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第三十六話

 何故だ……!

 あの男がどうしてここに!?

 ついさっき確認した時には、遠く離れた―――どんなに急いでも、ここまで来るには二時間以上はかかる場所にいたのに……! まさか転移を!? 馬鹿な、転移魔法は高位の魔導師でなければ扱えない―――第一、白の惨劇の影響を受けない場所は限られている。転移のような強力な魔法を行使できるはずがない……!


 ヴィクトールは完全に錯乱していた。

 目の前で次々と首をはねられる彼の人形達。

 剣を振るうのはここにいるはずがない男―――ヘルマン。

 なぜ、どうして。

 その問いだけがヴィクトールの頭の中を駆け巡る。

 それはつまり、戦場において愚行と呼ばれるものの一つだった。

 正常な思考を取り戻すまでにはかなりの時間を要し、結果として彼が自分の為すべき事を理解したときには、敵は目の前に迫っていた。自分に向かって振り下ろされるその白刃が、錯乱を強制的に取り除いたとも言える。

「チッ―――――!」

 血にまみれた剣を、両腕を掲げて転がるようにして躱す。

 片方の腕が半ばまで切断される。しかしそれがどちらの腕であるか確かめる余裕もなければ、その痛みに構うだけの余裕もない。腕を犠牲にして得られた退路を、全力で走り始める。

 逃走に役に立つ、様々な魔法を己の身体にかけながら、ヴィクトールは唇を噛まずにはいられなかった。

 ―――クソッ! あんな男に出し抜かれるとは……!

 怒りと焦りに沸騰する頭の片隅で、夜空の星のように輝く疑問が一つ、彼の耳元でひっきりなしに囁き続けていた。


 あの男。見つけられないはずの私を、どうやって見つけられたのか………。


     × × × × ×


 驚いたが、信じられない光景ではなかった。

 一切の躊躇もなくアルメルとルチアの首をはねるヘルマン―――隊長の姿。しかし、それを目にするエドガーの胸中は満たしたのは、窮地に颯爽と駆けつけてくれた味方に対する熱い感謝の思いではなく、この地上の冬に似た、凍てつくような寂しさばかりだった。

 在るべき姿。

 状況を一目で見抜き、相手が例え苦楽を共にした大切な仲間であったとしても、敵となったならば容赦なく斬り捨てる。感情をして、目的のみを優先する。

 ヘルマン然り。

 ヨルゲン、ルチア、アルメルもまた。

 彼が憧れた先輩達は皆、そういう風に出来ていた。そして彼らは、恐ろしいほどに優秀だった。天界にいた頃は、盲目的にその背を追うとした。感情を捨てて任務に徹する様は潔く感じたし、とても格好良く見えた。ああなりたいと、そう強く願っていた。

 ……でも、今はそう思えない。

「チッ―――――!」

 二歩でこちらとの距離を詰めてきた隊長に、悪魔が焦燥を音に変えたような舌打ちをするのが聞こえた。ギリギリで剣を躱し、どこかへと逃げていくのを、視線だけで追いかける。藪の中へとその背が滑り込んでいく。

 それをすぐさま追いかけようとした隊長が、何かを思い出したかのように突然こちらを振り返った。

 最初。

 負傷した自分の身を案じてくれているのかと考えた。しかしその瞳が彼ではなく、違うところを見ているのに気づく。視線を辿ると、洞窟の入り口へと繋がった。

 理解する。

 そして、叫んだ。

「―――彼女は大丈夫です! 隊長が戻ってくるまで、僕が必ず守り抜いて見せます―――!」

 意地だった。

 腹に剣は突き刺さったまま、出血がひどく、具合は秒単位で悪化し続ける。視界のほとんどは白く染まり、頭の中は眠気のようなものが蔓延っている。

 だが、責務は果たしたかった。

 心を捨て、剣を振るう事が出来る彼らのようにはなれない。それを選ぶ覚悟も意志も、自分は全く持っていない。だから自分は本当の意味での兵士にはなれないのだろう。でも、だからこそ。

 

 ―――兵士ではなく、エドガー・ベルディクスという心ある一個の存在として、僕は剣を振るいたい。

 

 少女は。

 ディプロスと呼ばれたあの少女は―――天界には連れて行かない。魔界にも連れて行かせない。彼女は彼女が望む場所に帰すんだ。

 あの黒髪の少年の元に……僕がこの手で――――!

