第三十二話
悪魔は待っていた。
夜を笑いながら、待っていた。
灰色の瞳は狂喜一色に染まり、ぎらぎらと光をばらまいている。闇に紛れぬ赤い唇の隙間から、悲鳴のような笑い声が、後から後から這いずりだしてくる。
森の開けた空間。
剥き出しにされた地面は、巨大な獣に引き裂かれたような、たくさんの傷痕を晒している。
傷ついた大地。
そしてその真ん中で、踊るようにくるくると回っている悪魔を、淡い月光が照らしている。
妖しくも美しい、そんな光景だった。
―――と。
回る悪魔の周囲の闇が、ぞわぞわと蠢き始めた。
闇はやがて影を形作る。
最初はひどく曖昧だったそれは、しかし時と共に輪郭をはっきりとさせ始めた。
人型。
その数は三つ。
生まれたての子鹿のような緩慢な動きで、大地からゆらゆらと立ち上がる。
三つの影は何をするでもなく、ぼんやりと佇んだまま、ものも言わず悪魔を見つめている。
人型をしたそれらは、月光を浴びてなお暗かった。
「アハハハハハハハハ――――」
悪魔の笑い声が、一際大きく夜に響く。
楽しい、楽しいと。
これからもっと楽しくなると。
笑い、踊り、狂い続けた。
悪魔は待っていた。
夜明けを。
全ての始まり。
終わりの始まりを、狂いながら待っていた。
月明かりの中。
来るべき絶望の味に、舌なめずりをしながら。
待ち続けていた。
× × × × ×
兵士は探していた。
思考を殺し、感情を殺し。
木々の中、静かに静かに獲物を探していた。
その手には一振りの剣。
長くもなく短くもない、諸刃の剣を握っていた。
それは既に身体の一部。
他者の命を奪い、己の命を奪う。
今までも。そしてこれからも。
兵士はそれを躊躇なく振るい続ける。
手にしたのは剣だけ。
他の何も持ってはいなかった。
そしてこの先も、何も手に入れることはなかった。
兵士は一人、獲物を探す。
月明かりから隠れながら、足音を忍ばせて。
始まりにも終わりにも見向きもせず。
剣を振るう相手だけをただ、探し続けていた。
× × × × ×
少年は空を見ていた。
枝葉の隙間から見える、星々が瞬き、月がぼんやりと浮かぶ漆黒を、ただただ見つめていた。
待ってはいなかった。
探してはいなかった。
少年はただ、それを見つめていた。
そこに本来あるはずのないものを、確かに捉えていた。
明るくて暗いそれを。
熱くて冷たいそれを。
嬉しくて苦しいそれを。
決して目を逸らさず、じっと見つめ続けていた。
その瞳は夜空よりも暗く。
星よりも月よりも輝いていた。
少年は見つめ続ける。
始まりも、終わりも。
生も死も。
希望も絶望も。
分け隔て無く、全てをひたすらに見つめ続ける。
ずっとずっと。
少年はただ、空にかかる虹を見ていた。
――――そして、彼らの幕が開いた。