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婚約破棄?どうぞお好きに。



あまりにも繰り返されているので、少し記憶が渋滞しているけれど思い返してみようと思う。


「ごめん……僕は彼女の傍に居てあげたいんだ」


王宮の誇る自慢の花々が咲き誇る美しい庭園。

よく互いの勉強の合間を縫って二人で息抜きにここ来ては、並んで座っておしゃべりを楽しんでいたベンチに、今日は座ることなくその前で立ったまま互いに向かい合っている。

向かい合っている相手は、その翡翠のような瞳を長いまつ毛で覆い隠すように俯き気味に吐き出したこの台詞はもう五度目だった。


「悪いが、君とはもう関わる気ははない。君ももう話しかけてこないでくれ」


普段は図書室で共に過ごすことが多いのに、ぱたりと姿を見せなくなった友人。

表情の変化に乏しく、周りから誤解されてしまう事も多いが、私にとってはよき好敵手であり、理解者であった彼と廊下で鉢合わせた時に聞かされたこれは確か八度目だったはず。


「貴女の事が分からなくなってしまいました…すみませんが、今後は距離を置きましょう」


仲良くなれたと思っていたのに、一つ年下の昔からの顔馴染みである彼が、整った顔を不機嫌に歪めるのはいつものことだが、それを更に酷く歪めながら私の手を振り払って言ったこの言葉は三度目ね。

眉間に刻まれている皺の深さまで同じだわ。感慨深くすらある。


「貴方は守る価値のない人間だ。今日をもって、私は貴方の騎士を辞めさせてもらう」


これは十……だったかしら?

騎士として仕えてくれていた青年から、その鋭い瞳に侮蔑の色を滲ませながらそう言われたのは。

踵を返し、濃いグレーの髪を小さく揺らしながら、迷いも後悔もなく私の元を去っていくのを見送るのもそれぐらいの回数のはずだ。


「お前、最低な奴だな。見損なったぜ」


突然目の前に現れては立ち塞がり、怒りを隠そうともせずにギラついた瞳でこちらを睨み、怒気のこもった声音でそう告げてくる………これは最早何度目か分からない。

ただ、数えなくても一番多いのは彼に違いないのは明白で、一番人の話を聞かなかったのもまた彼だ。


この飽き飽きするほど聞き飽きた台詞達。


告げられる度に、どんどん自身の表情から感情というものがこそげ落ちてしまいそうになる。

いっそ、そろそろ"無"になりそうだ。

自分は割と感情豊かな方だったはずだ。

ただ色々な制約があって、感じたままにすべてを表に出すことは叶わなかったけれど、それでもかしこまった場でなければ素直に感情を晒していたと思う。


(でもまぁ…ここまでくると、ねぇ??)


自重気味に失笑し、同じ事ばかり繰り返すこの人達にそこまでする価値すらあるのだろうか?と浮かび、すぐに"ないわね"と一蹴した。


(なんせ、簡単に私を見捨てる人達だもの)


しかも、ただ見捨てるだけじゃない。


言いがかりも甚だしい事を言われ、脈絡もなく一方的に、最悪はありもしない罪状まででっち上げられ"死"を経験したことすらある。

そんな目に何度も合えば、誰だって慕っていた相手であろうと、かけがえのない友であろうと、気持ちは冷めてしまうことだろう。

私に限った話ではないはずだ。


少なくとも私は、正直もう関わらないでほしい…と何度も思った。


なのに……色々とこちらから手を離れようとしてみても、何故かあるタイミングまではなかなか離れる事が出来ず、そのタイミングを迎えると途端に坂道を石ころが転がり落ちるように彼らから同じような事ばかりを延々と聞かされるのだ。


そもそも何故、こんな目に合わなければいけないのか?

