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8、べつに食べたくはない



 暗雲立ちこめたようなオレのクラスも、先週には明るさを取り戻してた。

 それが今日から6日前の木曜日。


 暗い雰囲気だったのは、ヤツの噂が広がったその1日のみだ。

 次の日には学校の人気者であるヒナが登校する姿を見つけ、煩わしい質問タイムからの解放を感じてオレですら安堵したのを覚えてる。

 勝手に出回ってた例の転校の噂も、本人が取り巻きたちに否定しただけで完全に絶ち消えた。


 アイツのほうも噂を消したあとは高校生活を気分良く過ごすことにしたらしい。

 オレの家に押しかけてきたことはさっぱり忘れたように、やけに爽やかさの増した笑みが同級生達に注がれ。

 木、金と週末を挟んでの月曜も登校時に引っ付いてくることはなく、授業中も話しかけてこず、昼の休み時間も他の生徒と膝をつき合わせて弁当を食べてた。


 たかが料理、されど料理。

 オレのたった数分の手料理でここまで開放感を得られるとは思ってなかった。

 かといって、二度目が来ることは願ってないけど。


 その間は下校時に後をつけられることもなく、オレのほうが機嫌良かったくらいだ。いつも走って振り切ろうとして、無駄に疲れてるから。

 ただ、オレと距離を取り続けたヒナは、かなり変な笑顔をしてた気がする。おっかない雰囲気はあったが、敢えて考えないようにしていた。


 4日前の土曜には、準備を頑張った生徒で打ち上げがあったらしい。ヒナは喜んで行ったようだが、オレのほうは今年も誘いの声すらなかった。呼ばれても行かねぇから良いけど。



 そういうわけで、オレは快適な日々を送っていた。

 本当に、煩わしさから縁遠いところで過ごしていた。


 それなのに、だ──。



 3日間行われる文化祭、その初日。


 まったく、今日に限って。文化祭当日に限って……!


 朝の登校に賑わう校門前で、あの腹黒美人はオレのそばに張り付いてくる。



「ねえ、知ってた?」



 オレを朝陽除けに使って立つ相手は、眩しさに目を細める必要もなくなって微笑んでる。



「今日はずっと、それこそ誰かが故意に邪魔しない限り、ずっと一緒にいられるんだよ」



 よくもそんな、人が寒気を覚えるような言葉を気軽に言えるな。

 マジで言ってんのか、オマエは。

 オレは手にしていた上履きを床に叩きつけたくなった。



「今日くらいは、良いよね?」



 うまく衝動を抑えた途端、コイツの口から余計な言葉が出てくる。

 いったい、何が良いんだ。なにも良くねぇよ。

 上目遣いに見てくる相手に文句のひとつでも言ってやろうと口を開きかけ、周りの状況に気付いてやめる。


 今の時間、外履きから上履きに履き替える生徒で溢れかえってる。

 ここで声を張っても白い目を集めるだけだろうし、注目されるのは心底嫌だ。

 訳が分からないぜ、とだけ小声で訴えるオレに、ヒナはトドメの言葉をくれやがった。



「だって言うことも聞いたし、ずっと大人しくしてたんだよ。ね?」



 どうやら、マジらしい。

 コイツは本気で、オレと文化祭初日を過ごすつもりなんだろう。

 憂鬱だ。たった今、最悪の日になることが決まった。

 ヤツは、ニッと上の歯を見せて笑う。こういうのを愛嬌があるって言うのか。取り巻きや同級生たちがそう話してたっけ。


 だけどオレには、違和感のある笑みだ。この美人に愛らしさは似合わない。妖艶な魔女よろしく口角を歪めて妖しく笑ってるほうが、よほど見られる。

 オレは気味の悪い視線から逃げるように、廊下を早足で進んだ。




 ヒナがオレに言うことは、いつだって意図が分からない。

 それに、ずっと一緒だって?

