6月
裁判の流れとかよう分からんのでご了承を。
東京地方裁判所 第一審
スマイルは傍聴人と弁護側、検察側、そして裁判所の人達が待つ法廷にニコニコしながら入ってきた。彼の危険性を考慮して、警官が三人も側についている。そして最後に、裁判官が入廷して全員が起立した。興味本位で来た傍聴人や陪審員に、緊張が走る。唯一スマイルだけは、呑気に朗らかな笑みを浮かべていた。
着席して、最初に裁判官から人定質問がされた。
「被告人、氏名を述べてください」
「スマイル」
両手の人差し指で口角を上げて笑顔を作ったスマイルはそう言った。裁判官の手元の書類にはスマイルの本名はちゃんと記載されている。しかしスマイルは、決して本名を名乗ることはしなかった。進行に支障をきたすと判断した裁判官は、そのまま訂正せずにスマイルと呼称することにした。
「では検察側は、起訴状朗読をお願いします」
検察官が立ち上がり、起訴内容の書かれた書類を読み始めた。
「被告人は、今年2月某日に〇〇株式会社主催のイベントにて、出演者である男性を白昼堂々と殺害しました。よって、検察は殺人として被告人を起訴します」
誰もが、この裁判の注目点は有罪無罪ではなくスマイルの立ち回りや言葉と確信していた。現行犯で逮捕されたスマイルは、どう考えても有罪だろう。無期懲役、最悪の場合死刑まであり得る。問題は、心神喪失で無罪になるか否かだ。
この場には遺族も出廷しているため、そんなことになればやらせないだろう。傍聴人も陪審員も少なからずそう思ってしまうほど、低い柵の向こうに座る男は兇悪なのである。
検察官が黙秘権の告示をしているなか、スマイルは口に×印を作ってふざけていた。検察官に怒りの情が少し湧いたが、静粛であるべき法廷で怒鳴ってしまえば心情が悪くなってしまう。検察官は怒れどキレることはなかった。
検察側の立証は、正直誰が聞いても蛇足であると思わざるを得なかった。なぜなら、当件は多くの目撃者や写真・動画で撮影されるような公衆の面前で堂々と殺人が起きたのである。犯人は凶器を捨てることも逃げることもしなかったため、200%スマイルは裁判で有罪判決が下る。これ以上ない出来レースだ。
弁護側はもちろん心神喪失を主張した。まず、本件に凶器を用意すること以外の計画性がない点を指摘した。もし今回の殺人が計画的にならば、逃げる算段を用意しているだろうし、何よりイベント会場で凶行に走ることもなかったはずだ。
井幡は、当然裁判所にそう主張した。
「以上のことから、被告人は心神喪失による無罪、もしくは精神状態を考慮した上での刑罰の軽減を求めます」
弁護側である以上は仕方ないが、傍聴人は誰も井幡に耳を傾けたり共感することはなかった。無罪を勝ち取る気は最初から無いとはいえ、少しの孤独が心を締め付ける。
そうこうして案外スムーズに裁判は進行していき、初めて被告人であるスマイルが発言できる被告人質問の時間が来た。これは、被告人自らが答えるのであれば質問が可能というプログラムである。
待ってましたと、検察官は立ち上がって容赦なく壇上に立つスマイルに尋問した。
「スマイルさん。貴方は取り調べで"動機は彼の発言が問題だったから"という旨を述べたそうですね。何故、そのようなことで人を殺したんですか?」
検察官の言葉が聞こえているのか分からないような、虚ろかつ不気味な目をしていたスマイルの口が開いた。一般人も記者も彼の発言に耳を澄ませる。
「今日はもう飽きたからまた次回にしようぜ」
「・・・・・・・・・は?」
誰もが、検察官と同じ心情だった。質問を無視して、今日の裁判を閉廷しろと言ったのだ。ボルテージが一気に下がっていくのを感じる。ここが裁判所でなければ、猛烈なヤジが飛んできていたに違いない。そんな彼らに代わって反応したのは、他でもない検察官だった。
「今、なんて言った?」
「今朝ちゃんと綿棒で耳掃除してきた? 今日はもうやめようつったの!」
子供のわがままを宥める母親のような口調だ。明らかに不真面目であるが、スマイルが言っているだけに何か裏があると深読みしてしまう。記者たちは気持ちを切り替えてこの意味不明な言葉すらしっかりメモしたり密かに録音していた。
「それに俺、腹減ってきたしさ。もしまだ裁判続けたいんなら飯の時間にしようぜ。あ、俺おろしポン酢牛丼がいいから出前よろしく〜」
狂っているのか、それとも信じられないくらい阿呆なのか。彼の一挙手一投足に周りの人も狂わされそうな、そんな胸の内に何かが蔓延る違和感があった。
「裁判長、被告人は裁判を冒涜しています」
「見りゃ分かることをいちいち聞かなくていいっすよ裁判長〜」
どんどんと、場は混沌に呑まれていった。人の罪を裁く裁判所が、あっさりとスマイルが演じる舞台のようになってしまっていた。ほぼ独壇場と言ってもいい。特に傍聴人たちは、本当に演劇を魅せられているような錯覚に陥っていた。巷を騒がせた殺人事件の犯人が織りなすトークショーに、誰もが異界に引き摺り込まれていたのだ。
「さあさあ皆様、どうせなら私に確定的な死を与えてみませんか!? 最高裁までもつれ込んで、私に揺るぎない処刑への切符を叩きつけようではありませんか!」
「本日の裁判は閉廷!」
場を乱すだけ乱したスマイルは警官に連行されていく。爆笑しながら去っていく彼を見ていた者は、明らかに狂っていると確信した。なぜなら、日本の歴史上で、こんな法廷の場であそこまでやった人物は一人もいなかったのである。如何なる殺人鬼も、この法廷で怒鳴ることも、奇行に及ぶこともなかったのだ。しかし、彼は違う。彼だけは絶望的に精神が破滅していた。
扉の奥に消えていくスマイルが、最後に井幡の方に振り向いた。そのニヤけた顔は、まるで「弁護側の主張通りに踊ったな」と言っているようであった。
半沢直樹が裁判所で弁護士やってたら超面白いよね