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第三十四話

 それは後ろから。

 洞窟の入り口の方から聞こえた。

 自分の名を呼ぶ声。

 何故だろう。

 耳にした瞬間、頭の中が真っ白になった。

 真っ白のままに、振り返った。

「エドガー……」

「―――――ヨル、ゲン」

 口が勝手にその名を紡ぐ。

 それは正しかった。

 洞窟の入り口、雨を予感させる薄暗い森の中に立つ、彼よりいくらか年上に見える男の――ヨルゲンの姿があった。

 おどけた笑みを浮かべ、肩をすくめるのを、エドガーは呆然と見つめた。

「死に損なったぜ」

「あ………」

「何だその顔。まあ、当然か。俺だって驚いてるんだしな。でも俺でその反応だったらお前、こいつら見たら死んじまうんじゃないか―――なあ?」

 可笑しそうに喉を鳴らすと、後ろを振り返った。

 こいつらというその言葉が何を意味するのか、エドガーがそれを理解するよりも早く、答えがひょこんと顔を出す。

 二人の女。

 片方は楽しげに、もう片方は困ったように笑っていた。

「ゾンビその一でーす」

「その二、なのかしらね」

「アルメル………ルチア」

 ぐらりと身体が傾き、無様に尻餅をついてしまう。

 自分のものではない笑い声が二つ、ため息が一つ耳に入った。

 近寄ってくる三人分の足音を聞きながら、エドガーは自分がどういう反応をすべきなのか解らず、途方に暮れていた。

 



「意識が戻った時は驚いたぜ。何しろ身体は死にそうなほど痛くて動けないし、いつの間にか夜になってるしな」

 エドガーが混乱から僅かに脱出した後、ヨルゲンがここに来るまでの経緯を説明し始めた。

「取りあえず自力で治癒をして、立って歩くことくらいは出来るようになった。で、ぼろぼろの二人に近づいて行ってな。まあ、その時は正直、こいつら仲良く逝っちまったんだなって思ったんだが」

「失礼よね、ほんと」

「まあでも、半分……いや、八割近くはそうだったし」

 入り口で見張りに立つ二人が、首だけでこちらに振り返って、言葉を飛ばしてくる。

 その顔が自分よりも生気に満ちあふれていて、エドガーは何とも言えない気分になった。

「意識はなかったが、しぶとく生きてたからな、まずは回復魔法が得意なルチアを何とか蘇生させて」

「よく言うわよ。私ほとんど自力で回復したんだから。その想像を絶する困難の後、アルメルを回復させたのよ。凄いでしょ、私」

「そうね……半死半生の私が、目を覚まして最初に見た光景が、喧嘩する二人の姿だったのと同じくらい、凄いのかもしれないわね」

「……あはは。ごめんごめん」

「―――まあ、キレたアルメルに二人して怒鳴られたんだ。早く回復しろ! ってな」

「怖かったわよねー」

「ねー」

「当たり前でしょう!?」

 元気いっぱいに言い合う三人。

 久しぶりに―――本当に久しぶりに感じる、賑やかな光景。

 それを見つめている内に、涙が止めどなく溢れてきた。

 苦笑のようなものが聞こえ、温かい掌が頭に乗せられる。優しく撫でられるその心地よさに、嗚咽を堪えることは出来なかった。望んだもの。もう手に入らないと思ったもの。心を覆っていた分厚い氷が、ゆっくりと溶けていくような感覚。虚勢をゆっくりと取り除いていくその熱が、どうにもならない程に愛おしかった。だからこそ彼は―――エドガーはその手を振り払った。

「ん? どうしたんだ?」

 問いには答えず、砕け散った力を寄せ集め、四肢に込める。歯を食いしばって命じれば、それでも立ち上がることが出来た。目の前に立つ、ヨルゲンを―――その幻想を、彼は真っ直ぐに見つめた。

