第六話 胸の鼓動
夜更け、ジンは物音に目を覚ました。
反射的に脇の側に置いていたナイフを手に取り、一瞬で身体を跳ね起こした。
次いで何かが転ける音。
目を細め、暗闇をにらみ据えれば、そこには頭を抱えて床にうずくまる金色の固まりが見えた。
ジンはようやく事態を悟り、そしてやっぱりため息をついた。
逆手に構えていたナイフを鞘に入れると、震えるそれの正面に回り込み、腰を下ろした。
「何だ。腹でも減ったのか、それとも喉が渇いたのか」
頭を覆った白い手に、ぎゅっと力が込められるのを、ジンは淡々と見つめた。
が、やがて、何を思ったのかさっと腕を伸ばし、その細い手を掴むと無理矢理引っ張った。
ぐいっと引き寄せられたせいで、床を見つめていた少女の顔が自然と上を向いた。
青い瞳と黒い瞳が、一瞬交叉する。
しかし青い方が怯えたように横に逃げ、瞼がそれをきつく覆い隠してしまった。
だがそれも、ジンがその顔を両手で挟んだ事によって、再び開かれた。
目の前の少年の顔を見つめる青い瞳は、今度こそ完全に怯えていた。
再び瞼が閉じられようとしたそれに、少年は待てと声をかけた。
「よく見ろ。お前が何に怯えているかは知らないが、俺はこの通り、怒っていない。怒っているように見えても、それはお前の勘違いか、あるいは俺の顔の作りが元からそうであるか、だ。俺は怒っていないんだ」
その声は、優しいわけでも柔らかいわけでもなかった。
ただ淡々としたそれは、むしろ冷たいようにも乾いているようにも聞こえただろう。
しかし、それは全く着飾っていないジンの声であり、その言葉の裏には如何なる打算も見えはしなかった。
愚直だが誠実。
それはジンという存在を音にて表したような、そんな響きだった。
少年のその真摯な姿勢に、少女は未だ強く怯えてはいたが、目を閉じることはなかった。
だがやはり黒い瞳を真っ直ぐ見つめる事は出来ず、青い瞳は床の辺りを見たままゆらゆらと揺れていた。
ジンは更に言葉を重ねた。
「怯えるなとは言えない。お前は俺を知らないからな。知らないものは誰だって怖い。俺だってそうだ。お前は知らないようだがな、実は俺だって」
ジンは微かに笑った。
彼が浮かべたそれは、本心を晒す時に照れ隠しで浮かべるような、年相応の軽い笑みだった。
笑い声に驚いたのか、少女は反射的に顔を上げていた。
青い瞳は、黒い瞳に一体何を見たのか。
「俺だってお前が怖い。お前に怯えているんだよ」
それは少女以外には解らない。
解らないが、その顔から怯えが一瞬で消え去ったのを考えれば、ある程度想像はつくだろう。
きっと少女が見たのはジンだ。
ありのままの、彼の姿だったに違いない。
青い瞳に映った少年は、肩をすくめて言った。
「まあでも、怯えて動けなくなったら、助かるものも助からないからな。俺は恐怖を忘れる事にしている。どうしたって忘れられない時もあるが、そう言うときは俺は目を瞑って、胸に手を当てる事にしてる」
そう言うと彼はその様にして見せた。
何度か深い呼吸をした後、目を開けて少女を見つめた。
「心臓の音を聞くんだ。自分が生きている音を手で聞くんだ。今生きてるって事を、今まで生きてきたって事を、これからも生きたいって事を、手で感じるんだ。そうすれば俺は恐怖に耐えられる。恐怖に立ち向かう力を手に入れられるんだ」
じっと見つめてくる少女に、少年は提案を一つ口にした。
「お前もやってみたらどうだ? 結構効くぞ、これ」
少女は驚いたように目を見開き、反射的に下を向いた。
しかしすぐに、上目遣いでちらちらと少年を見つめた。
少年は頷きを一つ返す。
それを見た少女は、しばらく迷っていたが、やがておずおずと手を伸ばした。
しかしそれは己のものではなく、少年の胸の方だった。
「……い、いや、そうじゃなくて、自分の。自分のだってば」
苦笑いでそう告げるが、少女が予想以上に真剣な顔で自分の心音を聞いているのを見て、ジンはため息をついた。
今は聞く耳を持っていないようだが、取りあえず言葉は通じているらしい、と。
それが解っただけでも良かった。
そう思いながら、ジンは少女がそれに飽きるのを待った。
やがて少女の手が彼の胸から離される。
ジンはやっと終わったかと、ため息をつこうとし、しかしぐいと身を乗り出してきた少女にそれを飲み込む。
「な、何だ?」
強い力で下から見上げてくる青い瞳に気圧されながら、ジンは顔を引きつらせた。
もしかして怒らせたのか。
しかし自分は何か悪い事をした覚えはない。
取りあえず謝った方が良いのだろうか。
頭の中でぐるぐると思考を巡らせていたが、次の瞬間、自分のそれが全て杞憂であったと悟らされた。
「――――――きいた!」
叫ぶように、少女はそう言い放った。
顔に満面の笑みを浮かべ、感極まったように両手をぶんぶんと振っている。
「きいた! きいた! きいた! きいた!」
今度は連呼し始める。
予想外の出来事に固まっていたジンは、しかしその騒がしさに我に返った。
深いため息をつき、効いた効いたと興奮したように言い続ける少女をなだめ始めた。
しかし説得など生まれて初めてするジンには、それは非常に困難な事であり、また彼が若かったことも手伝って、最後には頭に血を上らせて怒鳴る形になってしまった。
しかし少女もさること、うるさい黙れと本気で怒るジンに、目に涙を滲ませながらも効いた効いたと叫び返し続けた。
体力切れで二人が言い合いを止めた時には、暗かった空は微かに明るくなっていた。