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第二十三話

 黒髪の少年が、無表情に隊長の説明を聞いている。

 それを斜めに見ながら、ふと、先ほど飛び出していった少女のことを考えた。

 ……まあここは、飛び出すと言えるような区切られた空間じゃあないよな。

 エドガーはひっそりとため息をつき、自分の周囲を見回した。

 僅かに赤みを帯びた空の下、無造作に放り捨てられた骨のように、いくつもの巨大な岩の柱が横たわり、あるいは傾いた形で地面に立っている。彼の仲間は、以前見た太古の神殿に形がよく似ていると言っていた。しかしエドガーにはそれが神殿だろうが、犬小屋であろうが、どうでも良かった。彼が欲したのは座り心地の良い椅子である。もうかれこれ半日近くは立ちっぱなしなのだ。

 彼は顔をしかめると仕方なく、横たわった柱の一つに腰を下ろした。

 途端に今まで無視していたはずの疲労と痛みが帰ってきた。

「………っ」

 背中を押さえそうになるのを堪える。

 痺れるようなその鈍い痛みは、彼に敗北の味を無理矢理思い出させた。

 胸の中に湧き上がる、敗北に対する様々な言い訳に耳を貸しそうになっている自分に気づくと、苛立たしげに奥歯を噛みしめた。

「世界を……終わらせる?」

「ああ、そうだ。無貌の神とも呼ばれるあのお方は――――」

 ちょうど良く耳に入った会話に、意図的に意識を逸らす。

 口の中の苦みから逃げるようにして、エドガーはあの少女について考えた。

 天主アーガスの十七番目の子。

 可変神、ディプロス。

 しかしそれは『天主』や『天使』あるいは彼ら『天人』のような、ただの通称に過ぎない。

 名前は―――ない。

 実際は存在するのかも知れないが、少なくとも彼らは知らされなかった。

 ……そう、知らされなかったんだ。そして天人達のほとんどが未だに、それを知らされていないんだ。

 エドガーの胸中に疑念が浮かぶ。

 それはディプロスの存在を告げられた時に、胸の奥に巣くった疑問である。

 本来。

 天主の子―――すなわち新しい神の誕生は、すぐさま天界の全ての者達に公開される。

 天人達も天使達もその誕生を喜び、祝福を捧げる。時を置かずして聖導府主動による祭典が催されるし、非公式も祭りも天界の至る所で行われる。何日も何日も、浮かれ気分は驚くほど長く続く。

 今までの十六人の子も、そうして祝われてきた。

 エドガーは若く、神の誕生に立ち会ったことは一度もない。しかし彼の両親や祖父母は、彼らが体験したそれらを事細かに、そして誇らしげに語ってくれた。神の誕生に立ち会うことは、これ以上ないほどの名誉であるからだ。いつだって天人達は神の誕生を、全身全霊で祝福を捧げられる日を、心より待ち望んでいる。

 だが、十七番目の子は―――あの少女は、違った。

 祝われなかったとか、そんな次元の話ではない。

 その誕生が公開される事さえなかったのだ。

 現在、ディプロスの存在を知っているのは、ほんの一握りである。天主、天主の側近、聖導府の上層部、そして回収を命じられた彼ら聖務執行部隊……そして悪魔達。

 皮肉な話だ。

 天界の話を、当事者であるはずの天人達が知らず、魔界の住人である悪魔達の方が、より多く理解しているのだから。きっと、手足として使われている彼に比べても。 

「可変神、ディプロス。天人と悪魔の性質を同時に併せ持つ、超常の神。それは、天界に伝わる古い予言の中に出てくる――――」

 隊長の言葉の続きを、エドガーは声に出さず呟いた。

 

 そは無貌の神。

 神魔を滅し、世界に終焉をもたらすもの。

 そが炎は不滅を赦さじ。

 万物を等しく終わらせる。

 神にして神に非ず。

 魔にして魔に非ず。

 そは可変の神―――ディプロスなり。


 天人であれば誰でも知っている予言だ。

 無論、彼も知っていた。

 しかし彼を含めた誰もが、信用していない予言でもあった。

 その理由は単純、当たった試しがないのだ。

 世界の始まりから存在するとされるのその予言は、現在発見されているだけでも千を超えている。その中には期日が記されているものが少なからずあり、そしてその日を迎える度に、予言から世迷い事へと成り下がった。それに加えその世迷い事の中には、

