第五話 青
空が赤く染まる頃、ジンは家に帰ってきた。
腰に着けられた獲物用の袋は膨らんでいる。
その口を開ければ、二匹の兎が中に見えた。
狩人としての習慣だからだろうか、泉から帰る途中、偶然目の前に現れた獲物に、無意識に飛びかかっていた。
気づけば首の骨を折られた兎が手の中に転がっていた。
ジンは気づいていなかったが、泉近くのあの惨状を見てから、彼は精神的にかなりまいっていた。
未知のものに対する恐怖と、それに関係しているかも知れない少女に対する漠然とした不安が、強靱なはずの彼の精神に悲鳴を上げさせていたのだ。
それから予定外の狩りを行ったのは、それがいつもの自分を取り戻すきっかけになると、無意識に悟っていたからかも知れない。
扉を開け、家の中に入るジンの顔は、幾分ましになっていた。
身につけていた諸々の道具を所定の場所に置き、水を一杯飲んだところで、彼は寝床に視線をやった。
布団代わりの毛皮は昨夜から変わらず膨らんでいる。
その端からこぼれ落ちる金髪も、相変わらずだったが。
ジンは驚いた顔をした。
咄嗟に口を開き、何かを言いかけ、しかしそれを無理矢理飲み込んだ。
次に眉根を寄せ、しばらく無言になった。
が、やがて大きなため息を一つついた。
頭をがしがしと掻きながら、寝床に向かって歩いていく。
狭い家の中である、瞬き一つ分ほどの時間で彼は足を止めた。
ジンは口を開いた。
そこから出てきた声は、呆れと困惑が半々だった。
「……お前。起きてるだろ?」
びくり、と。
膨らむ毛皮は、思わずそう音がしたかと疑ってしまうほどの震え方をした。
隠れているはずの身体を更に隠そうとするかのように、毛皮が強く引っ張られるのを、ジンはため息を吐きながら見つめた。
やれやれと首を振る。
「言っておくがな、取りあえず俺はお前を助けた人間だ。危害を加えるつもりはないし、もし何かするつもりなら、お前が目を覚ます前にとっくにやっている」
少なくとも今のところは、と。
ジンは心の中で呟いた。
もし少女が自分にとって危険になるようなら、どうなるかは解らない。
それは彼にとって気が進まない事ではあったが、いざとなれば迷わないのもまた彼である。
少女にどれほど複雑な感情を抱こうが、自分をどれほど重ねようが、ジンの根本は変わらない。
己のみ。
それだけである。
「……おい。聞いているのかお前。それとも言葉が解らないのか? いや、ひょっとして俺の言葉が変なのか……?」
ジンは苦い顔をした。
言葉を話すのは久しぶりである。
彼を育てた男がここを去ったのは、果たしていつだったか。
数えた冬は五か六だったかも知れない。
遥か昔の事のように感じるその記憶を思い出して、彼は少し寂しげな顔をした。
森で一人生き続けるジンも、やはり人間だったのだ。
だがその表情もすぐに消えた。
彼が意図的に消したのではない。自然と消えたのだ。
ジンが生きる世界は厳しく、過去も未来もありはしない。
見据えるべきはただ一つ、目の前の現実だけだった。
「まあ、いいさ。俺は食事にする。欲しけりゃそこから出てくる事だ」
肩をすくめて寝床の前から立ち去った。
ジンは背を向けていたため気づかなかったが、歩き去る彼を見つめる瞳が二つ、毛皮の中から覗いていた。
それはとても美しい、青い青い色をしていた。