それは私…ラフェリア・ネル・ブルージュが、突然ある日を境に要員は分からないが十六歳から人生を繰り返す…という奇怪な現状に巻き込まれているからだ。


それがわかっているだけで、結局何故?という疑問の答えはまだ見つかっていないのだが……。


今把握しているのは、繰り返しの中で全く同じ時を繰り返している訳ではなく、ベースは同じだが結末は違う…同じことも起こるが、私が繰り返す前と同じ言動をしても全く同じ結果にはならないという事。

この事実に気が付いたのは、三度目のやり直しの結末に辿り着いた頃だった。


そして原因のわからないループから抜け出せず早数十回。


……このループではまだ六ヶ月程しか経っていなけれど。

もう何度目か分からないループは、まだ終わることなく続いていた。


だいぶこのループを繰り返しているはずだが、ループが起こってしまったきっかけも、繰り返す理由も未だわからないまま。

何を条件に巻きもどるのか法則性さえ不明。


つまりお手上げ状態だった。


ラフェリアはただただ、突然やって来る巻き戻しを待ち、その流れに身を任せるしか出来ないのだ。


初めの内は戸惑いながらも、抜け出せないループの世界で何とか糸口はないかと、思いつく限り足掻いてみたもののその効果はなく。

どの世界でもやはり、何故か突然、ラフェリアの十六歳の誕生日の日まで時間が巻き戻ってしまうのだ。

そして、そこからだいたい半年くらいで"友人"の誰かしらが皮切りに、理由は様々だが私から離れていく。


それから早い時は一年……長くて四年で私の時間はまた巻き戻ってしまう。


その"友人"からの離別の言葉というのが先程の台詞の数々だ。


告げられた内容は全く身に覚えのないことばかりで、なんの事か分からないと詳しく尋ねても、何かの間違いでは?と否定しても、聞く耳を持たない彼らに必ず一方的に拒まれ、貶され、罵られた。

そして、私の話など端から聞く気はないように、言いたいことだけ告げると皆去って行く。

本当に自分勝手極まりない。


それでも私と違い、時間が巻き戻ってしまうと"友人"らの時間も巻き戻ってしまうので、巻き戻る度に彼らは"昔"のように私に友好的な態度を向けてくる。


何度も"その先"を見て、経験をしてきた私としては蓄積された記憶があるので、もう彼らを"友人"とは思えなくなっていた。

繰り返しの回数を重ねれば重ねる程、彼らから少しずつ距離を取り、今では素っ気ない態度をするようにまでなっていった。


それはもう、最早友達とは言えないくらいに他人行儀に。


それなのに、その時が来るまで彼らは自分から私に近づいて来るのだ。

親愛の籠った視線や、好意的な態度で。


それが酷く煩わしく、気持ちが悪かった。


(あんなふうに、一方的に酷い目に合わせたくせに)


ラフェリアがそう思うのも無理のない話だった。


それは、彼らの身勝手な別れの台詞だけが原因ではない。

彼らとの離別後に、彼女や家族の身に起こる出来事に起因していた。


その起きたこと全てが友人達が原因なのかは分からない。


だが、繰り返しの中で起こった悲惨な出来事は、その半分以上が"友人"らが関わって起こった出来事だとラフェリアは既に知っていた。


ある時は、友人らに濡れ衣で罪を背負わされ、弁明も聞いて貰う事さえなく、国の圧力をかけられて強制的に家族と離縁された。

家族との別れもままならないまま国外追放を言い渡され、見知らぬ土地に女一人、身一つで放り出された。


またある時は、これまた濡れ衣で、殺人未遂の首謀者だとされて問答無用で処刑台へと送られて首を斬首された。


他にも度重なる濡れ衣で、火あぶりや絞首台での絞殺、数々の拷問の末の死…なんて事もあった。


このどれもが、友人が証言や起訴した内容のせいで起こった出来事だ。

しかも、その殆どが信ぴょう性にかける証拠や証言ばかりで。

こちらが正式に調査して欲しいと訴えても聞かず。

周りのまともな人が、もう少し慎重に調べた方がいいと進言しても行わず。


過去に起こった悲惨な出来事で、友人が関わっていたのか分からないものは、ラフェリアの住む屋敷を放火し家族や使用人の命すら巻き込んだ事件と、追放後に送られてきた暗殺者に殺された事、そして事の発端になった学院での私の"身に覚えのない数々の悪行"ぐらいだろう。


