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第五十二話

 走り回る少年武官。

 轟音を伴いながら振るわれるその長剣は、虹色の炎に触れても消え去りはしない。それは剣に何か特別な性能が備わっているからではない。炎とぶつかる瞬間、刀身を包む青い光―――魔法の力が、剣を滅却から守っているのだ。

 藪の中から、戦場を駆ける少年を見つめるザァルは、その眉間に皺を寄せていた。

「―――〝ラズフィリアの鎧〟……?」

 あの青い光。

 実際に目にした事は今まで一度もないが、いつだったか、古い魔導書を漁っていたときに、それと似た記述を読んだことがある。

 それが使われていたのは遥か昔。地上にのさばる天人と悪魔を、隷王が人間やエルフを初めとする魔法種族で構成された軍隊を持って、掃討し始めていたその時代。協定のある今とは異なり、当時の天人や悪魔は人間には防ぎようのない魔法を、何のリスクも負わずに使用する事ができた。極端な話、魔法一つで一万の軍勢を塵に返すことも出来たのだ。まともにやり合えば、地上の住人に勝機はなかった。

 そこで狂天使と呼ばれる、隷王に付き従う一人の魔導師が考案したのが、ラズフィリアの鎧と呼ばれるその魔法である。

 狂天使にその魔法をかけられた隷王の戦士達は、その身を青い光に包み、敵軍に向かって突撃した。当然容赦ない攻撃魔法が戦士達を襲ったが、しかし彼らはかすり傷一つ負うことなく、敵の首を跳ね飛ばした―――と。

 記述はそれだけ。

 魔法の具体的な内容については一切触れられていなかった。それも当然だ、ラズフィリアの鎧を使用したのは制作者である狂天使だけ、その他の者には使うことも魔法を解析する事も出来なかったのだから。天界にしろ魔界にしろ、もし解析が成功していれば、あれほどの大敗を喫することはなかっただろう。それを考えれば、かなり真実味のある話である。

 故にザァルの呟きは、むしろ可能性を潰す行為でしかなかったのだが。

「ああ」

 肯定が隣から返ってくる。

 彼と同じように藪の中に身を潜める女―――戦場をじっと見つめるリディスの顔を、顔をしかめたままに見やる。

「最も、オリジナルではないんだがね。とても扱えるものではなかった……それどころかごく一部しか読み取れなかった」

「術式を手に入れたのか!?」

「ちらっと見ただけだよ。ディプロスの情報と共にね。何のためかと思っていたら、連中もこれがあの炎に有効だと気づいたんだろうな。ラズフィリアの基本は魔力相殺だ。接触した魔法を分解し、純粋なエネルギーに変換した上で、自身の魔力をぶつけて跳ね返す。協定に縛られたディプロスの力であれば、対抗は可能だ。だがまあ聞いての通り、無茶な術式だから、改良に改良を重ねて使わせてもらっているよ」

「……それもあれか。天主が隷王の遺物と共に手に入れたのか」

「そのようだ……悪いが、あまり話しかけないでくれ。式を扱いやすく作り替えてはいるが、おそろしく不安定なんだ。気を抜けばエドガー君の身体の方が、吹き飛んでしまう程にね」

 暗くて気づかなかったが、よくよく見れば女の顔には大粒の汗がいくつも浮かんでいる。声にも表情にも緊張は見えないが、実際は余裕など欠片もないのかも知れない。

 そう考えたザァルが口をつぐんでいると、しばらくして女がぽつりと呟いた。

「―――彼は? ジン君と言ったか……今どうしている?」

「お前の指示通りに待機中だ。どこぞの藪の中でタイミングを計ってるよ」

「君の幻術は優秀だな。全くどこにいるか解らないよ」

「俺は姿を見えなくしただけだ。気配を消してるのはやつ自身の腕前だ」

「そうか……」

 女は一旦そこで言葉を止め、躊躇いがちに続けた。

「―――私は今でも、彼がこの状況を収めることが出来るとは考えていないよ」

「あいつがただの人間だからか?」

 ザァルの問いに、女は歯切れ悪く頷いた。

「それもある。だがそれ以上に、何だろうな……彼の視線のその先にあるのは、彼女じゃないような気がしてしまうんだ。もっと遠くを目指しているような……だからそう、成功しようが失敗しようが、結局この状況は彼にとって、ただの通過点に過ぎないんじゃないだろうか………」

 最後には呟きと化した女の言葉は、はっきりと形をつくる事なく、闇の中に溶けていった。

 ザァルは汗の浮かぶその横顔をしばらく見つめていたが、ふっと笑って視線を正面に戻した。

「――それは間違っちゃいないんだろうよ」

「やはり……そうか」

「だが、あいつは絶対にあの子を手に入れてみせるさ」

「その根拠は何だ……? 君はなぜあの少年をそこまで買っているんだ?」

「そうだな……実績と理由のない期待。その二つだな」

「実績?」

「あいつは人間の身でありながら、ヘルマン・ヴァイルシュミットを一対一で破った」

「なに――――」

 ぎょっとした女の声を小気味よく思いながら、ザァルは更に言葉を付け足した。

「その前にも、真っ向勝負じゃないが、二級悪魔も倒している」

「―――彼は一体何者なんだ……?」

「ただの人間さ。ただのガキだよ」

 放浪者の事については触れなかった。

 その必要を感じなかったのだ。放浪者はあの少年に何かを託したのかも知れないが、その結果を導き出したのは彼の力であり、彼の意志である。それが全てだったからだ。

「だが俺が期待しちまうのは、結局は実績なんかじゃない。あいつの貪欲さ、諦めの悪さだ。信じられるか? あいつは一方で絶望すら望んでいるんだぜ?」

 くつくつと笑う。

 虹色の炎を見つめながら、ザァルはゆっくりと噛みしめるように呟いた。

「あいつなら見せてくれる。俺が見た事のないその景色を、あいつなら必ず―――――」


     × × × × × 

 

