第三話 未知のもの
朝。
いつものように、ジンは日の出と共に目を覚ました。
しかしその表情はいつもとは大きく異なっていた。
疲れている。
それも驚くほどに、だ。
これは彼に関して言えば、珍しいどころか、彼の人生の中でも片手で数える程しかないものである。
彼はどれほど疲労を重ねようが怪我をしようが、一晩寝れば身体も心も回復する。
怪我の痛みすら、冗談様に和らぐ体質である。
彼の強靱な精神は常に前向きであり、苦痛や疲労程度ではへこたれないのだ。
だがその彼が、である。
今は眠たげに目をこすり、憂鬱な顔でため息をついている。
日頃彼を観察するものは存在しないが、もしいたとすれば己の目を疑ったことだろう。
ジンがため息をつくなど信じられない事だったのだ。
彼は再度ため息をつくと、自分の寝床へと向かった。
彼が目を覚ましたのはそこではなく、毛皮を引いた床の上だったのだ。
代わりにそこで寝ていたのは少女である。
昨日の夕暮れに泉の側で発見した、あの美しい金髪の持ち主だった。
ジンはしばらく迷った末、彼女を担ぎ、家まで連れて帰ってきたのだ。
そのまま放っておけば間違いなく獣の餌食になっただろう。
ジンは元来、人間が獣に襲われても可哀想だとは思わない。
人が獣を食べるように、獣が人を食べるのも当然だと考えるからだ。
同族だからと言う理由で命を助ける事もない。
彼にとって人間とは、結局のところ人間でしかなかった。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
しかし彼は少女を助けた。
もちろん心変わりなどではない。
ましてや見返りを期待したわけでも、その肉体に劣情を抱いたわけではない。
それどころか人恋しかったからでもない。
ふと、思い出してしまったのだ。
彼に名を与え、彼に言葉と生きる術を教え、彼を育ててくれた者。
彼から聞いた話を、少女を見たその時、突然思い出してしまったのだ。
そして気がつけば、ジンは少女を担いでいた。
自分のその行動に驚き、訝しみながらも、彼は心の奥底で納得していた。
自分はきっとこうするべきなのだと、そう思っていた。
彼は安らかに眠る少女の顔を見つめて、昨夜から癖のようになってしまったため息を、その口から零した。
どうしたものか、と。
彼は少女を家に連れ帰ってきたものの、自分がこれからどうするべきかは一向に解らなかった。
外傷はないようだし、熱があるわけでも冷たいわけでもないので、治療だの何だのはする必要がない。
もちろん必要があったところで、彼にはどうする事も出来ないのだが。
本人がどうしたいと言えば良いが、ちっとも起きる気配はない。
無理矢理目を覚まさせて、事情を聞くなりした方が良いのか、あるいは放って置いた方が良いのか。
ジンは己の事については一瞬で判断する事が出来るが、それ以外の事についてはまるで解らなかったのだ。
彼にとって世界は二つで成り立っている。
自分とそれ以外。
何より優先されるのは己の命。
及びそれを支えるもの。
安全な住居や食料。
その程度である。
残りのものは全て、彼にとって重要ではなく、時折興味や関心を抱いたりはするが、結局は有象無象に過ぎない。
ならば目の前の少女はどうか。
無論、それ以外に含まれるはずである。
ジンはそう思ったし、そう思っている。
だから本来なら何も悩むことはないのだが、少女を見ていると、どうにも割り切って考えることが出来ない。
華奢な身体。
白く柔らかい肌。
爪は綺麗な桜色。
何より美しいその黄金の髪は、この世のものとは思えないほどに艶やかである。
彼は自分の手を見下ろした。
肌は硬く、浅黒い。
爪は平たく薄茶色で、先には砂が詰まっている。
節くれ立った指は太く、握り込めば石のようになった。
ジンは頭を振った。
少女の元から離れ、朝食の支度を始めた。
彼が理解できなかったのは、これからどうして良いかではなく、きっと少女そのものが理解できなかったのだ。
自分と同じ人間。
しかしあまりにも自分と異なるその存在。
その事実が、どうしようもなく彼を落ち着かなくさせていた。