友人らがどうして、私にそこまで酷い仕打ちをしたのかは分からないが、今更理由を聞かされたとしても、された側としてはその理由がなんであれ到底許せるものではなかった。


なんせ、彼らの一方的な話のせいで、私は高確率で死んでいるのだから。


巻き戻って今は生きているのだから気にしない…とはならないのだ。

そんなことを私に言える強者がいるなら名乗り出て欲しい。

その人には、私が誠心誠意、ありとあらゆる手を使ってその発言を後悔させてあげます。


繰り返しているのなら……なんて、それは結果論であり、偶然の産物なのだから。


この繰り返しだっていつまで続くのか分からない。

いっその事、もうこのまま繰り返しなど終わってしまった方が……と何度も思った。


だって、死ぬ直前というのは、幾ら何度も死を体験しようと震えが止まらない程に恐ろしい。

何より、耐え難いあの痛みと苦しみを一身に味わう事は、考えただけでも気が狂いそうになる。

そればかりはどれだけ繰り返そうと慣れることなどないのだ。


死に関わる事が起こる度に、『もうこれで最後にしてくれ』と、ラフェリアは神を呪いたくなる程に酷で辛い仕打ちを受けてきたのだ。


それこそ、自分の延命や幸せ、真実を明かすこと、失った家族を救うことも……その全てを諦めて"自殺"を試みた程には。


といっても、死の恐怖を骨の髄まで染み込まされた今では、自殺ですら"死"と言う恐怖が打ち勝ってしまって、したいと思っても震える体は動かず出来ないが。


それに比べ、繰り返しの中で友人から向けられた棘のある言葉や視線程度は最早慣れたもので、痛くも痒くもない。

寧ろ、『とっくの昔にもう友人だとは思っていませんでしたが?』と教えてあげたいくらいだ。


ラフェリアは大きな溜息を吐き出しながら、もう何度目か分からないやり直しの中で、たった今"離別宣言"をしたばかりの友人を冷めた目で見上げる。

今回はこの男が一番手でのようで、この台詞を聞くのはついに六度目となった。


その言葉に、『ああ、そうですか』という言葉しか浮かばない。

初めて言われた時は、これでも少しはショックを受け、慌てふためいたというのに。


というか、それを言う為だけに毎度王宮に呼ばないで欲しい。

自分の非から婚約破棄を告げるのだから、普通はそっちが邸宅に来るべきでは?と、突然の婚約破棄の言葉よりもマナーのなってなさについてラフェリアは物申したい。


それと、どうせ婚約破棄を告げるなら、先に陛下と王妃様に事前に伝えて、婚約破棄の誓約書も持ってきておいて欲しいものだ。

傍に居てあげたい人…への愛はその程度なの?やるならちゃんとしなさいよ!とも思う。


そんな風に、脳内で目の前の男のマナーと手際の悪さに悪態をつきながら、淑女の仮面は外さないラフェリア。


「どうぞお好きになさって下さい。では今後は私と殿下は赤の他人という事で。二度と私に馴れ馴れしくしないでください。それでは、どうぞその方とお幸せに」


向かい合った翡翠のような美しい瞳を持ち、国を背負う為の婚約を自らの恋の為、一方的に破棄するという無責任かつ身勝手な台詞を堂々と述べた彼に、ラフェリアは初めてはっきりと『お好きにどうぞ』と告げる。

以前は呼んでいた『ディリー』という、愛称すら呼ぶことなく他人行儀に冷たく話す。

これはもう"友人"ですらない、という明確な線引きだ。


目の前に居るラフェリアの幼馴染であり婚約者でもあったはずの青年は、その事に呆気に取られたようにその翡翠の目を丸々と見開いている。


一番手である彼、デイル・フォン・グランツェリア。

彼はこの国の王子殿下である。

過去のやり直しの中では、陛下と王妃が不在の間に、ラフェリアのありもしない罪を調査もなく真実として公開し、強引に婚約破棄と国外追放の宣告をした。

それ以外も色々やらかしてくれたが、調査もせずに罪状を決めたり、実行権利もないのに身勝手にも刑罰を執行したことのある彼を見てきたので、このような人が将来国を治めると思うと、この国の未来が不安で仕方がない。