 エドガーは痛みの中で、音にならぬ産声を上げた。

 その無言の猛りを感じたのか、隊長は少し驚いたような顔をしてエドガーを見つめた。しかしすぐさま顔を引き締め、小さく頷いた。その顔は無表情に近かったが、信頼のようなものを見つける事が出来た。エドガーが頷きを返すよりも早く踵を返すと、悪魔を追って暗い藪の中に飛び込んでいった。

 エドガーはそれを見届けると、瞼を閉じた。

 意識を奪おうとする淡い誘惑の腕を振り払いながら、鈍っていく記憶の中から治癒の術式を引っ張り出し、魔力を練り上げていく。

 閉じた瞼の隙間から、なぜだか涙が止まらなかった。


     × × × × ×

 

 走り続けてどれくらい経ったのか。

 魔法のお陰で、肉体的な疲労はないと言っても良い。斬りつけられた腕――左腕だった――も、走っている間に治癒が完了した。狂乱状態から回復して、ヘルマンをどうやって撒くか考える余裕が出てきた、ちょうどそれくらいの頃。奇妙な違和感を漠然と感じたのだ。一体何が変なのか、走りながら考えていると、不意にその正体に至る。

 ―――足音……気配がない。もしかして、既に撒いてしまったのか……?

 甘い期待が、首を後ろに振り返らせる―――と。

「なっ!?」

 剣の鋭い切っ先が、音もなく視界に飛び込んでくる。

 動揺で心臓が跳ね回るが、防御魔法の詠唱が間に合わない事を瞬時に理解し、咄嗟に身体を静める。眉間を狙ってきたそれが髪を数本切り取りながら、頭のすぐ上を通過する。歯を食いしばり、無理矢理身体をひねって方向転換する。銀光が頭に振り下ろされるより早く、再び走り出した。

 ―――何なんだあれは! 武官は暗殺も仕事に入っているのか!?

 一瞬で冷や汗に濡れた全身を戦慄かせる。

 いくらヘルマンが最高の武官といっても、魔導師の補助がなければ移動速度にそれほど差は生まれないはずだ。追いつかれたという事は、ヘルマンがこちらとは違うルートを――こちらが逃げる方向を予測してショートカットした事を、逆説的に示しているが。

 ……それだとヘルマンは森を熟知している事になる。この森でディプロスを発見するまでに、探索を繰り返したとでも言うのか? だとすれば、自分の選択した行動の先には終焉が待ち構えている。死がとぐろを巻いている……!

 幻術を使って―――いや、武官の目を甘く見てはいけない。やつらの肉体強化は悪魔のそれとは比較にならない。見破られ、むしろ利用される。

 どうする!

 どうすれば撒ける!?

 くそッ、くそッ、くそッ!

 こんなはずじゃなかった。あの年若い武官でたっぷり楽しんだ後で、こちらの姿を見つけられぬまま森を彷徨うヘルマンを、ゆっくりと嬲りながら傷だらけにしていくはずだった。まともに戦闘を――しかも向こうから奇襲を受けるような事態は想定していなかった。まともにやり合えば勝ち目など欠片もないのだ。首をはねられた程度では死なないが、全ての起点となる核を破壊されれば終わり―――虚無に飲み干される。

 かみ合わぬ歯の根が、がたがたと不快な音を立てる。それを耳にして、始めて気づく。

 

 ―――私は怯えているのか……? 私は今、生まれて初めて死の恐怖に晒されているのか……!


 視界が真っ赤に染まる。

「はは……はははははははははは!」

 殺してやる。

 殺してやる、殺してやる、殺してやる。

 この怒りを思い知らせてやる!

 白の惨劇に巻き込まれないぎりぎりの規模の魔法を放ってやる―――この忌々しい森を灰に変えてやるぞ――!

 怒りにまかせ、膨大な魔力を練り上げ、両手に収束させていく。

 振り返りざまにそれをぶつけてやろうと、タイミングを計り始めた、その時だった。


「――――なっ!?」

「――――くっ!」


 唐突に、目の前に現れた。

 驚きに目を見開いた男―――剣を片手に、半身をこちらに向けたヘルマンの姿。

 回り込まれたのかという冷静な推測は、激情の荒波に一瞬で飲み干された。


「ヘルマアアアアアアアアアァァアン!」


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