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6、水曜日の難



 3週間もかけ、文化祭準備もいよいよ最終局面。

 その総仕上げとも言える日。


 あと2日で週末になる水曜のこと。

 せっかく通常授業がない日だってのに、オレは朝から嫌な気分に引っ張られてた。

 今までオレを取り巻いてきた周囲が、妙によそよそしくなったからだ。



 ヒナが学校を休んだってだけで。



 うちのクラスはあからさますぎて、アイツの欠席を担任が口にした途端、寒くも晴れ晴れとした空気冴え渡る朝が一様にして曇り空を纏ったみたいにどんよりと重く沈んでた。

 転校初日からクラスどころか、学年を跨いで持て囃されてきた人気者の欠席だ。それなりに動揺が広まったっておかしくはねぇよ。


 ……ねぇけど、ちょっと落ち着け。



 それ以降も酷いもんだった。ヒナのことは今朝報されたばかりなのに、3限目始業のチャイムが鳴る頃には変な尾ひれがついて回ってた。


 アイツがまた転校するかもしれない、って。


 文化祭も開催間近でそんな切羽詰まった事情もないだろうが、あり得ないとも言い切れねぇせいで騒がしさは増してる。

 そんで厄介なのは、わずかな時間で広まった噂に何の根拠もないこと。特に学年の違いで接点が少ない3年と1年は信じるのも仕方ないだろうけど、同じクラスの取り巻きたちまで噂を信じて焦ってるのが不可解で気に入らねぇ。


 まあ今回は噂の出所じゃねぇみてぇだし、大目に見てやるが。


 何が迷惑って、どっかの誰かさんたちのせいでオレとヒナの仲を誤解したままの連中が多いんだよな。

 だから文化祭準備の合間、オレがクラス中の囁き声から逃げるようにトイレへ向かうと、アイツにご執心の上級生やら下級生やら他クラスから人がやってきては、アイツの転校の話は本当かと距離を詰めてくる。


 まじでうぜぇし、オレが知るかよ。

 勝手に転校すりゃいいし、オマエらも勝手についていけ。


 そう怒鳴って追い払いたいが、声をかけてくる相手も本気で心配してるのか顔を真っ白にしてるから怒るに怒れねぇ。

 人を見てグッと堪えちまう自分が悔しいぜ。


 面倒で散々な休憩を経てうんざりしながら教室に戻れば、クラス中の視線がオレにぶつかる。

 どうせヒナのことなんだろ。

 鬱陶しい質問を繰り返されるのが嫌で、オレは苛立ち紛れに床を踏みならして自分の持ち場に戻る。


 頼むから構うな。アイツがいない今日くらい、放っておいてくれ。

 ヒナが休むと、オレの心も安まる。やっと落ち着いて自分の時間を過ごせる。だからアイツのことを話題にするな。せめて今日だけは忘れてたいんだ。


 煩わしいのは御免だと、勇気を振り絞ったやつが話しかけてくる前に、オレは無心で塗り残しがある看板にペンキの筆を立てた。



 ◆◆◆



 昼休み。

 どこで詳しい話を聞きつけたか、1年生がオレに会いに来た。

 呼び出しってやつだ。

 4、5人くらい固まって廊下で待ってる。


 その中の一人が、おずおずと一歩前に出てきた。

 みんな揃って年上に話し掛けることにまだ抵抗があるみたいだったが、ソイツだけは怯えたような目をしながらも口火を切った。


 呼び出しの内容は、例の腹黒な美人のこと。

 1年が2年の教室に押しかけてきた理由は、オレがアイツと仲が良いという噂を真に受けたせいらしい。

 転校の噂と一緒に、事情は知らないかとこっちの顔を窺ってきてる。


 だから知らねぇってんだよ。アイツの家事情をオレが知ってるわけねぇだろ。


 年下だし言葉をきつくすんのも大人げねぇと思って堪えたが、渋面で正直に知らねぇとだけ答えると下級生たちは顔を引き攣らせて走り去っていった。


 おいおい。せめて「分かった」の一言くらいくれよ。オマエらにちゃんと伝わってるか確認させてくれ。


 オレは思わず1年の教室まで追いかけそうになったが、呼び出されてるあいだ息を潜めていたうちのクラスのヤツらが、我先にと鼻先で押しくらまんじゅうしながら廊下へ顔を出してる。

 コイツらも、ヒナが転校すると本気で思ってるんだろうな。めんどくせ。


 何を思い違ってんのか知らねぇが、きっと事実はもっと単純だ。つまり、ただの欠席。担任も急病かそうじゃねぇかを言わねぇから、こんな大混乱が起きちまってんだよ。はやくどうにかしろ。

 だいたい、毎日教科書を忘れても笑顔で登校を続けるようなやつが、引っ越しだの転校だのを理由に休むはずねぇだろうが。

 アイツは学校に対して真面目なやつとは言えねぇが、人に対してはそこそこ良好な関係を保とうとするやつだ。貸してもらった教科書を、持ち主が取り戻しに来るまで延々と机にしまってるようなやつでもあるけど。