出来れば他の王子か王女を推したい。


最早、友どころか臣下としても見放している王子殿下を見ながら、『早く帰りたい』ともう帰ることを考えていたラフェリア。


「…え?ラフェリア、今、なんて?」

「はぁ……ですから、私の事などお気になさらずにどうぞ思う存分彼女の傍に…と申したのですよ殿下。ただ、婚約関係でありながらそのような不誠実は許されません。ちゃんと殿下から国王陛下と王妃様にお伝えしてくださるのですよね?婚約破棄をしたいと」

「あ、ああ……ラフェリアさえ許してくれるのであればそのつもりだが」

「許すも何も、この婚約自体望んでなされたことではありませんでしたから」

「なっ!?」


何を今更驚いているのか?

お互い承知していたことだろうに…と思いながらラフェリアは冷たい視線で淡々と続きを述べる。


「殿下だってそうでございましたでしょう?それでも友人として寄り添えるよう努力したつもりですが、殿下が愛する人を見つけてしまったのであれば、私は引き止める気はございません。ただ、不誠実を働いたのは殿下なのですから、殿下の口から真実をしっかりとお伝えするというお約束位はお守り下さい。次期国王になられる方がこれ以上不誠実な事をされない事を"民"の一人として願っておりますわ」


いち"臣下として"と言わなかったのは、私がもう貴方を"王の器"として見てないですよーってアピールである。


「ラ、ラフェリア??」

「あ、あと今後は名前ではなく家名でお呼びください。私と殿下はもう"赤の他人"なのですから、そのように下の名前で呼ばれると周りに誤解されます。私としても殿下と親しいと思われるのは嫌ですので。まぁ、今後はお会いすることもないでしょうが」


割と酷いことを言っている自覚はあるが、それでもこの男と"親しい"だなんて鳥肌が立つくらい嫌なのだ。


『それでは御機嫌よう、皇太子殿下』と綺麗なカテーシーで礼をとり終えると、これでもう殿下と話すことはないと、ラフェリアは清々しい笑顔をひとつ見せてからデイルへと背を向けた。


後ろから弱々しく、『ラフェリア…?』とまた図々しくも名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、今のラフェリアには些末な事。

振り返る気すら起きない。


(清々するわ……今度こそ貴方の恋愛に私を巻き込まないで下さいね)


その願いが叶うことはなかなかに難しいと知りながらも、ラフェリアは殿下へと恨みの念を飛ばしながら庭園を颯爽と歩きすぎる。

長い髪ピンクブロンドを揺らしながらラフェリアが歩いていると、その後を追うように色濃い灰色の髪を忙しなく揺らしながら付いてきた騎士が一人。


少し離れたところで護衛をしていたラフェリアの専属騎士だ。

この男も、散々ラフェリアの繰り返しでやらかしてくれるはた迷惑な男なのである。


名前をテオドル・ベル・ハシュリー。


幼い頃からラフェリアの傍におり、()()()()()()()()()()騎士。

彼がラフェリアの斜め後ろにあたる位置まで距離を縮めると、剣を含んだ声で話しかけてきた。


「お嬢様、良いのですか……?あの様に身勝手な発言を許して。いくら皇太子殿下でも、お嬢様を軽んじた上あのように一方的な事…許せませんっ」


離れていたところからでも、内容はちゃんと聞こえていたらしい。

テオドルの顔をちらりと見れば盛大に顔を顰めていた。

本当だったら今すぐにでも殿下を怒鳴り付け、相応の罰を与えたいと考えているのだろう。

付き合いが長いから簡単に想像がついた。


なのに彼がそう出来ず、声を潜めてこうして話しているのは、相手が他でもない"皇太子殿下"であるからだ。


公爵家付きの騎士と言え、彼自身の爵位はそう高くない。

ましてや、主であるラフェリア自身がああもあっさり引いてしまった以上、勝手に動けるはずもない。

だからこそ、この男はこうして顔を顰めて怒りを耐えているのだ。

そこだけ切り取って見れば、主想いのとてもいい騎士。

けれどラフェリアにとっては………。


(どの口が、そんな事を言うのかしらね?)


