤い水溜まりができていた。
「なんだ!? ――ギャ」
もう一人の男が突然吹き飛んだ。
腹の辺りで二つに裂けた男が石壁に叩きつけられて真っ赤な花を咲かせた。
オルゴがギョッとして振り返った。
そこには、身の丈5メーターはあろうかという巨大な影がそびえていた。
2本の脚で立つ、単眼の牛鬼。
肩の上に担いだ巨大な斧から鮮血がびたびたと滴り落ちていた。
その名も『狂魔牛鬼』――。
それは、絵巻物でしか見たことがない脅威度Sの魔物だった。
「う、嘘だろォ。深層のバケモノがなんでこんなところに……」
そんな言葉を遺してオルゴは斧の下敷きになった。
赤い果実が爆ぜたように血肉がまき散らされる。
あのしたたかだったオルゴが逃げることさえできなかった。
圧倒的な絶望が2本の脚でそこにたたずんでいた。
シャックスエルクとフィオレットは抱き合うようにして後ずさりした。
巨岩のごとき大斧が振り上げられる。
もはや逃げようという気力さえ湧いてこなかった。
斧が天井を切り裂きながら落ちてくる。
シャックスエルクは固く目を閉じた。
『シュゥゥ…………コォォ…………』
大岩が落下するような轟音にまじって、不気味な息遣いが聞こえてきた。
薄く目を開けると、誰かが立っているのが見えた。
顔は仮面で覆われていて見えない。
だが、シルエットは男のようだ。
「嘘……だろ」
仮面の男は片手で大斧を受け止めていた。
まばゆく輝く右手がガウグロプスに向けられる。
『シュコォォ……掌中焼灼…………』
視界が真っ赤に染まった。
石室を猛烈な熱風が駆け抜ける。
爆風と砂埃が収まったとき、まだガウグロプスはそこに立っていた。
その胸には巨大な風穴が穿たれ、その向こう側に見える天井にも赤い大穴があいていた。
そこから、赤熱するマグマが流れ落ち、炎の滝を作っている。
何が起きたのか、およそ理解できなかった。
ただ、シャックスエルクの目に映る仮面の男の後ろ姿は、ガウグロプスなどよりよほど巨大に見えたのだった。




