表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

4月

ジョーカーの映画観た?

笑えるね。

「拝啓、白い骨粉になったお母さま。病院では今日も今日とて、閑古鳥と統合失調症の静香さんがサイレント我慢対決をしていたよ。どっちが窒息するか賭けないか

?」


 意味ありげで意味のない冗談を言って、彼は一人で笑っていた。穏やかな笑いではない。何か薬かガスを吸引しておかしくなってしまったような、そんな壊れた笑いだった。黒髪で少し痩せ型の男は、面会室であるにも関わらず完全に巫山戯ていた。今はまだ昼で、窓からも光が差し込んでおり、LED照明も部屋を明るく照らしてくれている。なのに、彼の周りだけは薄暗く見えた。

 この矯正施設で、弁護士が彼と会うのは初めてだ。ここは日本で数少ない精神障害を患った犯罪者が収容され、治療を受けている病院なのだ。

 普通なら精神異常者は無罪扱いとされるため弁護士が来ることなどない。しかし彼は違う。彼はまだ裁判で公式に精神異常だと決まっていない。故に、彼の対面に弁護士が座っている。弁護士でありながらギャルのように髪を金に染めメイクも決めた、若い20代の女性。彼女が彼の担当弁護士である井幡希(いばたのぞみ)だ。普段から決して金髪なわけではない。この髪やメイクは、彼に少しでも興味を持ってもらい、話しやすくするためだ。


「どちらも窒息せずに明日を迎える、に賭けましょうか」

「第三の選択肢か。ギャンブラーだねぇ。なら俺は―――」

「賭けても意味ないですよ。貴方の言う患者が仮に窒息しても、それを確かめる方法はありません。何故なら、その患者は貴方が寝ているのとは別の棟に収容されていますから」

「あはははははははははは! 鋭いツッコミだ! 何て鋭利なんだろうか。先端恐怖症もビビっちまうよ」

 「そもそもソイツはサイレンヘッド並にうるさかったっけなぁ!?」と、胸に手を当てて刺されたフリをして爆笑する彼。そもそも静香なんて患者はいない。彼が勝手に彼女に付けた皮肉たっぷりのニックネームである。


 目の前で机を叩きながら陽気に笑う彼も、ここに収容されている以上、ただの犯罪者ではない。彼はネットコンテンツの会社が開催したイベントで、アンチの多い配信者がステージに登場して聞くに堪えない罵詈雑言を吐きまくっていたのを見ると、隠し持っていたスマホと細いナイフを合体させた奇天烈な凶器で、彼の口内に突き刺した。演者は即死し、残りの演者も客も逃げたり写真や動画で撮影していた。彼は口に突っ込んだスマホを操作して、場に似つかわしくないクラシックを流した。マイクを彼の口に近づけて固定し、最初に放った一言は


「ご覧ください。彼が人生で初めて、口から美しさを発した歴史的瞬間です! はい拍手〜!」


 その後、警備員も警察も急行し、彼は抵抗することなく笑顔で大人しく連行された。動画はSNSや報道番組で連日流され、今でも褪せることのないトレンドとなってしまった。

 そんな危険人物が、ニヤニヤしながら椅子に拘束されている。若くして弁護士になったとはいえ、キャリアの浅い井幡にはかなり刺激の強い人物だ。

 彼と呼称しているが、彼は本名を名乗ることを嫌っている。初対面の時に「"スマイル"と呼んでくれたまえ」と彼が言った。本名も出身も井幡側は把握しているが、刺激する意味がない以上はスマイルと呼び続けることにした。


「前に話した時に動機をお聞きしましたが、本当にアレでいいんですか?」


 スマイルが警察や井幡に打ち明けた最初の動機は、単純にして理解し難いものだった。


「面白くなかったから」


 スマイルの口から淡々と、夕飯のメニューを聞くかのようにサラッと告げられた動機に、声も出ない者もいれば、激昂する者もいた。特に胸ぐらを掴み上げて怒鳴り散らしてきた警官にも、彼のスタンスは一切ブレなかった。


「殴るなら顔じゃなく手にした方がいいぞ。顔だと脳が揺れたりして頭が鈍くなっちまうからね。神経が集中してる手とかを叩き潰した方が効果的だ。ほら、まずは実践してみよう。なに、恐れることはない。子供の頃にヒトデを潰した時と同じようにやればいいのさ」


 異常以外の言葉が見つからなかった。ついさっきまで強気に当たっていた刑事は、人間ではないかのようなスマイルにすっかり気圧されてしまい、そこからは優しい尋問だった。殴ったところで彼は笑ってジョークを言うだけで、その声を聞くだけで自分の何かが狂ってしまいそうだと言ったのは、最初に彼を突き飛ばした警官の証言だった。


「それよりも、どうだい外の世界は? こっちじゃテレビは一応観れるんだけど、外でミュージカルやクラシックは流行ったかい?」

 どうやらスマイルは、自分の犯行の影響で世間でクラシックや演劇が盛んになったか聞きたいようだ。

「・・・正直言うと、成功ですよ。公演するような大きな楽団や劇団はともかく、小規模だったりネットで開演している劇団たちでは、貴方の事件や言葉は影響を与えています」

「ひょほほほほ〜う! それはエンターテイナー冥利に尽きるね! 今度会ったらサインとツーショット撮ってあげなきゃ」

 本気でそう思っているのか、口に出していっているだけなのか、精神科医でもメンタリストでもない井幡には開幕見当がつかない。

 だが、()()()()()。障害など関係なく、彼はそういう存在だと理性でも本能でも分かる。素人ながらも、彼は治療不可能ではないかと思わせる。そんな、どうしようもなく何かが欠けている人間なのだ。


「自身の責任能力や殺人に対する抵抗は・・・聞くまでもありませんがお聞きします」


 井幡はメモにペン先を添えて、いつでも速記できるよう構えた。対するスマイルは、タバコを吸うかのように人差し指と中指を唇に添えて、細く息を吐いた。


「責任って何?」


 まず最初に、哲学的な返答が返ってきた。


「あー待て待て、言わんでも分かる。責任は成さねばならない義務であると。だが、俺が無責任?

そんな訳ないだろう」


 意外にも、彼は自分に責任能力があると主張してきた。だがそれでも井幡は気を許さない。目の前にいるのは形のないトリックスターのようなものなのだから。


「責任能力がなかったら、俺はこの施設に入ってないし、治療だって受けるわけがないだろう?

むしろ、責任能力がないのは外で歩いている二足歩行の人型知的生命体じゃないかい?」

「一般人のことですか」

「んん・・・例えば、あるアーティストとか俳優とか芸人とか、そーゆうのが好きだとしよう。俗っぽく言うと推しって奴だな。その推しが、不祥事をやらかしたり俺みたいに人を殺したりしたら、誰もが手のひらを返して嫌いになり離れていく。それって無責任だと思わないか?」


「誰もが、好きになった責任を負おうともしないんだぜ?」と声は愉快そうに、でも目は笑っていなかった。

 彼は人の内面や矛盾を、愉快と思う反面不愉快だとも感じているらしい。僅かながら、彼の人間らしい部分が見れただけでも収穫だ。


「そろそろ給食の時間じゃないか? はやく行ってやるといい。生活習慣病の子供が増えるぞ」


 またもや冗句を言いながら職員と共に退室したスマイル。井幡はこれからの長い戦いを悟り、無音のゴングが鳴り響いた気がした。

悲劇もまた喜劇

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