059『英雄』
賢者は、劣勢に追い込まれていた。
彼女の額からは血が流れ、片目を額からの流血で潰している。
魔力は過半が尽き、息は荒く、肩で息をしているのが目に見える。
「……驚いた。純粋に驚いたぞ賢者。よもや、俺よりも強い人間が存在するとは、考えもしていなかった」
無傷のナラクは、驚いたように呟く。
その姿に賢者は苦笑を漏らすと銀色の前髪をかきあげた。
「全く……、これでも二十回は殺した手応えあったんだけどなー。不死なのかい? 或いはそれに迫る回復能力か、もしくは……」
「おそらく、その最後だろう」
彼の言葉に、賢者は苦笑する他ない。
災厄の王ナラクは、キメラの魔物である。
今でこそ人の姿をとってはいるが、その本質は変わらない。
無数の魔物、無数の生物、数多の命をその身に取り込み、寿命を増やして永遠を生き続ける化け物の中の化け物。
その肉体は、取り込んだ全ての【命】を殺しきるまで止まることはない。
「参考までにいいかな? 幾つあるんだい?」
「つい先日、10532体目を記念したな。今しがた23を殺された手前……残数は【10509】か。頑張れ賢者。守りを捨てれば勝てるやもしれん」
「……嫌な性格してるよ。僕の嫌いなタイプだ」
正直なところ、勝機は見えている。
何も考えず、倒すことだけに集中すればおそらく勝てる。
純粋なレベル差で押し切れる。
その代わり……守っている人は全員死ぬけれど。
賢者は、周囲へと視線を向けて歯噛みする。
戦闘の余波により、歩くこともままならない重傷人たち。
その中には国王ゼスタを含め、カルマ王子、ナグラス王子、聖女マナ・エクサリアの姿もあり、そのうちほとんどが意識を失い、気絶している。
「くっ、賢、者……」
「国王陛下! 動いてはいけません……っ! お怪我が……」
その中でも、辛うじて意識があるのは国王ゼスタ。
しかし、彼の体は血に染まっており、同じく意識のあるマナ・エクサリアが重傷の国王へと声をかける。けれど、決してマナの怪我が軽いわけでは無かった。
「マナ君! 君も動かないこと……ッ! 傷負った上に。片足が潰されてるんだ……! それ以上動いたら本当に助からなくなるよ!」
「そ、れは……っ」
マナの腹部には、赤い染みが広がっている。
加えて崩れ落ちてきた瓦礫によってマナの右足は完全に押し潰されており、出血量から見ても、彼女が一番危ういのは間違いない。
たとえ助かったとしても……間違いなく後遺症が残る。賢者は思わず歯噛みし、それを見ていたナラクは小さく呻いた。
「……ふむ。十分に力の発揮できない貴様と戦うのも飽きてきたな。そこまで守る守ると宣うのなら……いっそ先に殺してしまおうか」
「ひ――っ」
ナラクの視線がマナを貫く。
「……ッ、やらせると思うかい!」
「あぁ、やるとも賢者」
賢者が腕を振るうと、虚空に浮かび上がった魔法陣から無数の氷が産み落とされ、とてつもない速度でナラクの身体中を穿ち貫いた。
しかし、倒れない。
命がたった一つ削られただけ。
穿たれた穴は一瞬で埋まり、何事もなくマナへと左腕を向けるナラク。
「こ、この――」
「……貴様は、そこで見ていろ賢者」
すぐさま駆けつけようとする賢者に対し、ナラクは右腕を払う。
駆け抜けた黄金色の光線は背後の国王たちを巻き込む弾道だ。賢者は咄嗟に結界を張ってそれを防ぐ。……が、同時にひとつの『死』が確定した。
「さて、まず一人」