 無意識に飛び出した。

 それは獲物に矢を向けている時と同じ、最高の瞬間に思考ではなく身体が反応する、その感覚である。走り出してしばらく経ってからやっと、自分が何をしているのか、何をするべきなのかを後れて理解した。


「良いかい、ジン君。当初の私の計画では、君の身体を魔法の鎧で覆い、彼女の意識を揺り動かすような言葉、あるいは行動を君にやってもらおうと考えていた―――例えば、彼女の炎に殺される演技をしてもらったり、だ。彼女にとって君が最も大切な存在である事は、エドガー君の記憶を読んで知っているからね。人格の根幹に刺激を与えるような事をすれば、我を取り戻すとまではいかなくとも、その基点を作ることが出来る。その上で私が彼女に接近し、強制的に眠りに就かせようと、そう考えていた」

「だが、君が別のやり方を選択する以上、それは使えない。君が直接彼女と対話しようとするならば、危険はおそろしく高くなる。成功する可能性が見つからないくらいにね。もう一度聞くが、それでもやるのかい―――?」

「解った。ではまず、君が必ず対処しなければならない困難について教えよう。一つ目は言わずもがな、彼女の周りをうろついている炎だ。あれに少しでも触れれば終わりだと考えてくれ。我々のように生まれつき魔法抵抗能力の高い天人や悪魔であれば、触れられた部分をすぐに切り離せば大丈夫かも知れない。だが人間である君は―――おそらく触れただけで死亡するだろう。その上あの炎は数が多く、そして動きが速い。足を止めず、しかもよく考えて動かなければ駄目だ。それを良く理解しておいてくれ」

「二つ目は距離だ。炎は彼女を中心に地面の上を這いずり回っている。連中を越えて彼女の元まで行こうとするのは非常に難しく―――ん? ああ……ふむ。だがそうすると……君が? だが、解ってると思うがそれは非常に危険だぞ―――――そうか。では……む……ふむ。だがその身体で出来るのか? 魔力が著しく落ちたと先ほど言ってたが………解った。ではそうしよう」

「あー、ジン君。聞いての通り、エドガー君が炎を引きつけ、彼女までの道をつくってくれるそうだ。そして道が出来た後は、ザァル殿が君に不可視の幻術をかけ、その上で幻影を何体か作り、エドガー君と一緒に炎を引きつけるそうだ。君が彼女の元に到達し次第、君にかけた幻術を解く」

「君はエドガー君が道をつくり次第、彼女に向かって走り出し、彼女の前に姿をさらした後、何とかして彼女の目を覚まさせなければならない。酷な話だが、君は時間に余裕を持つことは出来ない。君が彼女との対話に時間をかければかけるほど、エドガー君およびその援護をする我々。ひいては人間界、天界、魔界の全ての者達の命が、避けようのない死へと近づいていく。それを胸に置いておいてくれ」

「……君にかけるはずだった魔法の鎧は、危険が最も高いエドガー君に使用する。もちろん君にも……といきたいところだが、私の腕では一人が限界だ。あの炎から君の身を守ることは出来ない。だから絶対に、君はあの炎に触れてはならない。解ったかい」

「君がやるべき事はそう多くない。だが全ての柱となっている。君の行動が、未来を決定するんだ」

「私はね……頼まれただけだ。彼女を死なせないでくれと、助けてやってくれと、人に頼まれただけだ。私はその人を悲しませたくないから、ここにいるに過ぎない」

「頼むとは言わないよ。やるなともやれとも、君に言うことは出来ない。私にはその資格がないからね」

「だから、これはただの願望だ」

「一つの現実を見せて欲しい。彼女を望む君が、彼女に望まれる君が、そんな君にしか手に入れる事が出来ない現実を、私に―――世界に教えてくれ」

「絶望しか待っていない彼女の未来に、一点の希望を灯す現実を彼女に――――」


「アイリス様に、見せてあげてくれ」

 

 気づけば。

 目の前にそいつが佇んでいた。

 虹色の瞳でこちらを見つめる――睨み付けているそいつ。

 顔を憤怒に歪め、殺意を突き刺すその女は。

「私は―――あなたを手に入れる。私だけのものにする」

 笑った。

 禍々しい笑みだった。

 目を逸らしたくなるほどの、背を向けて逃げ出したくなるほどの、思わず否定したくなるほどの、心底気に入らない笑みだった。

 知らない笑顔。

 知らない声。

 知らない瞳。

 知らない心。

「はっ!」

 ―――俺の行動が全ての未来を決定する?

 冗談じゃない。俺は自分の事しか興味ない。その自分すらも捨てようとしてる俺が、他の何を背負えるって言うんだ。

 ―――現実を見せて欲しい?

 てめぇで見ろよ、そんなもん。誰にかに与えられたものなんて、所詮ただの幻だ。自分で手に入れるからこその現実だ。人に頼ってんじゃねぇ。

 ―――希望を灯してくれ?

 人違いも良いところだ。俺だってそんなもん見た事ねぇよ。言われてほいほい出来るか馬鹿野郎。

 ―――アイリス様に?

 誰だそいつ。知らねぇな。知らないやつに俺が何を出来るって言うんだ。自分自身すら知らない俺が、誰に何をしてやれるって言うんだ。俺が出来るのはただ一つ、


 足掻く。それだけだ。

 

 虹を見つめ、鼻で笑う。

 笑ってやる。

 もっと見せてみろと。

 こんなものかと。

 それがお前の全てなのかと。

 肩をすくめて笑ってやる。


「さあ。お前の絶望を見せてみろ――――イリス!」

 

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