 

 神は子を成せぬ。


 という、その信用を完全に失墜させたものまである。

 学校や親たちは、それを子供に伝えはしたが、それを迷信の類として扱っていた。天人の驚くほど長い寿命の中で、それはゆっくりと錆び付き、用を為さぬものへと成り果てた。伝統だとか風習だとかいうものだろうと、彼もそう軽んじていた。

 だが、予言は実現した。

 性格に言うなれば、実現しかけている。

 ディプロスの存在。

 そしてその、人間界への逃亡。

 緊急招集の後、何の説明もなくその事実だけ告げられたエドガー達は、一切の質問を許されず、薄っぺらい資料だけを渡され、すぐさま人間界へと送り出された。文字通り世界の崩壊を予感させる衝撃の中、エドガーが資料の中で目にした情報は以下の通りである。

 

〈目標〉

 固有名詞なし。

 添付の映像を参照。

〈任務内容〉

 目標の捕獲及び回収。

〈期日〉

 可及的速やかに行われたし。

〈詳細〉

・目標について。

 女。

 天人年齢十五歳。

 肉体的な特徴は一般天人と同じ。

 会話能力無し。全ての事象に対する経験及び知識無し。

 特性封印により、身体能力は人間レベルに固定されているが、それも絶対的な保証は出来ない。特性能力が使用される可能性あり。

 なお、当情報は全て逃走時のものであり、現状とは異なる場合があるため、深く留意されたし。

 

 以上、と。

 執行部隊の文章は不親切で有名であるが、しかしそれにしても今回のそれは情報があまりにも足りなかった。

 一通り読み終えた時に、エドガーは思わずにはいられなかった。

 ―――隠している。

 全てを隠匿し、そして更に隠匿を重ねるために、極秘任務として彼らに回収を命じたのだ、と。

 何より彼の疑問を大きく成長させたのは〝全ての事象に対する経験及び知識なし〟という記述だった。

 記憶がない。

 その記述の向こう側に透けて見えるのは、いくつもない……つまり、そういう事である。

 そういう―――事である。

「安全な区画に移ってもらい、そして安全に暮らしていただく。君が心配する必要はない。何不自由のない生活を送ることが出来るんだ」

 隊長の声。

 いつもは頼りになるそれは、しかし今のエドガーにはどうにも薄っぺらく聞こえた。

 ……本当に? 本当にそう思っているんですか?

 その問いが、喉を通り、唇の裏側までやって来た。彼が咄嗟に唇を噛んだため外には零れなかったが、疑念は既に胸の中で押し殺せない大きさにまで膨らんでいた。

 ディプロス。

 世界を滅ぼすと予言された存在。

 しかしあの少女が本当にディプロスであるのか、またディプロスだったとして、本当に世界を滅ぼすのか。どうやって滅ぼすのか。

 今の今まで天界のどこかで厳重に閉じ込められていたであろう彼女が、如何にして逃亡出来たのか。記憶がない彼女が―――おそらく固有時間を凍結されていただろう彼女が、右も左も解らないであろう彼女が、どうして逃亡しようなどと考えられたのか。

 天界に連れて帰られた少女は、本当に。

 ――――封印されるだけで済むのか……?

 ざわざわと彼の心が波打った、その時だった。

「何か疑問はあるか?」

 心臓が大きく跳ねる。

 思考に没頭していたエドガーは、その問いが一瞬、自分に向けられたものであるかのように感じた。しかし反射的に動いた視線の先には、黒髪の少年の顔を見つめる隊長の横顔があった。

「君はあの方を助けてくれた。つまりは天界―――我々の恩人とも言えるからな。私の答えられる範囲であれば、何でも答えよう」

 エドガーは少年の顔を見た。

 そこにはやはり、表情と呼べるものが見つけられない。

 感情どころか、意志すらも希薄だった。

 虚ろではない。

 ただひどく薄い。

 白いとも言える。

 エドガーはふと、実は少年は無限に近い感情を表しているのではないかと思った。感情が表れる度に、彼自身がそれを片っ端から消し去っているのではないかと、そういう思いに囚われた。だからきっと、呆然としているわけでも、衝撃に打ちひしがれているわけでもない。彼はそう思った。

 それはもしかしたら、エドガーの願望に過ぎないのかも知れない。

 奇襲とは言え、訓練所を首席で卒業した彼を、いとも容易く打ち倒したあの少年。エドガーはただ、自分が負けた相手が弱いなどという事実を、認めたくなかっただけなのかも知れなかった。

