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第四十八話

 雨が止んでいた。

 それに気づいたのは、全ての穴を土で埋め終えた、その時だった。

 出来ればもう少し早く止んで欲しかったな、と。前髪の先から滑り落ちた滴を見つめながら、エドガーはしかし、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべていた。

 彼の前には三つの小山があった。

 その一つ一つの山の下に、彼の仲間達が眠っている。今度こそ本当に、永遠の眠りについたのだ。死者は如何なる理由があろうとも、地上を歩くべきではなかった。

 墓標は立てなかった。

 地面の上には、立てなかった。

 いつかは崩れ去るものを、永遠に変わらぬ者の上に残すのは、なんだかひどく惨いことのように思えたのだ。どうせなら胸の中に残してやるべきだと、そう考えた。

 でも。

 心だって変化する。風が吹き、雨が降り、雪が降り積もっては春に溶かされる。土の上よりは時間がかかるかも知れないが、それでもいつかは、間違いなく消えていくのだ。砂になり、感じることが出来なくなる。そしてその砂の上に、また別の何かが芽生えるのだ。きっと、きっと。

 ―――それで良いんだ。良いんだよ。

 エドガーは頷いた。

 それがつまり、生きるという事だから。

 消えるという事は、それまで確かに生きていたという事だから。三人が確かにこの心の中に生きていたと、生きているという事だから。死を恐れる必要はない。悲しみながら、ゆっくりと受け入れていこう。そして一歩前に進めば良いのだ。望むべき、その場所へと。

 エドガーは泥だらけの自分の手を布で拭った。あまり綺麗にはならなかったが、不思議とその汚れはあまり気にならなかった。爪の先に入り込んだ黒い土をしばらく無言で見つめた後、エドガーは小山に背を向け、意識を切り替え始めた。やるべき事へと焦点を絞る作業。時間がかかるだろうと思っていたそれが、思いの外素早く出来た事に、彼は僅かに驚いた。軽く肩をすくめ、すぐそこに見える洞窟の入り口へと歩き出した。

 まず頭に思い浮かんだのは、眠り続けたままのあの少女の事である。

 エドガーは自分の意志で、彼女をあの少年の元に帰そうと決めていた。だが具体的にどうするかまでは考えていなかった。と言うよりも、考え始めるとそれが含む課題のあまりの多さに、頭の回転が止まってしまったのだ。

 少女を少年の元まで連れて行くのは、それほど難しくはない。日数はそれほど経過していないため、少年があの遺跡のような場所にまだいる可能性は高い。住む場所を変えていたとしても、それほど遠くへ入っていないだろう。最後に見た顔を思い出せば、少女を前にして少年がどのような反応を見せるかは解らないが、きっと悪い事にはならないだろう。時間はかかるかも知れないが、いつか必ず、彼らは元の暮らしに戻る事が出来るはずだ。明確な根拠はなかったが、エドガーはそう確信していた。

 問題はその後。

 少女を少年の元に帰した後、想像を絶する困難が怒濤の勢いで押し寄せてくる。

 まず始めに、彼の上司―――ヘルマンである。

 エドガーは強力無比な戦士であるあの隊長が、白髪の悪魔に勝利する事を全く疑っていない。必ず生きて返ってくるとそう信じている。信じているからこそ、頭を思い悩ませる。

 敵になるのだ。

 自分とあの人は、敵同士になってしまうのだ。

 隊長は任務を遵守する人だ。何をしてでもディプロスを天界へと連れ帰ろうとするだろう。その障害となる自分に対し、優しい言葉をかけてくるはずがない。躊躇いを覚えたとしても、それは刹那に近い。気づいたときには自分の首は宙を舞っているだろう。隊長が本気になれば、勝負は一瞬で決する。自分には勝つことは出来ない。