そう思わずにいられない。


あの皇太子もこの男もそう変わらないのだから。

まるで、本当に自分を心の底から思っているような態度を取られることに、ラフェリアは甚だ不愉快だとすぐに前へ向き直った。

テオドルを視界に入れることすら嫌だ。


「構わないわ。私からではなく、皇太子殿下から直々に婚約破棄を言い渡されたのだもの。我が家に不利益にならなければそれでいいの」

「ですが、お嬢様は……」

「何?」

「皇太子殿下とあんなに仲睦まじく…その想い合っていたのでは?」


過去にも交わされたことのある会話をなぞり、ラフェリアが事務的に返答を返していると、後ろからそんなことを言われた。

これも過去と全く同じだ。


「そうね……友達とは()()()()()()。だから、これから夫婦になる為に、親愛でも恋愛でも構わないからいい関係をと努力もした。でも、それだけよ。現に、あなたの言う"想い合っていたはずの皇太子殿下"は好きな方がいるようだし?」


ふっと短く息を吐き出すようにして笑った。

そう、あくまで昔は…ねと心の中で付け足す。

今は"友"とすら思ってないもの。


正直、ラフェリアは初めから彼との婚約がなくなろうと続こうと別に構わなかったのだ。

自分や家族にとって、不幸な結末に繋がらないのなら。


婚約者といっても、王族である彼に釣り合う爵位の家であり、幼い頃から幼なじみであるラフェリアと彼は仲が良く、おまけに皇后様のお気に入りであった為に白羽の矢が立っただけ。


両親の立場を考えると、幼いながらもその申し出を拒否できなかったラフェリア。

ラフェリアが十歳の頃にその話を受け、婚約者におさまったというだけで、当時も今もラフェリアにはブルージュ家の者としての責務として務めを果たすという義務感しかなかった。

寧ろ、王族である彼から婚約破棄をして貰えるなら、その責務も問題なく放棄できる。

彼には友としての感情や家族のような情は持ち合わせていたが、恋愛感情はまだ持てなかったし、今や裏切り続けられてそんなもの持とうとすら思えない。


今までのラフェリアならば、友人だからと遠慮していたり、人の心なのだから恋をしてしまったのなら仕方がないと何かしらの理由をつけて、彼が悪いわけではないと言い聞かせてきた。

だが心が枯れ果て、繰り返す事に恋に溺れた彼のせいでどんな酷い目に合うか経験してきたラフェリアには、とてもじゃないが彼が悪くはないとは思えなかった。

だから、六度目の今…暗に『貴方との関係なんてどうでもいい』という態度を隠すことなく示した。


どうせ何をしたって結末は大して変わらないのだから、少しは腹いせにと思ったのだ。

ラフェリアからしたら、いつも自分ばかりが我慢して酷い目に合っているのだから、こんなものささやか過ぎるほどだ。


ついでだから…とラフェリアは足を止めてくるりとテオドルに体ごと振り返った。


その短い時間だけは、視界にも入れたくなかったテオドルの顔を見るために。


「あと、テオドル。本日をもって私の護衛騎士を外れて頂戴。お父様には私から伝えておくから」

「…………はい??」


突然ラフェリアから解任宣言を投げつけられたテオドルは、めずらしく狼狽したように目をさ迷わせている。


「俺が、なにかしましたか……?」

「いえ、なにもしてないわ(()()ね)。ただ、数日中にはどうせお父様から解任される事になっていたと思うわ。私の護衛から外れるだけだから、今まで通り仕事もあるし問題ないでしょ?」


すっと細めた目で薄く笑ったラフェリア。

その笑みはどこか含みのある…ミステリアスな笑みだった。


テオドルは言われた意味が理解できずにそれを呆然とラフェリアを眺めるしかできない。


ラフェリアはこの顔が見たかった。

この、いつか自分を切り捨てた男を自分で切り捨てる時のこの顔を。


だが、見終わればもう興味はない。

戸惑いと少しの絶望間を滲ませた顔のテオドルを残し、ラフェリアはまた視界からその姿が見えないように踵を返す。


(解任…?ならお嬢様の護衛は誰が?そもそも突然何故……しかも、今でなくとも数日中にはそうなってたはずとは一体……)


