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奇術

「え」

「……なんちゃって。うそうそ、冗談」


 すぐにニコッと笑われた。


「面白いショウだから、一人でも多くの人に見てもらいたいなあって思って声をかけただけで、変なことを考えているわけじゃないから安心して」


 鈴花はあははと慌てて笑った。


(び、っくりした……)


 綺麗に整った顔から表情が消えるだけで、青い瞳はとても冷酷に見えた。冗談だとしても心臓に悪い。


 覗き見防止のためか、入り口にのれんのように吊られた暗幕をめくって中に入る。奥に舞台代わりの平台が置かれ、椅子は五十席ほど並べられていた。


 客は同年代の若い女の子たちが多く、鈴花を安堵させる。


 熱心な女性客が多いのか前方の席は人気だ。そちらへ行くのは横入りするようで気が引け、一番後ろの列に腰を下ろしたところで改めて男性に頭を下げた。


「お代、ありがとうございました。このご恩は忘れません」


「大げさだなあ。かわいい子を誘っただけでこんなに感謝されるなんて」


 さらりと「かわいい」なんて口にしてしまえるなんて、さすが異国人……。お世辞だとわかっていつつも、男性からそんな風に優しい笑みを向けられたら世の女性の大半は勘違いしてしまうのではないだろうか。


(やっぱりこの人、シュウクリームみたい)


 甘くてふわふわでつかみどころがない。どうやって作られているのか見当もつかない、庶民には手が出せないようなお菓子だ。


 一生分の素敵なご縁を使い果たしたと割り切り、鈴花はこの時間を楽しもうと決めた。ふわふわ翻弄されるばかりではなく、自分からも何か気の利いた会話をしなくては。


「えと、お名前を伺っても構いませんか」


「リカルド。お嬢さんは?」


「矢代鈴花です。リカルドさん、日本語お上手ですね」


「どうもありがとう。もう十年近く居留地(きょりゅうち)で暮らしているからね」


「居留地……というと、都木地(つきじ)のですか?」


 開港に伴い、外国人の居留を定めた地区はまだ数少ない。


 帝都なら都木地に存在するが、リカルドは軽く首を振った。


「いや。元々は長ヶ崎(ながさき)の居留地に居たんだ。今は一時的に帝都に滞在しているだけだよ」


「そうなんですか……」


 仕事で帝都に来ているのだろうか。

 ということはいずれ長ヶ崎に――あるいは祖国へ帰るのか。帰る場所がいくつもあるなんて「羨ましいです」と思わず漏らしてしまう。


「羨ましい?」


「あ、ええと……。わたしもいろんな所に行ってみたいなって。長ヶ崎の居留地はホテルや銀行なんかもとっても洒落ていると聞いたことがありますし」


「そうだね。あちらは異国人技師も多いから、目新しく感じるかも……。私からしたら、この辺りもずいぶん洒落ているよ。道を一本挟んだだけで異国に迷い込んだかと思ってしまうくらいだ」


「ふふっ。確かに帝都はまだまだ発展途上ですから。あと十年、二十年後にはどうなっているのか想像もつきません」


 自分の暮らしさえもどうなっているか想像がつかない……。内心でそんなことを思いながらも楽しい会話に終始していると、ショウのはじまりを告げる短いベルが鳴る。


 口を噤むと周囲もおしゃべりをやめた。黒いカーテンを吊って作ったらしい即席の舞台袖から青年が現れる。


(彼が奇術師……)


 確かに女学生たちが言っていたとおりハンサムだ。黒髪に鳶色の瞳なので東洋人であることは間違いないのだろうが、ぱっちりとした大きな瞳と滑らかな白い肌は、女の鈴花から見ても羨ましい。人形めいた美貌に、白いワイシャツとサスペンダーで吊った焦げ茶のコットンパンツという洋装がよく似合っている。


 鈴花と同年代くらいに見えるが、一般的な男子よりも小柄なせいか男装の麗人のようにも見えた。


「レディース・アンド・ジェントルマン。紳士淑女の皆様、ごきげんよう。これより、わたくしジョーが不可思議な術をご覧に入れて差し上げましょう」


 ジョーと名乗った奇術師は、勝ち気な笑みを見せてお辞儀をした。


 ハキハキとした声は自信に満ち溢れていてよく通る。


「まずはこちらの箱」


 彼の美しい容貌に賭博者のような熱が宿った。


 木箱の中身が空っぽだということを強調するように客に見せたあと、真っ赤なスカーフをかける。


「わたくしめが呪文をかけると、この中に本が現れます。さあ、見逃すことなかれ! ワン・ツー・スリー!」


 ジョーがスカーフを外すと、木箱の中に一冊の本が入っていた。


 さっきまでは空箱だったのに――そしてジョーが分厚い本を開くと、紙吹雪が飛び出して辺りにぱっと舞い上がった。客席が湧く。


(すごい! さっきまで何もなかったのに……! あの箱に仕掛けが⁉)


 ジョーがもう一度箱にスカーフをかけると、今度は真っ赤な球体が現れた。


「これはなんの変哲もないゴム毬です。最前列の麗しい乙女たちも遊んだことがおありではないですか?」


 麗しいと言われた女学生たちが、きゃっと可愛らしい悲鳴を上げる。


 ジョーはおどけた仕草で「よく弾みます」と床へ打ちつけて笑いを誘った後、持っているゴム毬にスカーフを掛けた。すると、たちまち赤い球体は消えてしまった。


 ゴム毬はどこへ? ジョーは再び自分の手にスカーフを掛けた。すると、現れたのは先ほどのゴム毬ではなく林檎だ。ジョーが齧ると果実の瑞々しい音が響く。本物の林檎に早変わりしていた。


「これが奇術? どうなっているの……?」


 物が消えたり現れたり、彼は妖術使いなの?


 彼の手が次々に不思議なことを起こす度に歓声が上がり、鈴花も夢中で手を叩く。


 目を丸くしている日本人の小娘に、リカルドは優しく笑みをこぼした。


「鈴花はマジックショーを見るのは初めて?」


「まじっく?」


「奇術のことだよ。日本だと手妻……と言うのでしたっけ。西洋ではこうしてカードやボールを使うことが多いんだけど、何かに視線を引き付けているうちにすばやく物を入れ替えたり隠したりしているんだ。視線誘導(ミスディレクション)だね」


 異国語部分の発音は――当たり前だが滑らかで、鈴花は不意にどきりとした。


 鈴花にだけ聞こえるように絞って離された声には大人の色気が滲んでいる。ついさっきまでジョーの奇術に魅入られていたのに、鈴花の意識は完全に隣へと移ってしまった。


(『鈴花』なんて家族でもない男性に呼び捨てにされたの、はじめてだし)


 異国人は名前(ファーストネーム)で呼び合うのが普通だが、鈴花にはあまり馴染みがない。


 赤くなった頬を見られないように慌てて舞台上に視線を戻すと、ジョーと目が合った。……ような気がした。


「次の奇術には助手が必要でして――」


 にこやかに笑ったジョーがこちらを指差す。


「一番後ろの席の、萌黄色の着物のお嬢さん。ちょっと手伝ってはくれませんか?」


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