ナラクは楽しげな笑みを浮かべて、マナへと視線を向ける。
掲げた掌に黄金色の魔力が集う。
「あ――」
それは、誰が漏らした言葉だったか。
賢者が間に合う距離ではない。
マナにそれを回避する余力はない。
ナラクに人殺しの忌避感などない。
どう足掻いても、無意味が確定した。
(ここで、死……)
その瞬間、その刹那。
少女の中に生まれたのは、膨大な恐怖。
そして、一握りの願いだった。
(……我らが、神よ)
マナは、瞼を閉ざして神へと願った。
黄金色の光線が放たれる。
瞼越しに眩い光が到来し、彼女は祈る。
(こ、この国を……どうか、お守りください)
目の前へと死が迫る。
彼女は瞼をきつく閉ざして――次の、瞬間。
彼女の前に、影が躍り出た。
「――召喚、術式ッ!」
どこかで聞いたような、声だった。
気がつけばマナのすぐ隣を黄金色の光線が通り過ぎてゆき、壁を突き破って彼方へと飛んで行ったそれを振り返り、マナは目を見開いた。
「……あ、あなた……は!」
「――貴様、ソーマ・ヒッキーか」
風になびく青いローブ。
身体中から汗を流し、魔力欠損の症状を現し。
息を切らせ、肩で息をしながら。
どこにでも居そうな一般人が、そこには立っていた。
「……以前見た時より、何かあるとは思っていたが……。なんだ、その力は。俺の一撃が歪んだ……いや。移動した?」
「はぁっ、はぁっ……、もしかして、ゴブリンキングの時、悪知恵吹き込んでくれた野郎か? ……随分好き勝手やってくれたな、おいコラ」
そう言いながらソーマは背後のマナを振り返る。
対する彼女は、考えるより先に疑問を漏らしていた。
「な、何故……ここにッ」
「ん? 何故って……そりゃあ」
マナは、ソーマに嫌われている自信があった。
他でもない、自分がこの男のことを嫌って来た。幾度となく暴言を吐き、時に部下に襲わせたこともある。仲間を引き抜こうとしたこともある。およそ、自分はこの男にとっての『最悪』だったと思う。
それ、なのに……。
「お前に死なれちゃ、後味悪いからな」
彼の告げた、曇りなき『本音』に、不思議と涙が溢れた。
彼女は頬を流れる涙をそのままに、ソーマを見上げる。
ソーマはマナの顔を見て苦笑を浮かべると、前へと向き直り、一歩踏み出した。
「だから、生きろ。僕のために」
その背中は、決して大きくなんてない。
頼もしくなんてない、風格なんてない。
それでも、皆が恐れ、膝を屈する『窮地』に進み出るその姿は、どこまでも神話における【勇者】の姿に重なっていた。
「ソーマくん……君は、やっぱり――」
「賢者、みんなを頼む」
ソーマは拳を握り、無理矢理に笑う。
目の前の格上を睨み据え、自信満々に胸を張り。
「この化け物は、僕が倒す」
災厄の王、ナラクの前に立ちはだかった。
☆☆☆
「貴様が……俺を倒す、だと?」
災厄の王、ナラク。
その存在を前に、僕は笑った。
「ジャイアントキリング、って言葉。知ってるか?」
「順当、という言葉を知らないのか? 強き者が弱き者を下す。その『当たり前』は不変にして絶対だ。まして……相手は俺だ」
一気に、空気が重くなったのが分かった。
傷を負った賢者が苦しげに顔を歪め、国王が呻き声をあげる。
ちらりと横目で見ると、薄く瞼を開いた国王と目が合った。
目を見て相手の言いたいことが分かるような特殊能力はないけれど、まぁ、大体は察しがつく。さっさと逃げろって話だろ?