 結局その日はずっと、オレは律儀な回答者だった。

 朝から苛ついてたのもあって、真摯な態度じゃなかったとは思う。

 毎度の怠い溜め息くらい許してくれ。睨まなかっただけ良いだろ。


 1年生に呼び出されたせいで、授業の合間を縫って上級生まで教室にやってくるし、文化祭準備で自習扱いになってるこの学年でも他クラスから質問攻めにされたんだ。

 もうオレの心と体は疲弊しきってる。

 廊下を歩く足取りも重い。


 ヒナを相手してる時より数倍もゲッソリしたオレは、校内清掃を終えると速攻で帰宅した。

 掃除の担当箇所に鞄まで持ち込んで、教室に戻らなくて済むように画策してな。


 今日みたいな日こそ、あの喫茶店に寄りたい。ここ何日も店には行ってない。またアイツが付いてくるかもしれないと思うと気軽に立ち寄ることもできねぇ。

 明日こそ絶対行くと拳を天に振り上げ、電車に乗り込んだオレは、自宅に近付いたタイミングで鞄のなかを探って動けなくなった。

 鍵を取り出そうと突っ込んだままの手のひらに、変な汗が滲んでくる。

 今日一日だけでも会わずに済むと思っていた相手と、たった今、目が合ってしまったからだ。


 さんざん自分を振り回した噂の元凶が、オレの家の前にいる。


 旧くて、つむじ風が吹けば飛んで壊れそうなオレの家の前に。


 たった一日で学校を賑わせてみせた美人は、傍らの電柱に背を預ける。

 帰りたい家の門はそんなコンクリートの円柱のちょうど影にあって、ヒナは、オレを見つけると笑った。

 景色に溶けそうな淡い表情だ。

 その微笑みを、夕陽が儚んでる。

 こっちが自身を見てることに気付くと、ソイツは親しい友人にでも挨拶するように軽く手をあげて近付いてきた。


 オレは元来た道を辿ろうと、急いで体を回転させる。

 大きく一歩踏み出そうとしたところで、服を引っ張られ転びそうになった。後ろからそんなことをしてくるヤツが、今どんな顔をしてるかなんて見なくても分かる。

 いつかの、夏休み直前の放課後にもあった。そのとき掴まれたのは服の袖だったけど。


 相手は、よほどオレの態度が気に入らなかったらしい。今度は肩を掴まれ、無理やり振り向かされる。

 視界に割り込んできたヒナは、プクッとふくれて唇を尖らせた。



「……んだよ」

「どうして無視するの」

「勝手に人ん家曝いといて無茶いうなよ」

「人を遠ざけるのは無茶に入らないんだね」



 何言ってんだ、コイツは。

 何やってんだ、コイツは。


 遠ざけても遠ざけても、追い払ったって近づいてきやがる。

 あげく自分から避けておいて、こっちがホッとする日常に慣れてきた頃にまた距離を詰めてきて。


 今日だってせっかくコイツのいない日だってのに、周りが話を振ってくるから間接的に意識しちまう。

 不愉快だ。

 なにもかもが、オレの気に障る。


 ヒナの、いま目の前に立つ美人の視線にはらわたが煮えくりかえる。

 この戸惑いが、衝動が、オレに春を思い起こさせた。

 窓枠に木の枝がかかりそうな大きな桜より、目を惹くソイツをずっとキツく睨む。



「……オマエ、なんで学校休んでんだよ」

「病欠だって言ったら、心配してくれる?」

「はあ? ふざけ──」

「ふざけてないよ」



 食い気味に否定して、ヒナはオレを真っ直ぐ見てくる。

 八の字に顰めた眉が、ほんとはこんなことしたくないと言いたげだ。



「あれだ、いつも一緒にいるヤツらも心配してんぞ。オマエが転校すんじゃねぇかって」

「転校? まさか」



 あっさり答える口元は、冷たい弧を描く。オレの足は怖気を堪えるばかりで、その場から離れようとしない。近付く冬の寒さなんか比較にならないと思った。



「まあ違うならよ、ちゃんと正しとけよ。あした学校行って、ちゃんと違うって言ってやれ」

「それ、言ったところで何か意味があるのかな」

「あるだろうが」



 教科書だって快く貸してくれるし、放課後だって一緒に帰ってんだ。オマエにとっては意味のある連中だろ。オレはまったく関わりたくないけどな。



「オマエに良くしてくれるヤツらだぜ」

「そんなことに意味なんてないよ。…………ないんだよ、ずっとね……」



 まるで関係ないみたいな言い方をするんだな。

 非情というか、薄情というか。

 舌打ちみたいな表情をした時とは、また別の意味で。



「さいてーだな」



 そんなことを言われてんのに、ヒナの表情は穏やかなままだ。

 無垢に見えるその瞳が、無表情のオレを映してるだけ。




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