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女装

「はじめまして、マダム。私の名前はリカルド・フェアウェイ。こちらのお嬢さんと先ほど道でぶつかってしまい、差し出がましくもお宅まで送らせて頂きました」


「ま、まあ……っ。それはどうも、ご迷惑をおかけしました」


 叔母の声は上ずっていた。


 なにせ、いかにも仕立ての良さそうなジャケットを着た、ちょっとやそっとではお目にかかれないような美男子が訪ねてきたのだ。

 ろくでもなさそうな相手なら鈴花ともども馬鹿にするだろうが、リカルドの容姿はさすがの叔母も文句のつけようがないらしい。


「ぶつかったときに彼女が転んでしまって……。怪我はないとおっしゃっているのですが、着物を汚してしまった。本当に申し訳ありません」


「わざわざそんな、いいんですのよ! 大した品じゃありませんから」


「本当にすみません。ああ、手にも泥が……」


 道中で、朔がわざと煤をつけて汚してくれた右手を取られる。


「ごめんね、洗っておいで」と手の甲にキスでもしそうな色気を出して言うものだから、鈴花は動転したふりをして――というか、実際赤くなりながら、「こちらこそすみませんでしたっ!」と頭を下げ、逃げるように屋敷に入った。


 初心(うぶ)な娘が手を洗いに走ったことに対し、叔母や桜子は非礼を詫びているところだろう。あの子ったらすみません、恥ずかしいわ、なんて言っているのが想像できる。


 とにもかくにも家の敷居を跨ぐことができた。


 居間では家政婦が夕食の支度をするために皿を並べていた。あの部屋にオルゴールがないことは分かっている。あるとすれば二階の衣裳部屋か物置き――与古浜の屋敷から持ち出したものの大半はそこにしまってあるはずだ。


(急がなきゃ)


 自分の部屋に戻るふりをして階段を上り、音を殺して衣裳部屋に入り込む。


 中は着物がしまってある桐の箪笥が主だ。隣の物置の方へ移る。


 古いつづらは叔母の嫁入り道具。外国語の書かれた箱は頂き物の食器。鈴花の家にあったものなら手前の方にあるはずだと検討をつけても、自分にはどれが我が家にあったものかわからない。ざっとめぼしいところを探したものの見当たらなかった。


(あとは……あとは、桜子の部屋?)


 扉を開けるのにこれほど勇気が要った部屋はない。


 輸入品のテディベアや小物入れなど、一目でわかる彼女の「お気に入り」には置いていなかった。鈴花が勝手に部屋に入ったと知られたらただでは済まされないので、何一つ触らないように細心の注意を払って部屋の扉を閉める。


(リカルドさんたちがわからないだけで、もうこの屋敷にはないのかもしれない?)


 売ってはいないようだとリカルドは言っていたけれど、知人に譲ったとか? ……いや、考えにくい。珍しい物なら質屋に入れて金にするだろう人たちだ。


 半ば諦めかけながら叔父夫婦の寝室を覗いた鈴花は、鏡台の上に置いてある精緻な模様の彫られた小箱に息を飲んだ。


 オルゴールだ。


 ……しかし盗み出すことはやはり無理だろう。


 毎日使う鏡台の上から物がなくなっていれば叔母だってすぐに気づく。


 鈴花は部屋を出ると階段の踊り場から外を見た。叔母と桜子はこちらに背を向けている。朔にわかるように頭の上で丸を作ってみせると、彼はリカルドに話しかけた。「そろそろ時間が」とでも言うように懐中時計を見せ、場がお開きの流れになる。


 鈴花はそっと階下に降り、戻ってきた叔母と桜子に頭を下げた。


「叔母様、桜子さん。……すみませんでした。反省しています」


 近くにリカルドがいる状態で鈴花を追い出したりはしないだろう。二人とも楽しい気分に水を差されて鼻白んだ顔をしたが、ツンと澄まして部屋の中へ戻っていった。どうやら鈴花は許されたらしい。ほっとしつつも複雑な気分だった。


(……まだ、この家に置いてもらえる)


 それが良い事なのか悪い事なのか。ここしか居場所がないと思っていた鈴花の心は揺らいだ。



 ◇



「道を教えてもらいたいのですが」


 翌日。玄関掃除をしていた鈴花が声を掛けられて振り返ると、おさげ髪に袴姿の女学生がいた。三角に折ったネッカチーフを襟元で結び、口元を隠している。これは芸妓が始めた防寒対策らしく、寒くなってからは真似をする女性をよく見かけるようになった。


 女学生は風邪をひいているのか、声も少し低い。


「構いませんよ。どちらまでですか?」


「……隅町」


「隅町ですね! ええと、大通りはわかります? ここをまっすぐ歩いていくと――」


「気付けよ、馬鹿。俺だ」


 乱暴な口調にハッとする。


「え、さ、朔さん⁉」


「静かにしろ。こっちは目立たないように変装してきてるんだから」


 なんと、女学生風に装った朔だった。


 恐らく、喉仏を隠すために大判のネッカチーフを巻いているのだろうが、整った顔立ちをしているだけに違和感がない。というか、「美人ですね……?」と感想を漏らしてしまった鈴花に、朔は嫌そうな顔をした。


「好きでこんな格好してるわけじゃない。リカルドは歩いているだけで目立つし、仕方ないだろ。……外で話がしたい。女学生の道案内をしてくるとでも言ってこい」


 庭にいる女中を顎で示されて従った。


 言い訳はすんなり通り、鈴花は矢代家の敷地を離れることができる。


 二階の窓から誰かに見られている可能性もあるから、としばらく道案内のふりをして歩きながら、「あったんだな」とオルゴールの所在を確認された。


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