「知ったことかよ。僕は勝つぞ」
口の端吊り上げて、僕は告げる。
目に見えてナラクが不機嫌となり、国王が静かに瞼を閉ざす。
あぁ、それでいい。今は喋るな。動くな、ただ生きろ。
今、この野郎をぶっ倒すから。
「聞いて、いなかったのか?」
「その言葉そのまま返すよ。僕ならお前を殺せる」
特に構える必要もなく、息を吐く。
災厄の王、ナラク。
南の大魔王――炎魔王ムスペルの左腕。
この状況とはいえ、賢者を追い詰めるほどのスペックに、人が一瞬で蒸発してしまいそうな高威力の光線。加えて……。
「ソーマくん! 気をつけて! そいつ……命のストックが一万以上残ってる! 一万回殺すか、一回の攻撃で一万回殺しきるか……ッ、少なくともマトモな手段じゃ倒せない!」
「……それは早く言って欲しかった」
ご覧の通りのクソチート。
なんだよそのラスボス設定。このスペックでそんなチート持ってたら、制限なしの賢者でも殺しきれないんじゃないのかもしかして。
「――今ならば謝罪を受け付けよう。頭を地に擦り、俺に土下座しろ。そうすれば楽に殺してやる」
なんかおっかない感じで手をボキボキやってるナラク。
そんな彼に対して、僕は顎を上げて嘲った。
「そりゃ無理だ。だってお前はここで死ぬんだから」
言った、次の瞬間。
肌を刺すような膨大な怒気が溢れ出し、奴の体が内側から膨れ上がるようにして姿を変え、化け物の姿へと移り変わってゆく。
『なるほど……余程俺をコケにしたいらしい。ならば良し、そこまで愚かであれば、もはや語る必要もなく、我が一部に取り込む価値もない。貴様は楽には殺さんよ。死すら生ぬるい生き地獄を味合わせた上で、四肢を引きちぎり家畜の餌としてやろう』
その姿は、見上げるほどに大きく変わってゆく。
ライオンの顔に、山羊の身体。
尻尾の代わりに蛇が顔を出し、前腕は鱗と炎で覆われている。
後ろ足は悪魔のソレだ。
身体中にはおぞましい無数の『顔』がついており、その顔は恐怖、絶望、怒り、様々な負の感情に歪んでいる。おそらくコイツに殺され、取り込まれた瞬間の表情なんだろう。
「そりゃ光栄だ。そんな気持ち悪いのに加わらずに済むからな」
そいつを前に、僕は右腕を軽く掲げた。
無数の命を持つ、キメラの王様。
全てを食らって全てを取り込み、命と力を奪い取る。
悠久を生きたことでそのストックは天井知らず。
普通なら勝てない、勝てるはずもない。
――あくまでも、『普通なら』の話だけれど。
「――召喚術式、展開」
生憎と、僕の力は普通じゃない。
なんでも出来るクソチート。
命が複数? それがどうした。
ソレとコレじゃ、チートの格が全然違う。
「最後に言いたいことはあるか?」
『――ぶち殺す』
ナラクの怒気が膨れ上がり。
そして僕は、最悪の召喚を行使する。
「召喚――【無酸素空間】」
声が響いて、奴の動きが停止した。
『……ぁ、っ、が、は、……ッ』
「……酸素欠乏症。詳しいこと知ってるか?」
酸素ってのは、生きてく上で重要なもんだ。
18%程度で症状は始まる。
10%で意識が落ちて、6%で呼吸が止まる。
命が幾つあるとか、そういう問題じゃない。
吸った時点で脳に異常が出てきて動きが止まる。
体が勝手に動かなくなる。そういうもんだ。
それにさ。
「体ってのは上手く出来てるもんだよな。肺は酸素不足になると、より多くの空気を取り入れようとするんだ」
目の前で、ナラクの巨体が倒れ伏す。
「もっと酸素が欲しい。もっと多くの空気を採り入れないと。そんな感じで働き始めても、入ってくるのは無酸素だけ。そうなると、身体はもっと多くの酸素を求め始めて……結果、吸えば吸うだけ死に近づいてくことになる」
これは、意思でどうこうできるもんじゃない。
体がそういうふうに出来ている。
だから、一息吸ったら、それで最後だ。
『き、き、ききこ、き、さ、ま、ぁぁ、……!』
「凄いな喋れるのか。さすが異世界は違うな」
肺の中……体内まで全部含めて【無酸素】にしたってのに。
けど、もう終わってるんだよ、ナラク。
お前はもう、何度もその空気を吸っている。
なら、もうお前は助からない。
僕は痙攣を始めたナラクを見下ろし、端的に告げる。
「悪いな、僕の勝ちだ」
かくして。
炎魔王の左腕は、謁見の間で死に絶えた。




