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7、たちの悪い夕暮れ



 ヒナは、ひどい。


 どこまでも冷めてて、他人に気持ちを分けない。

 極寒に吹く強風を孕んだ美人は、その容姿で自分に興味を持つ人間の足元を凍らせる。心臓とたまに連動する気持ちまで。

 自分に陶酔させたまま……──。



「君だって」

「なんだよ」



 電柱にもたれるのをやめた相手は、彫刻みたいな顔面で不満たらたらに言い返してくる。

 なだらかな曲線を描く眉をしかめても、コイツからその容姿を引き剥がすことはできない。

 どんな表情でも美人はモノにしちまうんだな。不機嫌な顔も様になってることに苛立って、ムキになったオレはずい、と詰め寄った。

 だけど、ヤツは一歩も退こうとはしない。それどころか、オレより少し背が低いくせに見上げてくる。



「君は昨日、来るなって言った。それは最低じゃないの?」

「ああ、言ったよ。言ったが、それは学校にって意味じゃねぇよ」



 後をつけてくるなって意味で、オレの家にまでついてくるなよって意味でもあったが、こうして家の前に来られた今じゃ、あの言葉や声掛けも無意味だったことになる。


 自分の言葉と認め、念押しで訂正してやると、こいつは己が最も得意とする頬膨らませぷんすかアピールなるものの皮を被った。

 そんなものでオレが折れると思ってんのか。

 今さらすぎるぜ。そういうのは取り巻き相手にやってろ。

 まじで(たち)が悪いな、コイツ。



「そう、分かった。でも傷付いたよ。君の言葉だから、いちばん傷付くんだよ」

「そうか。それは悪かったよ。オレが悪かった。…………来いよ、学校」

「うん。行く」



 思ったより好感触の返事だ。

 謝ったことが功を奏したのか、もしくは来いって言葉がよほど欲しかったのか。

 でもオレとのやりとりで機嫌のいいコイツの考えていることは、大抵オレが望んでない方向にいく。



「明日は学校行くよ。──君が、手作りのご飯を食べさせてくれるなら」



 ……ほらな。

 やっぱり、こうなるんだ。

 これだから嫌なんだよ、持て囃され慣れてるヤツを相手にするのは。

 まるで、もてなされるのを当然のように受けとめてるヤツってのは、こんなふうに厄介で面倒で鬱陶しい。



「お前、はじめからそれを狙ってたな」

「うん」



 オレが家の鍵を開けるさまを見守って、ソイツはめいっぱいに口角をあげて声を弾ませる。


 簡単に追い返せるヤツじゃないことは分かってる。外に放置して粘られるよりマシだ。

 しかたなく家にあげはしたが、勝手にやってきたコイツをオレがもてなしてやる義理はない。家族全員で使ってるリビングに案内したあと、オレは自室でオレをもてなすことにする。

 うちの飯が食いてぇなら、その時間がくるまで置物みたいに静かに待ってろ。



「君の部屋はてっきり二階にあると思ったのにな」

「勝手についてくるな」

「えー」



 自分の部屋に入りかけて背後の声を手で払えば、ヒナは駄々っ子のように抗議してくる。

 なんでオマエが不満そうなんだ。家の中に入れてやっただけ感謝しろ。……いや、ありがたがるな。いますぐ帰れ!


 シッシ、と手でもう一度追い払おうとすると、自身を邪険にされたヒナはその胸をおさえて深く俯く。

 取り巻きたちが見たら庇護欲に掻き立てられる姿だ。



「ああ傷付いたなー。はやく食べたいなー。お腹すいたなー」



 例え周りが放ってはおけないと思うような仕草でも、オレはそれを可愛いなどとは思わない。

 こっちだって家のルールがあるわけだしな。

 オレん家では、全員が揃う夜ご飯だけは一緒に食べる決まりだ。そのほうが調理も食卓の用意も食器洗いも一回で済むっつって、オレが強引に意見を押し通した。

 さっき靴を脱ぐコイツにそう伝えはしたが、オレの服の裾を鷲掴みする力は緩みそうにない。

 こうやって無理強いしてくるから、コイツとは関わりたくなかったんだ。



「くっそ。わあーったよ! ったく、そこで黙って待ってろ」

「はあい」



 居間のソファを指さすと、ヒナは間延びした返事ひとつで大人しく従う。

 テレビは無いの、と訊いてくるから、そんな上等なもんはないと手のひらサイズのラジオを渡してやった。


 渋々立った台所の流し台で、ボウルに入れたミンチやパンの耳とみじん切りにした人参の皮を混ぜながら、オレは半身で押しかけてきたソイツの横顔を盗み見る。

 ダイヤルを回すだけで色んな人間の話を聞けるのが珍しいのか、ヤツの意識はラジオで流れる番組に夢中のようだ。


 つうか、登校を持ち出してまでオレの手料理にこだわる理由がわっかんねぇ。

 食うものなんて誰が作っても同じだろ。腹に入りゃあどうせミックスじゃねぇか。


 混ぜて捏ねて空気を抜いたタネを、熱したフライパンでじっくり焼いているあいだもオレはちょこちょこ相手のことを見ていた。

 意外とちいさい耳なんだな、とか、転校してきた頃に比べてうなじの襟足が長くなってるから癖がついてんな、とか。そんなどうでもいいことを考えて。


 元は捨てられてた継ぎ接ぎだらけのソファに、ヒナは昨日とも一昨日とも違う色のカーディガンのまま座る。傍らの肘掛けには、コイツが着ていたちいさなほつれすら見えないブレザーやマフラーを引っかけて。