 彼は少年についてほとんど知らない。

 会って早々に戦闘になり、会話らしい会話もしていない。ディプロスとされる少女が語った話の中で始めて、少年の名前を知ったくらいだ。触れ合うことが出来たのは剣を通してのみ、そしてそれも、とても短い時間だった。

 だが、エドガーの少年を見つめる瞳には、赤い熱がある。

 彼が視線を投じているのは、彼の心の中に巣くった少年の姿であった。

 どこまでも無慈悲な、冷たい意志。

 感情を極限まで排し、淡々と相手との距離を測るその視線。

 一度決断すれば、一瞬の躊躇もなく行動に移り、あっという間に結果へと肉薄する。

 少女は少年をこう称した。

〝狩人〟

 彼はもう、少年をただの人間として見てはいなかった。

 矛盾と疑念の中で足掻く彼とは正反対に、シンプルかつ強靱に、己の為すべき事を為そうとする少年の姿に、エドガーはある種の憧憬すら抱いていた。

 故に彼は、少年が口を開くのを見たとき、思わず彼ら執行部隊に対する反抗を期待した。少女をもののように回収しようとする彼らに、自分の子でありながら惨い仕打ちをしてきただろう天主アーガスに、怒りを露わにしてくれることを期待した。

 例え少女が世界を滅ぼそうとも。

 例え誰がその存在を望まなくとも。

 自分は少女を守り、その敵となるもの全てと戦うと、少年がそう口にする事を期待した。

 エドガーが森の中で見た、その姿を―――意志を、彼は渇望していた。

 だからこそ、

「……あいつはどうしたいって?」

 その府抜けた声を耳にして、

「天界へ帰るとおっしゃられた。君に迷惑はかけられないと、そうおっしゃられたよ」

「………そうか。なら俺には、何も言う事はない」

 思わず立ち上がっていた。

 だんっという鋭い音に、少年とその肩を労うように叩いていた隊長が、何事かと振り返った。

 そして彼らはそこに、歯を食いしばり、烈火のように怒り狂ったエドガーの姿を目にした。

「どうした、エドガー。何かあったのか?」

 訝しげな顔をした隊長の問いも、彼には全く聞こえていなかった。それどころかそこに隊長がいる事さえ―――ここが地上であり、自分が今任務遂行中であるという事すら、彼は忘れていた。

 彼が睨み付けているのは黒髪の少年。

 それだけだった。

「……何だ?」

 面倒くさそうに放たれた少年の言葉は、遂にエドガーの理性を打ち砕いた。

 歩けば十歩はかかるであろう少年との距離を、気づけば彼は二歩で詰めていた。少年の胸ぐらを掴み上げ、鼻の頭がぶつかりそうなほどの距離で怒鳴った。

「お前っ! なにが何も言うことはない、だ!」

「お、落ち着けエドガー! どうしたんだ急に!」

 はっと我に返った隊長は、慌ててエドガーを押さえつけようとした。

 だが頭に血が上った彼は驚くべき力を発し、腕を引っ張られようが後ろから羽交い締めにされようが、手を離すことも怒鳴るのを止める事もなかった。

「お前はその程度の覚悟で僕に斬りかかってきたのか! 僕を殺そうとしたのか! ふざけるな!」

「アルメル! 手を貸せ! こいつを引きはがすぞ!」

「守るつもりじゃなかったのかよ――――あの子を守るつもりじゃなかったのかよ!? あの子にもう結構だと言われたくらいで止めるつもりかよ!? 守るってのはな、そんな生易しい覚悟じゃ出来ないないんだよ! 世界を敵に回す程度の覚悟じゃ、駄目なんだよ――――!」

「良し、押さえろ!」

 ぐいっと強い力で、エドガーは地面に押さえつけられた。

 引きはがされた手を、それでも彼は地には下ろさなかった。

 自分を無表情に見下ろす少年へと、腕を伸ばしていた。

「――――守る相手すら敵に回す覚悟が、必要なんだよ馬鹿野郎!」

 彼の手は、少年が顔に貼り付けた白い仮面を剥がすように、虚空を強く引き裂いた。

 何度も、何度も。

 業を煮やした彼の仲間が、その意識を奪うまで。

 

 彼は腕を伸ばし続けた。


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