 それにもし、奇跡的にヘルマンを倒したとしても、事態は全く好転したりはしない。

 天界、魔界。

 あの少女を―――ディプロスを守るという事は、二つの世界を敵に回すという事なのだ。隷王の協定により、人間界に送り込める人員の数は決まっているが、それも少ないと言える数ではない。強力な探索魔法を使える連中、ヘルマンにも引きをとらない力を持った連中が、山ほど押し寄せてくるのだ。それらを迎え撃つのは不可能だし、逃げ回るのも困難である。強力な魔導師が味方にいるならまだしも、面子は狩人の人間の少年、新米武官の自分、そしてあの少女だ。

 ―――本当に世界を滅ぼす力を持っているのか……? どう見てもただの女の子じゃないか。何かの間違いじゃないのか……。

 眉根を寄せたエドガーが、洞窟の入り口をくぐろうとした、その時。

 

 ―――虹色の光が、音もなく洞窟の入り口から溢れ出した。


     × × × × ×


 鼻につく、焦げたような空気の臭い。

 転移魔法の唯一の欠点とも言えるそれを嗅ぎながら、閉じていた瞳をゆっくりと開けた。

 緑、緑、緑。

 ただでさえ生命力に満ちあふれたその色は、水に濡れ、更なる輝きを放っていた。最も、現在の時刻は夜。辺りは真っ暗で、せっかくのその輝きも闇に吸い込まれていた。

 リディスは鬱蒼と茂る木々を見つめるのを止めると、一瞬で探索魔法を起動した。五感が身体から離れ、どこまでも広がっていくような感覚。頭に入り込んできた大量の情報を素早く取捨選択しながら、目標の姿を捜す。するとやがて、人型をした熱源を五つ見つけた。二つはくっつくようにして共に行動している。どうやら片方が片方を担いだまま、どこかに向かって歩いているらしい。一つはその近くで横たわっており、幾分か熱の温度が低い。傷を負っているのかも知れない。残りの二つは、前者の三つの人型から離れたところにいた。片方は動いているが、もう片方はその近くで横たわり、身動きをしていない。

 さて、と。

 リディスは細い顎に指を当てる。

 この中に彼女がいるには間違いない。

 地上を探し回っている時に感じたあの力。魔法のようであり、しかし魔法とは根本的に異なる強力な波動。神々が扱う力と同質のものだった。神々は世界を支えるが故に、世界を渡る事は出来ない。人間界にその力を使う者があれば、それは彼女に違いなかった。

 となれば、残る四つは天人か悪魔。

 五つの点は一カ所に集まっておらず、戦闘中のようには見えない。その動きも激しくなく、二つの点に至っては止まってしまっている。だが障害が何もなければ、天人にしろ悪魔にしろ、すぐさまそれぞれの世界へと帰還しているはずである。戦闘か、あるいはそれに準ずるものがあったのだ。そしてそれは既に終結したに違いない。先ほどまで転移を妨げていた魔法障壁も、既に解除されていた。リディスがここに来られた事こそが、それを間接的に証明している。

 ならば急がなければならない。

 天界にしろ魔界にしろ、彼女を連れて行かれるわけにはいかない。天界に行けば死が、魔界に行けば価値のない生が、彼女を待ち受けているのだから。何とかして彼女を連れ出し、一刻も早く行方をくらまさなくてはならない。

 森の中央で動かない一つの点は、おそらく彼女じゃない。彼女を傷つける事など誰も望まないし、護衛もつけずに森の真ん中に放り出すとは考えられない。動く二つの点は、残りの二つの点へと向かっているようである。だとすれば、私が向かうべきは……。

「さて――――行きますか」

 リディスはふわりと笑った。

 どんなに過酷で差し迫った状況でも、彼女から余裕は消えない。思い詰めすぎず、柔軟な心と頭で最良の結果を引き出すのだ。それはリディスの主人が彼女に多大な信用を寄せる、その理由の一つでもあった。

 リディスは手早く己の身体に走行補助と幻惑の魔法をかけると、薄透明になりながら森を走り始めた。

 

 彼女の足は、これまで森に訪れた誰よりも速かった。

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