 アイツが離れてたのは、たった一週間弱だぜ。オレの我慢歴のほうが長い。


 苛々しながら階段を上るあいだも、諦めることを知らない人気者は図々しくオレのそばを歩いてたようで、教室に行くとクラス連中の視線がオレの後ろに集中する。

 通常授業でもまとまってるヒナの取り巻きも、自分たちの魂の中心を見つけて駆け寄ってくる。コイツのお気に入りになるワンチャン狙いだぜ。オレには目もくれないのがその証拠だ。


 催事の今日にヤツらが口にするのは、模擬店や展示を一緒にまわろうという誘い文句ばかり。

 そのどれにも、ヒナは曖昧な返事で答えてる。はっきり断れないくせに、行く気もなさそうだった。


 オレにぴったりと体をくっつけてくるソイツを、肘でつついて追いやろうとする。

 こっちとしては早く離れてほしいし、ぜひとも集団行動に連れ出してやってほしいところ。


 唇を尖らせる美人の視線に、顎先で他所へ行けと合図したつもりが、逆にコイツの意思を固めることになったのが分かった。鋭い眼差しの奥で、棘もなく断るセリフを考えてやがる。

 最初は渋ってただろうに、あまのじゃくなヤツだ。



「ううん。今日は他の誰とも行動するつもりはないよ。ごめんね」



 単調な声音で、どこかから持ってきたような謝罪を置いていくヒナに引っ張られ、オレは疎らに人がいる廊下へ連れ出された。


 かくして今日は、不遇にもワガママ美人と一緒に文化祭を回ることが決定した。

 拒否権なんて、用意すらしてもらえなかった。



 本校舎二階にある2年の教室と、同じ棟で食堂もある3階は展示スペースとして大きく展開できるようになってる。

 模擬店のスペースは、校舎を一周する外廊下と東南方位にある校庭へ向かうための大きな舗装道すべてが含まれるため、店ひとつの規模は圧倒的に小さいものも多いが、そのぶん種類がたくさんある。

 うちの学校では祭りと名の付く催しでお馴染みの露店は、門から遠い西側のスペースを与えられる。変わった趣向の模擬店がひしめく北東側の門前と違って、景観を広く取れるからだ。


 こんなやり方で人が集まるのかと言われると、学校に無関心なオレが言えたことじゃない。でも集客に関して、学校側で憂慮することは何もないらしい。

 昨年、そういう話を体育館裏に隠れてた数人の3年生がしていたから、そういうことかと新入生ながらに納得してた気がする。

 例え、門から校舎までのあいだにある模擬店がしょぼくても、見世物として安定してる店を求めて奥に来るやつはいるってことなんだろ。



 文化祭役員のヒナと、展示スペースの受付に勤めて2時間。あいだに小休憩を挟んだから、だいたい1時間半か。

 正面玄関で来校者の数をカウントしてた他クラスの役員が、他のヤツと交代して2年の教科準備室に戻ってくる。今度はソイツらと展示の受付を交代したオレたちは、朝食休憩も兼ねて模擬店に向かおうと外に直行した。


 本校舎1階の昇降口を出てすぐのところに、黄色い文字と茶色い模様で看板を掲げた店がある。

 ヒナの手には、とっくにチョコバナナが握られてる。露店のやつから貰ったらしい。

 この時点で、オレは激しい疲れを感じた。せめて今日は欠席しとくんだった。


 はあ……。

 これからまだ展示やら模擬店やらを回るってのに、なんで既に手をつけてんだよ!