理解が追いつかず、少しの間その場に取り残されたテオドルは、混乱する頭を落ち着かせる暇もないまま、動き出してしまったラフェリアを追う。


今自分がここにいるのは、ラフェリアの護衛の為だ。

ならば、私情ではなく任務が最優先だと、頭が回っていなくとも本能的にテオドルの体が動いた。


いつもより迷いの滲む動きではあるが、テオドルが付いてきているのを一瞬だけ横目で確認したラフェリア。

その足取りは軽く、通い慣れた庭園を最短ルートで抜け出ると、侍従を待たせている部屋へと戻った。


「お嬢様、お帰りなさいませ。随分早かったのですね?」


そう言って出迎えてくれたのは、どの繰り返しでも絶対に私を裏切らない…本当に心の許せる存在のミラだった。


ラフェリアはテオドルに廊下で待機するよう命じたが、テオドルは先程の話の続きをしたいのか、引き止めてこようとする。

だが、ラフェリアにはそんなものに付き合ってやる義理もない。


ラフェリアを呼ぶテオドルの声に『何?』とやや冷たい目線でその先を遮ると、ラフェリアの拒絶を感じ取ったのか言葉を飲み込んだテオドル。


それより先は食い下がってこなかったので、テオドルを廊下に置き捨てて、ラフェリアはミラと共に部屋に消えた。

ミラはテオドルへの少し冷たい態度と、随分と帰りが早かったことを不思議がりながらも、備え付けのテーブルセットの椅子をラフェリアの為に引いて待ってくれている。


「えぇ。殿下と婚約破棄の話をしただけだから、そう時間は掛からないもの」


その気遣いに『ありがとう』とお礼を伝え、椅子に腰掛けると、ラフェリアはミラの疑問を解消してやった。


話しながら肩から掛けていたショールを外して折りたたむと、膝掛け代わりに自分の足上へと乗せる。


「そうですか…婚約破棄を。あ、外は肌寒かったでしょうし、お茶でも飲みますか?」


なるほどと頷いたミラは、ラフェリアが膝にショールを置いたのを見て、お茶で温まったらどうかという提案してくれる。

付き合いも長い上、ラフェリアのことをよく見てくれているミラはとても気が利く。

このような些細な動作ひとつで、ラフェリアの為にと動いてくれる最高の侍従であり、ラフェリアにとっては友人とも言える存在だ。


「そうね。お願い」

「はい。じゃあ準備して…………って、えぇっ!?婚約破棄ぃっ!?」


なんだ。やっぱり理解していなかったのか。


ミラの遅すぎる反応にラフェリアははぁっと小さく息を吐き出した。

ただし、その顔には呆れなどではなく、苦笑という表現が正しい表情を浮かべて。


今まで、同じ流れで婚約破棄、そしてテオドルに付き添われてここまで戻ってくる…という流れは多々あったし、内容もラフェリアが過去をなぞればほぼ差異はない。


ただ、今回のようにデイルにああもはっきりと考えを告げたり、テオドルに解任宣言をしたりすると少しだけ変わる事もある。


そして、ミラもそうだ。


今までは、ここでは婚約破棄の件は告げず…先にお父様に報告をと、何があったのかは話していなかった。

だから、その流れを無視したラフェリアの婚約破棄の話を随分あっさりとミラが納得した様にうなづくから、理解力がある上に冷静ね…と、感心していたのだが、ただ単に脳の処理が追いついていなかっただけのようだ。


