私のエッセイ~第四十一弾:夏目漱石先生の「こころ」に思う (※) 最後に少し情報を追加しました。
こんにちは!お元気ですか・・・?
本日は、この「なろうサイト」を訪れる皆様なら、きっと私なんかより詳しくご存知の、夏目漱石先生の最高傑作のひとつであり、「漱石先生の売り上げナンバーワン」を誇る、日本文学史に残る不朽の名作「こころ」についての、私なりの考察エッセイをUPします。
この小説は・・・全国の高校生の「現代国語」の教科書中で採用されることが多い、いわば「定番中の定番」ともいえる、なじみのある作品ですよね。
全編読み通したことがないにしても、その一部くらいは教科書で目にされた方が多いものと思われます。
以下の文章には、多分に「ネタばれ」が含まれております。
ですので、まだこの作品を全編お読みになっていない方は・・・一度読み通されてから、このエッセイにお越しくださると「モア・ベター」かもしれませんね。 m(_ _)m
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この作品の「魅力」って、いったい何でしょうか・・・?
前半部分の、『先生』と『私』の心の交流でしょうか・・・?
中盤の、『私』の、家族との濃厚な、からみのストーリーでしょうか・・・?
はたまた、この物語の「クライマックス」ともいえる、後半以降の「先生と遺書」の部分でしょうか・・・?
もちろん、「先生と遺書」の部分に、この作品の「エッセンス」が、ぎゅっと詰まっているのには、異論が無いと思います。
漱石先生は、この作品を書かれた、作家人生の「晩年」ともいうべき円熟した時期に、自らが掲げた「則天去私」という思想のもとに、人間が誰しも持ちうる「エゴイズム」という、言ってみれば「心の闇の部分」にスポットライトを当て、それを徹底的に掘り下げて考えることで、人間の本性や欲の部分を暴き、これらを克服することで、「救い」を得ようとされました。
この精神は、「彼岸過迄」や、遺作となった未完成の作品「明暗」にも色濃く反映されていますね。
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さて、この「こころ」ですが・・・ある作者の解説によりますと、「漱石は、この作品で彼の作家的生涯の晩秋を思わせる、透明で緊張した文体で、はじめは『先生』の崇拝者である青年『私』の眼を通じて、次いで一転して、『先生』自身の告白を通じて、愛し得ない孤独な『個人』の悲劇を掘り下げていく」、とあります。
私も、同感です。読むほどに、胸が締め付けられるような切なさと・・・息苦しいような緊張感に満ちています。
『先生』の学生時代の親友だった『K氏』も、そして、『先生』ご自身も・・・最後は、「自殺」という悲しい人生の結末を迎えます。
「両者とも、天より与えられし寿命をまっとうすることなく、自ら人生を強制終了させた」・・・これは、この作品中における、「厳然たる事実」です。動かしがたい、悲しい「現実」です。
にもかかわらず、この作品では、二人の「前途ある知識人」の単なる悲劇という、いわば「表向きの現象」よりも、むしろ、その、『私』を含めた一般人全体が、皆目、つかめない、その「動機」というものに焦点をあて・・・そこを徹底的に追及しようともがいています。
多くの「感想」「書評」が、その理由が「はっきりとは分からない」と結論づけています。
でも私には、これら自殺の動機となった「ヒント」が作品中に明確に記されているのではないか・・・そのように感じられましたね。
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まず、『K氏』が自殺を選んだ動機です。
作品中の「下」の「先生と遺書」の第53段の終わりにかけて、こんな文章が書かれています。少し長いですが、掲載してみます。
【・・・同時に私は、Kの死因をくり返しくり返し考えたのです。その当座は、頭がまだ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単で直線的でした。Kはまさしく失恋のために死んでしまったものとすぐきめてしまったのです。しかしだんだんおちついた気分で、同じ現象に向かってみると、そうたやすくは解決がつかないように思われてきました。現実と理想の衝突・・・それでも、まだ不十分でした。私はしまいにKが、私のようにたったひとりで寂しくてしかたがなくなった結果、急に処決したのではなかろうかと疑いだしました。そうして、またぞっとしたのです。私もKの歩いた道を、Kと同じようにたどっているのだという予覚が、おりおり風のように私の胸を横ぎりはじめたからです。】
・・・おそらくは、『先生』のこの見解が、『K氏』の自殺の動機として、一番「正解」に近いのではないか、と私は思いますね。
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次に、『先生』の自殺の動機について。
同じく、『先生と遺書』の中の、第55段の前半部分がそれです。
長いですが・・・こちらも掲載してみますね。
【死んだつもりで生きていこうと決心した私の心は、ときどき外界の刺激でおどり上がりました。しかし、私がどの方面かへ切って出ようと思い立つやいなや、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて、少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私に、お前は何をする資格もない男だとおさえつけるように言って聞かせます。すると私は、その一言ですぐぐたりとしおれてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、なんでひとのじゃまをするのかとどなりつけます。不可思議な力は、冷ややかな声で笑います。自分でよく知ってるくせにと言います。私はまたぐたりとなります。】
【波乱も曲折もない単調な生活を続けてきた私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思ってください。妻が見てはがゆがる前に、私自身が何層倍はがゆい思いを重ねてきたかしれないくらいです。私がこの牢屋のうちにじっとしていることがどうしてもできなくなった時、畢竟、私にとっていちばん楽な努力で遂行できるものは、自殺よりほかにないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって目をみはるかもしれませんが、いつも私の心を握り締めに来る、その不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方向で食い留めながら、死の道だけを自由に私のためにあけておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ、私には進みようがなくなったのです。】
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『先生』はまた、このようにも遺書で述べております。
【・・・記憶してください。私はこんなふうにして生きてきたのです。はじめてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変わりはなかったのです。私のあとには、いつでも黒い影がくっついていました。私は妻のために、命をひきずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰るときも同じことでした。九月になったら、またあなたに会おうと約束した私は、嘘をついたのではありません。まったく会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。】
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作品の終わりにかけて、こんな切ないメッセージを『私』に遺して、『先生』は、「冥府」へと旅立ちました。
【・・・私は私の過去を、善悪ともに人の参考にするつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知してください。私は妻にはなんにも知らせたくないのです。妻が己の過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが、私の唯一の希望なのですから。私が死んだあとでも、妻が生きている以上は、あなたかぎりに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいてください。】
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(※) 『先生』は・・・本当に、心の底から奥様を愛しておられたんですね・・・。
『K氏』にまつわる、奥様自身にも深くかかわるつらい出来事を、むやみに思い起こさせない『先生』のご配慮・・・やはり、奥様には『先生』こそが、「ベスト・パートナー」だったんですよ。
そして、『先生』ご自身だって、『私』という、最大の理解者を、人生の最後の晩年に手に入れられたじゃありませんか。
きっと暗く、つらい人生の試練の連続だったとは思いますが・・・『私』との出会い、そして交流が、どれほど『先生』を陰で支え、心のよりどころ、糧になってきたかは、想像に難くありません。
『先生』は、亡くなられたあとも、ご自身の生き様を通して、そして、この長い「遺書」を通して、『私』に・・・そして、この物語を読む、すべての読者に対して、生き方や、人としての「あり方」といったものを教えてくれたんですね。
では、長くなりましたが・・・これで、失礼します。 m(_ _)m