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9、息継ぎもできないココロ



 ヒナの食べ歩きに付き合わされた午前とはおさらばし、午後は校内の展示を覗きに行くこととなった。

 展示スペースは本校舎2年の教室と同棟3階のみ。外で開かれる露店より数の規模は小さいから、気が向かない展示を順に観たって全部回りきるのに2時間もかからなかった。


 逃げられる心配がないのを察してか、腕を掴んでいたヒナの手の力も若干弱まった気がする。

 どうせ今日のコイツはしつこく追いかけてくるだろ。


 オレも、もう抵抗する気はとっくに失せてる。

 無駄だし、懲りた……。無心で歩いてるだけなら、疲労感も思ったより少ない。

 20個くらい思い付いた文句も、すんなり喉の奥に引っ込んでいった。




 文化祭1日目の終了は、いつもの下校時間を30分も越えてからになった。

 催しは明日もあるし、どっちかと言えば3日目のほうが本番だ。


 とりあえず今日は、オレの危惧していたことは起こらなかった。

 羨望はあったと思うが、批難や嫉妬で睨まれることもなく、ヒナのファンに直接絡まれることもなかった。

 外部の人間を気にしてか、ヒナの目を気にしてか。たぶんどっちもだろう。

 そこだけは、いつもと違って良いな、とは思った。


 スニーカーを履いて玄関を出ると、ヒナが後ろから追いかけてくる。



「家に帰るまでが……」

「有効期限は現時刻をもって終了に決まってんだろ。ついてくんな」



 コイツ、絶対に遠足の決まり文句言おうとしたな。そうはさせねえ。オレには、このあと予定がちゃんとあるんだ。



「そんなにあの店が好きなんだ」



 今日を無事にやり過ごしたご褒美に、と喫茶店までどの順路で走って行こうか考えてると、その美人は含みのある物言いをしてくる。


 自分自身を労りたいとき、オレが何を求めるのか。ちゃんと知っているみたいだな。

 そして知らないふりか、気付いてないふりをしてる。オレがひとりの時間を楽しみたいって部分を。



「行かないでってお願いは聞いてくれないんでしょ。なら、せめて一緒に行ってもいいじゃん」



 まだ何も言ってないが、オレはヤツにそう言わせる言葉を言うつもりだった。

 先を見通すのは勝手だが、コイツを学校の外でまで伴うつもりはない。



「オレはな、おまえみたいに友だちの多いやつが苦手なんだ。ひとりで行動できるやつがタイプなんだよ。同じ類いのやつのほうが気も合うってもんだぜ」



 フン、と語気を強めて言い放つ。ヒナは黙った。

 口を開けてはいたから、何かは言うつもりだったんだろ。でも、なにも声にはしなかった。


 学生鞄を肩にかけ直し、颯爽と正面玄関から抜け出す。

 恐い人気者が追ってきたりしてないか気にしつつ、校門を後にする。

 ときおり不安になって振り返ったりしてみたが、オレを追ってくるやつは誰もいなかった。


 だけど、ヒナが素直に言うことを聞くとは思えない。

 そわそわと落ち着かない心臓が痛くて、痛くて……。

 馴染みの喫茶店がある曲がり角に踏み込んだところで、それまで全速力で走っていたことに気付いた。


 店の前で深呼吸しながら辺りを見回したが、やたらと気配に敏感になって気疲れするだけに終わり、店内に入ってもヒナの姿を見つけることはなかった。



「──いらっしゃい。……なんか疲れてる?」

「ああ。うん、まあ……」

「コーヒー濃いめにしておこうか?」

「助かる」

「いいけど。……その言葉遣いで大丈夫?」



 唐突に言うことか、それは。今まで一度も言われたことがない。店長はそういうことを言う人じゃない。──なかったはずだ。



「なんだよ」

「だって、このあいだの子、恋人でしょ?」



 自分で言った言葉に、ちょっと言い回しが時代遅れかな……と店長は独りごちる。

 言葉の新旧なんて、オレの知ったこっちゃない。

 そのへんのこだわりは昔から無い。


 とうぜん、ヒナのこともオレには関係ない。



「はっ、なんでそうなるんだよ」

「え、違った?」



 まるで意外とでも言いたげに、深緑のエプロン姿でいる彼は微笑む。

 コーヒーカップを乗せたソーサーが、テーブルに触れて微かな音を立てた。

 店長の言い方が、オレを落ち着かない気持ちにさせる。



「あんま探るなよ。さいきんの若いやつは、そういうの嫌うぞ」

「はは。君に言われちゃ終わりだ」



 何が終わりだってんだ。終わってんのは、オレの運だろ。アイツに出会った時点で、終わっちまったようなもんだ。



「まあまあ、ゆっくりしていきなよ。もう、店閉めるからさ」

「今日は早いんだな」



 普段この店は夜遅くまで店を開けていることが多い。周辺には小さいが会社もあるし、駅前に繋がる近道になってはいるが、なにせ街灯が少ない。夜遅くに仕事帰りのOLが前の道を歩くのを見てからというもの、このおっさんは店を深夜まで開けるようにしていると言っていた。