遅ばせながら、『婚約破棄』という単語について脳の処理が追いついたらしいミラは、お茶の準備をしに行こうとしていたはずが、目を真ん丸にしてこちらに戻ってきた。


「ど、どどどど、どういうことですかお嬢様!!デイル殿下と何がっ!?まさか酷いことでもされたのですかっ!?」


その目を血走らせて早口に捲し立てるミラ。

向かい合うように目の前に来たミラが、前から体全体を使って覆うように両手で椅子の背を掴み、答えるまで逃がさないとばかりにラフェリアを囲いこんだ。


その迫力に、椅子の背のせいで逃げ場のない体を出来る限り後ろに反らせて咄嗟に距離をとる。

正直、圧が凄すぎる。


「…ミラ、落ち着いて。別に何もされていないわ。ただ、殿下にお慕いする方が出来ただけよ」

「それって浮気じゃないですか!!何もされてなくありません!!」


信じられないと、怒りを露わにするミラ。

確かに、もし私がデイルを好きだったのなら、ミラと同じように『浮気するなんて』とか、相手の女の子に『この恥知らずな泥棒猫』と、憤慨し罵っていたかもしれない。


けれど、残念ながらデイルにそのような感情は持ち合わせていなかった私。

浮気だろうがなんだろうが、不穏因子であるデイルとの婚約が破棄されたことは、寧ろ喜ばしいことなのだけど…それを知らないミラは本人が怒っていないにも関わらず怒り狂っている。


「いや、浮気って……私達はあくまで婚約者であって結婚もしていなければ、その婚約だって政略的なものよ?」

「だからって、一度は頷いた婚約!その相手であるお嬢様になんて仕打ちを!殿下といえど許せませんっ!!」


悪鬼の如く顔を歪めたミラが、『旦那様にも報告せねばっ』と背に炎をメラメラと燃やしていた。


でもまぁ、自分の為にここまで怒ってくれる人がいるというのは本当に嬉しいものだ。

友人の殆どに対して心が枯れ果てているにも関わらず、家族やミラ…その他の関わりを持つ人達に対してはまだ昔のように温かな心が残っているのは、こういった相手からの私に対する"本当の好意"を感じるからだろう。


繰り返しの中で知った、変わることのない私への愛情や優しさ。


それを知ることが出来たことだけは、この苦痛を伴う繰り返しの中で得ることができた大事な副産物だ。


「ミラ、本当に大丈夫よ。ここだけの話、私殿下と婚約破棄出来て精々しているの。強がりではないのよ?」

「そんなっ……お嬢様、本当は殿下との婚約がお嫌だったのですか?」

「嫌…と言うより、別に恋愛感情もないのに、ただ公爵家に生まれただけで釣り合うからと組まれた縁談よ?公爵家の娘として仕方がないとはいえ、出来ることなら恋愛結婚したいのが女というものでしょう?それに、相手が殿下だったせいで、王妃教育としていつも過密なスケジュールをこなさなくてはいけないし、妥協は絶対に許されない。その上虎視眈々と殿下の妃にと狙う女の子たちから嫉妬や敵意を向けられ続けて…正直窮屈すぎたの」


嫌…とは違うが、乗り気ではなかったというのが本音だ。


デイルの婚約者にならなければ、もっと自由に過ごせたし、分厚い淑女の仮面を被ることなく、もう少し自然体な自分でいれただろう。


それこそ、年相応に遊んだり、買い物やカフェに行ったり。

趣味に没頭したり…と、やりたかったことは沢山あった。


けれど、王妃教育でそんな事に使える時間はあまり多くなく。

その上、常に"殿下の婚約者"という重すぎる肩書きがついてまわり、その分被る仮面はどんどん分厚くなっていった。


「確かに…休む間もなかったですからね。お嬢様が倒れてしまわないか、私はいつも心配でした」

「そういう時はミラがいち早く気づいてくれて、休むよう促したり体にいいものを用意してくれたわね?感謝してるわ」


そう、王妃教育とは本当に過酷であり、妥協は許されない。

将来を考え、皆の手本になるようにと当たり前の教養は勿論、ハイレベルな立ち振舞に知識と判断力を培う為に日々勉強漬け。

たまの息抜きですら、人の目がある場では常に人々の視線を意識し、気を抜く事は許されない。

姿勢は愚か、言葉遣いに人への対応も配慮する必要があった。


嫉妬や敵意は毎日付きまとい、少しでも隙を見せれば付け込まれるから尚更気を張り。

たまに嫌がらせだってあった。

といっても、殿下の婚約者という肩書き抜きに公爵家のラフェリア相手では、令嬢達も弁えたレベルの些細…とも取れるものではあったが。

それでもされれば憂鬱になるし、怒ることだってある。

それさえ一人で飲み込まなければいけない日々はとても窮屈な生き方だった。


そんな日々で無理をしないはずがない。

何度挫けそうになったことか。


それすら他人に見せることは許されないと、ラフェリアは家族やミラの様に余程親しい間柄にしか弱さを見せなかった。


時には、鼻血を出しながら必死に勉強に励み。

時には、パーティーで終わらない嫌味を聞きながら、手に持った扇を犠牲にし、その時間を耐え忍び。

時には、胃が捩れる程のプレッシャーの中、政策について参加したりもした。


ミラは期待に応えねばと無理するラフェリアを特に間近に見ていたので、いつも注意深く観察し、ラフェリア本人が自覚なく無理をし続けていると、見計らったように休む事を促した。