 服なんかの毛玉が残る絨毯に新品みたいな靴下の足をつき、味噌汁のシミがついた綿の抜けてるクッションもどきをポンポンと触ってる。


 コイツは遠慮無く触れる。オレの生活の、どこにでも触れてくる。

 ヤツは、自分の日常を持って入ってくる。


 正直、オレは今、ヒナのことを怖いと思った。

 情がないとか、性格が悪いってのとは全然違う。

 コイツに関わってると、いつか平静を保てなくなる日がくる。

 それが怖いんだ、きっと。




 調理中もヒナと目が合うことはなく、結局オレは自分の料理を出してる。

 何だこの状況はと思わなくもないが、早く帰ってくれるなら何でもしよう。


 面倒な訪問者の目の前で、サラダとハンバーグを盛り付けた皿をローテーブルに置いてやる。

 何を言うつもりかヤツの視線がオレを捉えようとするから、咄嗟に顔を逸らして知らんそぶりをした。


 コイツが食べ終えるまで自室に籠城しようか。

 ちょっと考えを巡らせ、やはり食べ終えるのを待つべきだなと意思を強くする。

 こっちが見てないあいだに妙な行動でも取られたら面倒だ。最悪オレの部屋に入ってくるかもしれない。そっちのほうが大問題だな。


 いっそ、このまま監視してやろう。

 そう意気込み、居間と台所を隔てようともしない開けっ放しの引き戸に軽くもたれる。

 食事をしてるあいだも、この美人は腹が立つくらい画になる。


 一度だけ、小さい頃に親が連れてってくれた美術館でソレと遭遇したときに似てる。背筋に変な感覚が駆け巡り、思わず立ち呆けてしまうほど魅了される絵画の前に立ってるみたいな。

 皿に箸を置き、ごちそうさまと手を合わせる姿勢すら、目を離せない。


 人の視線を惹きつけるコイツは、額縁を抜け出してきた悪戯っ子みたいな目を向けてくる。

 今この状況が楽しくてしかたないって感じの目だ。

 自分の思いどおりに物事が動くんだから、さぞ愉快でたまらないだろうな。



「すごく美味しかったよ。人が作ったものを、こんなに美味しいと思えたのは初めてかも」

「大げさだな。けどまあ、一応は礼を言うぜ。食ってくれてどうも」



 さて。もう帰ってもらおうか。

 顎をしゃくって玄関へ行くよう促すと、ヒナは含みのある眼差しでオレの後ろを見る。

 玄関から真っ直ぐ突っ切る廊下の奥が、オレの自室だ。そこに釘付けになってるヤツの視線をからだで遮り、オレもしつこく玄関を促す。

 相手は渋々頷き、いつ見ても汚れひとつない無地のスニーカーを履いた。



「おい。ほんとに学校行くんだろうな」

「行くってば。ごちそうしてもらったもん」

「語尾に、もん、だけはつけるな。他は許すが、それはダメだ。寒気がする」



 玄関に仁王立ちで顔を顰めると、ソイツは苦笑いを浮かべた。



「あ。それと後から教室に行くとは言ってないとか言うの無しだからな。学生生活を送れ。いつもどおりにだ。例外は認めねぇ」



 明日になって手料理の再提案なんか持ち出すんじゃねぇぞ。

 もう二度とうちに来るな。

 招くつもりもないからな。


 元々細長い目をもっと細くして、ジトッと相手を睨む。ネチっこく責めるオレの意思を感じ取って、ヒナは降参を示すように両手を上げた。



「わかった。言わないよ」



 とか言いつつ不満面を隠そうともしないところを見るに、コイツは言う気だったな。絶対に。

 学校に行くとは言ったが教室に行くとは言ってない、……とか平気で宣いそうだし、コイツ。

 なんだったら授業を受けるとも言ってない、とか言い出しかねない。


 おし。ここで決意しておこう。

 明日からはもう何を言われても、どんな条件を出されてもコイツを二度と家には入れない。


 胸のうちで誓いを立て、念の為にこの厄介な美人がオレの家から遠く離れるまで見送る。

 食器洗いまで手伝っていったヒナは、腹のあたり──たぶん胃だろうな──を大事そうにさすりながら名残惜しげに帰っていった。



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