 だけど今日は違うらしい。いや、今回も、か。



「どうする? いつもどおり、掃除とかしていく?」



 定休日はなく、店長の急用次第で休みだったり営業時間が変わるのを聞いて、彼にひとつ提案をした。

 こういう日は、オレが閉店作業をする。

 相手もそれを了承してから半年。めったにあることじゃないし、限定的なアルバイトを便利に感じてくれてるならオレも有り難いってもんだ。



「ああ。ちゃんと店じまいしておく」

「なら、お給金もいつもどおりに。戸締まりもよろしくね」

「まかせとけ」

「頼りになるよ」



 そう言って軽く手を振り、カウンターの下からさっさと鞄を取り出した店長は、おっとりした雰囲気に似合わず慌ただしい様子で表の道に出て行った。


 オレも淹れてもらったコーヒーをたっぷり20分もかけて飲み干すと、腕を伸ばしてカップをキッチンへ追いやり、スツールから床に降り立つ。


 閉店作業で真っ先にするのは、表の道に面する扉の施錠。それから店の上部にある電飾看板の消灯だ。これだけで良心的な客のほとんどは、営業時間外だと認識してくれる。

 カーテンを伸ばし店内が見えないようにすれば、もっと完璧だ。


 次にオレは、広い空間に並ぶテーブル群とカウンターを拭き上げ、椅子を上げたり端に寄せたりしてから床一面をきっちり掃いて乾拭きする。

 客を案内する空間の掃除を終えると、今度は調理場だ。

 今日みたいな日だけは、店長もここに入ることを許してくれてる。自分が使ったカップを洗い、食器専用の布で拭いて棚に片付ける。あとはシンクの内側に残った水滴も拭き取って、縁や角に汚れや水分が残ってないかの確認。


 ただ、ここの店長は気付いたしりから布巾で拭いたりしているから、この時点でオレが見つけることはほとんどない。常に布巾を身近に置いてるってことは、よほど綺麗好きなんだろ。


 これといって特別な作業もなく、オレの出来ることだけやり終えると、さいごは店の裏にある扉から出て戸締まりをする。施錠に使った鍵は、扉横のポストに投函するよう言われてる。

 このポストの役目は、これしかない。

 裏口に繋がる道は郵便配達で入ってこられるような幅じゃない。店長宛てに配達がある時は、いつも自分から郵便局のほうへ行ってるみたいだし。


 オレのする作業は、本当にこれくらいだ。

 店内に客がいるときは絶対にやらせようとしないが、残ってる客がオレひとりだけのときは手伝うこともある。

 その報酬が、店での飲食代一日タダってんだから、生まれも財布の中身にも余裕のないオレにはありがたい。

 ちなみにこれ、スタンプみたいに後々まで貯めておけるんだぜ。店長の気の利かせ方は心地良い。


 今日のコーヒー代は、あした直接払うとして、1年の冬からずっと使わずに貯めておいたタダ券で今度は弟妹を連れてきてやろう。アイツらはよく食うが、店長曰く、6人家族まるまる抱え込めるくらいは貯まってるらしいから。



 店を後にして、オレは駆け足で裏道を進む。

 自分では駆けてるつもりはないが、オレの歩き方を見た家族にどうして早足なのって言われてからは、そう意識するようになっちまった。


 裏口を使うのはポストに鍵を入れるためだが、あのボロい自分の家により近いってのもある。

 表の道だと、店の隣に並ぶ建物を一周するだけで10分以上も遠回りになる。

 それに回り道をして駅に向かうより、裏の細い道のほうが人に会うことも少ない。


 長い一本道でも、オレの歩幅だとそんな苦じゃない。

 人垣を避けながら歩くなんて、まっぴらだ。

 数分でもその時間を割けるなら、灯りの少なさなんてどうでもいい。

 目の前の赤橙色に、薄い靄のような灰青色の空が迫っていく。


 11月も始まったばかりの夕方。

 鞄のなかでビニールに包まれたフランクフルト1本を連れにして、オレは黙々と家路を辿った。



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