14話
負けた後、5分経ってもシャックスは立ち上がろうとしなかった。
アリの研究者みたいに石畳を見つめている。
フィオもかける言葉がないらしく、耳を垂らして黙りこくっている。
陰気なのは苦手だ。
アンモニア臭いのもな。
俺はとりあえず用水路で水を汲むことにした。
水がなみなみと入った桶でシャックスの頭を殴る。
「いっでえ!? なにしやがるんだサグマ!」
「いや、お前の髪、オシッコ臭いだろ。水をかけてやろうと思って」
「じゃあ、かけろよ! なんで殴るんだよ!」
「なんでって、桶でだけど?」
「なにでじゃねえよ。なぜのほうだよ!」
「まあ、落ち着けって。ほら、パンツ脱げよ。拭いてやるから」
「漏らしたわけじゃねえよ。漏らしても自分で拭くっつの」
なんだかんだ顔を上げてくれてよかった。
俺は頭から水をかぶった。
「なんでお前が水かぶってんだよ……。ったく」
俺に愛想を尽かしたシャックスは用水路に飛び込んで頭をバシャバシャし始めた。
「しかし、いくら洗っても、かいた恥までは洗い流すことはできなかった」
「喧嘩売ってんのか、てめえ」
ガチめに睨まれたので、もうこのくらいにしておいてやる。
「くそ! 信じられねえ。王都じゃ負けなしのオレがBランカーごときに……」
「あんた、殴ってばかりで義足を使わなかったじゃない。剣士が剣を使わなかったようなものよ。仕方ないわ」
「向こうだって剣を抜かなかっただろ。悔しいが負けたんだよ、オレは」
シャックスは力任せに水面を叩いた。
「あの野郎、ぜってーBランクなんかじゃねえ。オレと同じSランカーに違いねえんだ。チクショー、酔ったフリなんかしやがって」
「そう、かしら」
フィオは微妙な顔をしている。
力の差は歴然だった。
しかし、オルゴはSランカーという風体ではなかった。
少し腕に覚えのあるゴロツキ。
俺の心象だとそんなところだ。
実力はA寄りのBランクといったところだろう。
「まあ、すんだことだろ。漏らしたことはしばらく黙っておいてやるから、早く上がれよ、シャックス。風邪引くぞ」
「だから、漏らしてねえって。つか、しばらくってなんだ? いずれは話すつもりなのか!?」
こんな面白いこと、俺が話さずともすぐに町じゅうの噂になるだろう。
シャックスを水揚げして組合本部に戻る。
あんなことがあった直後だが、依頼を受ける予定に変更はないらしい。
「よく顔が出せたな。あの便器頭」
「あれだけ派手に負けたのにな。オレだったら泣きながら夜逃げするぜ?」
「それがよ、あいつら分不相応にも川沿いの立派な豪邸をギルド本部にしたらしいぜ?」
「あー、依頼こなさなきゃ借金地獄一直線なんだな。弱ぇくせに頭まで空っぽかよ。笑えねえ」
と、冒険者たちの反応は実に残酷だ。
シャックスは奥歯をギリリと噛み鳴らした。
「舐められたままじゃ終われねえ。オレたちの実力を示さねえと。最難関ダンジョンに潜るぞ、フィオ」
「あたしたちでその……大丈夫かしら?」
「大丈夫ってなんだよ? オレらはSランカーなんだぞ?」
「そう、ね」
話はまとまったらしい。
止めたほうがよさそうな気もする。
だが、シャックスはたぶん耳を貸さないだろう。
「どういった依頼をご希望ですか?」
例の美人受付嬢が何事もなかった風に切り出してきた。
気を遣ってくれているらしい。
「俺ならこんな惨敗濡れネズミが来たら笑い転げるぞ。ブフフ、あの子、すごくイイ子だな。さすがシャックス。女を見る目がある」
「サグマ、いい加減その眼鏡外せよ。万倍腹立つんだよ、お前がそれつけてっと」
シャックスはトマトみたいに赤面している。
「お、オレ、おかしいなぁ。あはは。あんな派手に負けちまって。腹でも壊しちまったのかな。いや、朝からちょっと調子がな。普段ならあんな雑魚、ちょちょいのチョイなんだがな」
受付嬢氏がせっかく触れないでくれているのに、自分から持ち出すんだもんな。
傷口が広がるだけだと思うぞ。
でも、シャックス君、俺にはわかるよ。
俺も王都にいた頃、人さらいからフィオを助けようとしてタコ殴りにされたことがある。
女の子の前で恥をかくのが一番辛いよな。
「でも、大丈夫だぞ。恥が死因で死んだ人間は古今東西どこにもいない。死ぬほど惨めでも死なないんだよ。人体の神秘だな」
「もう黙りなさいよ、サグこの! シャックスが死んだらあんたのせいなんだからね! このこの!」
フィオに首を絞められたところで、この日はお開きとなった。