 うまそうにチョコレートがけのバナナを頬張るコイツが、オレの内心を察するはずもないのは分かってるが、それでも鳩尾から熱く迫る文句が舌の先を燻してくる。

 斜め下でちいさな頭を揺らすヒナは、オレの視線がバナナを欲しがってると思ったようで。

 口元に近付けられる食べかけのそれを避け、横着に見下ろして不愉快な顔をしてみせる。



「そんな顔をしたって、愉快なだけだよ」

「……これからまだ店を回るんだろ」

「チョコバナナ、好きなんだ。ちいさい頃からね」

「そうかよ。オレは好きな食べ物は後回しにするんだ」

「後で来たって、その頃には売り切れているかもしれないよ」

「先のことまでは知らねぇよ。オレは食べたいときに食べたいもんを食うだけだ」

「ふうん。そう」



 器用に片手でチョコバナナを食べる相手は、もう片方の手でオレの腕を掴んだ。



「なにすんだよ」

「一緒に回ってくれないの?」

「約束はしてねぇだろ」

「でも昨日までは大人しくしてた」



 そうでしょ、なんて小首を傾げて、それで愛嬌を振りまいてるつもりかよ。


 確かにコイツは、昨日までオレに近付いてこなかった。それは確かにオレがずっと望んでたことではあるが、だからって今日引っ付いていい理由にはなんねぇだろ。

 厚かましい。勝手に決めごとを作って、勝手に実行しやがる。


 手を離すようにと、きつく腕を振ってみる。

 だけどヒナは腕を振り上げさせられるだけで、その手は強力な接着剤でも塗ってあるかのように袖から落ちない。

 頑固な姿勢と相まって、コイツの瞳にうまれた影に震える。

 こんなやつを受け入れるつもりは毛頭ないが、他の同級生たちにまた不機嫌の火の粉が飛びかねない。



「あー……今日だけだぞ」



 つ、と顔を逸らしたオレの脳裏に、ヒナの嬉しそうな顔が簡単に浮かんだ。



 もう今日は諦めよう。

 そうそうに自分を犠牲にして、今晩のおかずメニューを考えるのに頭を使ってるあいだ、隣の腹黒美人はひっきりなしに露店の連中から食いもんを貰ってやがった。


 自由がきく左手はもちろん、オレの腕に回してる右手でもなにか無謀なことをしてる。右手にあと一つ何か受け取れば、一番手前にあるカップに入ったチーズ揚げ串の油まみれの持ち手が、オレの制服をちょっと香ばしい味にしそうだ。


 ……ったく。汚したら、クリーニング代を請求してやるぜ。



 そのあとも露店巡りに付き合わされて、散々な思いをした。

 1年と3年は自習扱いになるせいで、何度、ヒナをその目に焼き付けようと探し回ってるところにウッカリ遭遇しちまったか。

 逆に2年のヤツらまで集まってこなくて良かったと思うべきか数十分悩んだ。

 オレら役員以外は、みんな店やら展示やらで持ち場を離れるのが難しいからな。

 楽しんでたのは、周りにちやほやされるコイツだけ。

 ヒナだけは間違いなく、全身で楽しんでた。


 昼食のときなんて、目の前にカメラを構えた集団が出来てたからな。

 他校の学生や保護者勢なんかも混じって、正面と左右からはシャッター音、後ろの連中に振り向こうもんなら大歓声が起こってた。

 うるさくて、うっとうしいってのに、腕を離してもらえないせいで巻き込まれてる。


 そんな大勢の視線の中心で落ち着いてモノを食えるってのは、コイツにとって最も得意なことかもしれない。

 おかげで小心者のオレは食いもんが満足に喉を通らず、せっかく買った2本で150円のフランクフルトを1本残しちまった。75円がもったいないから、持って帰って夕食に混ぜようと思う。


 ヒナはたくさんの露店から色んな串類や皿をもらっていたが、結局そのどれも、たったの一つもオレの服を汚すようなことにはならなかった。

 コイツは、そういうところはキッチリしているらしい。

 あと手先が器用で繊細なんだろ。それから食べるスピードが速い。


 油で汚れずに済んだとはいえ、力強く掴まれた制服の袖には皺が残る。

 オレは自分の可哀想な腕をしばらく見つめたあと、隣で練り物の軟骨だるまを頬張る美人の横顔をこっそり睨んだ。




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