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第五十三話

 どこだ。

 僕はどこから来たんだ。

 今どこにいるんだ。

 これからどこへ行くんだ。

 記憶を探る。

 頭と心の両方から、答えを探す。

 どこから始めれば良いだろう。幼い頃の記憶は曖昧だ。分かれ道を前にして、右に行くか左に行くかなど、自分で決めた事はなかった。両親か、あるいは学校の先生か。誰かが進める方を選び、あるいは反発してその逆を選んだりした。誰の言葉を聞かずに選んだとしても、その根底には何もなかった。自分の内側を覗き込んだわけではなく、周囲の状況に応じていただけだ。それは間違いない。断言できる。

 子供とはそういうものかも知れない。

 頼りになる己と呼べるものがまだまだ確立されていないのだから。目が向くのはいつだって外であり、内に向いてはならない。本当の意味で何かを選ぶ事が出来るのは、自我を認識できる、精神的な意味での大人だけだ。

 そう、選択だ。

 そこに鍵がある。それがしるべとなる。

 だから自ずと一つの問いが湧いてくる―――僕はいつ、何を選んだのか、だ。

 ならば、探索を始めるのは幼年学校を卒業した後からで良いだろうか。高等学校に進学せず、武官になる道を選んだあの辺りか。だがそれも、選択と呼べるものではなかった気がする。剣舞の授業で筋が良いと褒められたからとか、天界の男の子であれば誰もが憧れる武官という職業が、輝いて見えたからとか。身体を動かすのが好きだったからとか……悪と呼ばれる人の行いを、憎んだからとか。まあ、いずれにせよ、大した理由は持っていなかった。障害がいくつか重なりでもしていたら、きっと選んでなかったと思う。ため息でもついた後、いじけた顔をして背を向ける程度だ。壁を壊してでも向こう側に行こうとは思っていなかった。

 その道は自分の足に向いていた。

 人よりも早く歩き、歩く事しか考えていなかった自分は、気づけば隣には誰の姿もなく、遥か前方で手招きする者達が幾人かいるだけになっていた。

 それを少しばかり自覚し始めた頃か。

 始めて人を殺したのは。それくらいの頃だっただろうか。

 それなりに名の知れた盗賊団。

 野外訓練の途中で偶然遭遇してしまった犯罪者達を、剣片手に一人で皆殺しにしたのは―――あれは本当に、自分だったのだろうか。

 記憶は薄い。

 一緒だった他の訓練生達が殺された事も、自分に向かってきた白刃をかいくぐり、代わりにその首をはねて返した事も、良くは覚えていない。覚えているのはごく僅かだ――――他者を足で踏みつけにする優越感、それを更に欲する喉の乾き、熱に浮かされたような情動………それくらいだ。気づいた時には事は全て終わっており、救援に駆けつけてきた教官達にすぐさま保護された。その間はずっと夢うつつで、自分が何をしているのか解らなかった。良く解らないまま、何日か過ごした。

 夢が覚めたのは、隊長が――誰もが名を知る天界最高の武官、ヘルマン・ヴァイルシュミットが目の前に現れた時だった。盗賊を壊滅させた力を見込まれ、聖務執行部隊に誘われた。

 慟哭。

 夢が覚めて、自分が最初にしたのはそれだった。

 こちらが泣きわめいても一切表情を変えず、じっと見つめてくるその男に、自分が如何に下劣な存在か、自分が如何に人道に反した狂気とも呼べる欲望を抱えているか、絞め殺すようにその胸元を掴み喚き散らした。

 ……ああ、そうだ。僕は僕を殺して欲しかった。他者を傷つける事に快楽を覚える自分を、誰にかに否定して欲しかった。自分が信じていたものとは異なる自分を見つけ、心が壊れかけていた。致命的な認識が自分に追いつく前に、死という名の逃避へと、手を伸ばしたのだ。

 だが、その手に握らされたのは死ではなく、一振りの剣だった。

 

 敵が何であるか知りもせず、その前から逃げ出すのは罪である。

 お前が今まで生きるために奪ってきた多くの命達を、たかだか恐怖程度で踏みにじるのは、人殺しを好む事よりも下劣な、この世で最低の罪だ。


 剣はそう囁いた。

 その敵に立ち向かうのはお前にしか出来ないが、敵を見据える覚悟を鍛えてやる事は、私にも出来る。どうだ、敵の恐怖に今まで耐えて見せたのなら、もう少しばかり足掻いてみるのはどうだ―――と。手にしたことのないほどに重いその剣は、乾いた声でそう囁いた。

 

 ……そうか。

 

 あの時頷きを返した僕は、きっと選択を行ったに違いない。思い返してみても実感は得られないけど、あの時僕は決して、目の前に吊された希望に似た何かに縋り付いたわけじゃない。渡された剣を杖に、自分の力で立ち上がったのだから。あれは間違いなく、僕の選択だった。執行部隊の仲間達に、訓練所とは比べられないほどに心も身体も鍛えられ、自分を見つめる力を―――自分に屈しない力を手に入れたのは、他でもない僕自身だ。僕が選び、僕が手に入れた自分が、今ここにいる。積み重ねてきた形あるもの達、形ないもの達が、無言でそれを示してくれる。エドガー・ベルディクスはここにいる―――と。

 

『彼が通過した。エドガー君、もう道をつくる必要はない。適当に攪乱しながら、彼が結果を出すまで耐えてくれ』


 僕はどこから来たのか。

 ―――解らない。でも、きっとそう遠くない場所から来たんだ。

 僕はどこにいるのか。

 ―――ここにいる。この胸の中に、あの闇の中に、未来の中に、過去の中に。どこにだっている。どこにいたって感じられる。僕はここにいる。

 僕はどこへ行くのか。

 ―――望む場所へ行こう。足の赴くままに行けば良い。望む場所がないならば、足が止まっているならば、別に無理矢理歩き出す必要はないんだ。立ち止まるその場所にだって、何か得るものはあるのだから。悩む必要はない。目を逸らさない限り、僕はどこにだって行けるのだ。どこにだって帰れるのだから。

「加勢するぞ」

「足手まといになるなよ。三級悪魔」

「ガキが。俺は逃げるのも誤魔化すのも得意なんだよ。まともにやり合うほど馬鹿じゃない」

 ああ、そうだ。

 馬鹿で良い。

 周りに馬鹿呼ばわりされながら、僕は僕だけの道を歩いていこう。

 どこに行こうかたっぷり迷いながら、気楽にどこまででも歩いていこう。

 僕は僕以外の何ものにもなれないのだから。

 思い詰める必要なんてないのだから。

 

 答えがないのなら、探しに行けば良いだけなんだ――――――

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