「ヨルゲンは助からなかった。アルメルもルチアも死んだんだ」

 震える声で、そう言い放つ。

 涙でにじむ視界に、ぽかんとした顔のヨルゲンと、そして遠くでこちらを振り返る、アルメルとルチアの横顔が見えた。

 ―――遠いんだ。ヨルゲンも、アルメルもルチアも、たった数歩でたどり着ける距離にいるのに、こんなにも遠く感じるんだ……。

「おいおいエドガー。全く、何言ってるんだよ。確かに俺たちは本気で死にかけてたが――」

 聞き分けの悪い弟を諭す兄のような調子で、ヨルゲンが笑いかけてくる。しかしエドガーはそれを断ち切るように言葉を叩きつけた。

「死んだんだ! 見込みがあったのなら隊長は見捨てたりしない! それに何より―――」

 涙が溢れ続ける瞳をきつく閉じた。

 終止符とも言える言葉。

 それを口にするのは、ひどく困難だった。

 間違いなく自分はそれを望んではいなかった。目の前のそれを望んでいた。エドガーの心のほとんどが、彼がそれを口にするのを引き留めた。

 ほんの一握り。

 弱くて強いその意志が、彼の瞳をこじ開けた。

「僕が見たんだ。アルメルとルチアに訪れた死を、ヨルゲンに訪れるだろう死を、あの時確かに見つけたんだ。この目で見て、この頭で理解して、この心で受け入れたんだ!」

「エドガー、どうか落ち着いて――」

「黙れ!」

 噛みしめた歯から血の味が広がる。

 彼はその味を確かに感じながら、身体をぶるぶると震わせ、視界の中の三人を、きつく睨み付けた。

「勘違いするな―――僕は、頭に来ているんだ。悲嘆にくれてるわけじゃない、我慢できないほどに怒ってるんだ!」

 力の限りに吼える。

 怒りを、憎悪を剥き出しにして、彼は吼え続けた。

「僕が見たんだ。死んだ仲間を見たんだ。死に逝く仲間を置き去りにしたんだ。僕が、僕が、僕が! 僕を踏みにじりたいなら好きなだけ踏みにじれば良い! だがな、死者を―――僕の大切な仲間達を侮辱するのは赦せない!」

 怒りに震える手を腰にのばす。

 冷たい感触を握りしめ、一気に引き抜いた。

「エドガー……」

 狼狽えたようなヨルゲン。

 その顔をした何か。

 少しも違和感のないその姿に、エドガーは泣きながら手にした剣の切っ先を突きつけた。

「これが僕の作り出した夢なら、僕は僕を赦さない。そこまでして逃げたがる自分なんか―――仲間の想いを踏みにじってまで救われたがっている自分なんか、任務が終わり次第、僕がこの手で殺してやる!」

 身体から吹き出す殺気に怯えたのか、ヨルゲンの姿をした何かが、びくりと後ずさる。

 エドガーは歯の根の合わぬ口を開き、絞り出すような声を紡いだ。

「―――僕は奇蹟なんか望まない。僕が望むのは現実だ! 血を流すのに値する現実だ! 傷つきながら、失いながら、それでも勝ち取りたいと思う自分自身だ! 甘いだけの夢や幻はいらない………痛みのない理想など追い求めはしない―――」

 笑みを作る。

 果たしてそれは形になったかどうか。

 彼には解らなかった。

 もしかしたらただの泣き顔――駄々をこねる子供の泣き顔でしかなかったのかも知れない。

 だが彼は、エドガーは笑おうとした。

 彼自身がそれを強く願った。

 己を突き通そうとした。

 だからきっと、彼はその時笑ったに違いなかった。

「殺してやる。そしてその後死ぬほど泣いてやる。お前達は僕の傷に加わるんだ―――さあ、覚悟しろ」

 剣を真っ直ぐに構える。

 切っ先は小刻みに震え、一向に定まらない。

 身体に力が全くこもらないのに内心苦笑を浮かべながら、しかしエドガーは殺意を研ぎ澄ませた。

 ―――負けるものか。

 病人のように荒い呼吸を隠す事なく、一歩踏み出した、その時だった。

「素晴らしい!」

 熱を帯びた声と、力強い拍手が、エドガーの鼓膜を叩いた。

 洞窟の入り口。

 白髪の悪魔が一人、顔を感嘆に色濃く染め上げ、熱烈な瞳でエドガーを見ていた。

 汗が噴き出すのを、彼は止めることが出来なかった。

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