それは睡眠であったり、食事であったり…適切な休みをミラはラフェリアに必ず取らせたのだ。

彼女がいなければ、ラフェリアは一年に数度は倒れていただろう。


「だから、そんなに怒らないで?殿下のおかげで、私はこれから自由に過ごせるのだから」

「うぅー、それとこれとは別な気がしますが……お嬢様がそれでいいのであれば」


まだ納得いかないと不満そうな顔に書いてあるが、私が笑顔でそう言えば渋々頷いたミラ。

やっと両腕を退けてくれたので、ミラが体を張って作った檻は無くなった。


「それより、紅茶をお願い。今日はカップを二つ用意してね?」

「二つ、ですか?」


この部屋にはミラと私しかいない。

お茶を所望した私は兎も角、客も居ないのにあと一つは誰の?とミラは首を傾げた。


「えぇ。折角、晴れて婚約破棄になったんだもの。この喜びを分かち合いたいの。付き合ってくれるでしょ、ミラ?」


と、パチリとラフェリアはミラに向けてウィンクをして見せた。

記念すべき今日を、一人で祝杯なんて勿体なさすぎる。そう思ってのお誘いだ。


普通は使用人とお茶なんて有り得ないのだろうが、ここには咎める者も見ている者もいない。

茶目っ気を存分に出した私のウィンクを見て、ミラはやっと表情を緩めて『かしこまりました』と小さく笑った。


「…あっ!祝杯というなら、テオドル様もお呼びしましょうか?」


準備をしながら、思いついたと突然声を上げたミラ。

その言葉に、ラフェリアは思わず晒してしまいそうになった渋い顔を、咄嗟に繕った笑顔の下へと隠した。


「一応、殿方に振られた身ですもの。同じ男性であるテオドルを呼ぶのはちょっと……ここは女の子だけでお祝いしたいわ」


そして、テオドルを呼ばずに済みそうな理由を適当にでっち上げて誤魔化す。


素直なミラはそのまま騙されてくれ、逆に申し訳なさそうに『失礼しました』と肩を落としてしまったが……こればかりは許して欲しい。

せっかく、晴れて不穏因子"その一"との離別を祝う祝杯に、何が悲しくて不穏因子"その二"を呼んで乾杯しなければいけないのか。

それじゃただの悪夢だ。


嫌すぎる…と頭を抱えたくなりながらも、事情を知らないが故のミラの気遣いだから仕方がない。


それよりも気にするべきは。


(それよりも……屋敷に戻ったらお父様への報告と、あの事について何としても許可を貰わなければ)


不穏因子その一であるデイルはとりあえず暫くは問題ないだろう。

ならば次はその二からその四まで。

まとめて関係を一掃しようと、ラフェリアは繰り返しの生活の中で考えていたある案を実行しようとしていた。


デイルへの態度はただ我慢が出来なくなっただけ…というのもあるが、実はこの為でもあるのだ。


ラフェリアが今後の流れを練っていると、ふわりとしたあまい花の香りが漂ってくる。

ミラが用意してくれた紅茶の匂いだ。


トレーにティーセットを乗せた身らがこちらに近づくにつれ、その香りは濃く…考えに耽っていたラフェリアが顔を上げれば、ミラが『お待たせしました』と、告げておいた通り二つ持ってきたカップに紅茶を注ぎ入れてくれる。


(とりあえず、今は難しい事は後にして)


目の前でポットからカップへと流れ落ちる琥珀を眺めながら、二人分の準備が終わるのを見て、ラフェリアは香り高い紅茶が入ったカップを手に、『婚約破棄、万歳〜』と、ミラと共にカップを掲げたのだった。



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