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5、ペアもそっちのけ



 昇ってきた太陽に手のひらを向ける。

 別に挨拶する相手がいなくて物足りなかったわけじゃない。

 ただの日除けだ。今日の朝陽は眩しい。


 今朝は、やけに目覚めが良かった。

 昨日の不愉快な記憶を夢のなかに置いてきたオレは、快適な登校時間を堪能していた。この時間に1人、アイツに振り回されることがないからだ。


 誰を待つこともなく、誰かに囲まれることもなく、誰に睨まれることもない。

 いつもなら駅に向かうオレが十字路脇の飛び出し坊やに着くより早く、曲がり角の向こうから飛び出さんと待ち構えている例の美人も、今日は教室に足を踏み入れるまでその姿を見ることはなかった。



 朝の教室を横切って窓際へと向かうオレに、声をかけるヤツは1人もいない。

 そう。これが日常なんだ。

 ヒナに構われてないうちは、穏やかな気持ちでいられる。


 一晩で気が変わってないか確かめようと、念の為に隣席をチラと盗み見る。

 相手は視線に気付くと、ふい、と顔を逸らして席を立つ。

 そのまま廊下側の席へ向かうと、ちらほら揃いだした自分の取り巻きたちと談笑を始めた。


 これは明らかに避けてんな。都合がいい。


 机に頬杖をつき、窓の外を眺める。空はどこまでも高い。寒そうな青色だ。

 窓枠に縁取られてるのは、葉っぱの一つも残ってない木。春に薄紅色の花を散らして、今は寂しそうだ。

 手を伸ばせば届くような距離の景色に、妙に息が詰まって溜め息をこぼす。


 どんな態度を取ったって、言葉にしたって、ヒナのしつこさから離れたくても逃げられなかったんだ。

 向こうから離れてくれるぶんには何の問題もない。ようやく、いつも通りの平穏な日々に戻る。

 一年前と同じ。


 誰とも話さず、必要以上に関わらず、誰かの記憶に残ることもない。

 そしてこのまま、あと2ヶ月もすれば進級して3年になる。


 来年度はクラスを別にしてくんねぇかな。オレがクラスを移動してもいいが、ヒナが邪魔をしないっつう前提が必要だな。美人な生徒1人くらいなんとかしてほしいもんだが、とうに教師陣も手玉に取られてるだろうから期待はできねぇか。


 つっても3年になれば卒業を控えてもいるし、進学するなり就職するなりで忙殺される日々が始まるわけだから、かの人気者もそう単純に他のことに目移りする暇はないかもしれない。

 かくいうオレは就職を選ぶ。就職組と進学組ではやることが変わるし、ヤツが進学を選べば今まで以上に接触は減らせるはずだ。


 オレが進学を目指すことはない。勉強は嫌いじゃないが、好きでもない。できればやりたくない。机に向き合い椅子に座り続けるのは、12年間も経験すれば十分だ。それより稼ぎに出たい。

 社会に出ても、オレはこのまま誰かと深い関わりを持つことなく、ひっそりと人生を送る。


 目立つことはしたくない。それだけ無遠慮な視線を受けるし、そのなかにはオレに不釣り合いな期待や思惑が混じることだってあるだろう。

 思惑は無視しても問題ない。それは長い学生生活のなかで経験済みだった。

 厄介なのは、求めてないのに期待されることだ。

 誰かの期待に応えられない自分が嫌なんじゃない。自分の意思とは関係なく向けられた期待に、無意識に応えようとしてしまう自分が嫌いだった。


 そういう面倒を避けたくて、そもそも地元や実家から離れた遠い高校に進学したのもある。

 誰も人柄を知らない相手に、人間ってのはそう簡単に期待を向けないものだからな。

 それで電車を2回も乗り換えて、駅を8つも跨いでる。


 まあ遠くても、家の近所まで付きまとってくるヤツはいるが。






 夕陽の眩しさから目を背け、今日一日を振り返る。

 自分のペースで過ごせた心地良い1日だった。

 隣の席にいるヒナは、変わらずオレを避けてる。横顔すら見せたくないとでも言うように、手のひらで頬を覆って机に肘をついてる。


 放課後に入る前のHRは、もうすぐやってくる文化祭準備について話し合う時間にあてられた。


 うちの高校は少し変わっていて、学年ごとに時期をずらして行う文化祭の仕様は他校でも見られない。

 他にもいろんな部分で他校とは違うって聞いてるが、目下、ここで主に話すのはこの文化祭について。


 総生徒数はけして多くないが、双方の実力を高め合い切磋琢磨することが目的の体育祭とは違い、文化祭は競争とは無縁がいいという校長の意向が強く出る学校行事になってる。

 楽しいことや好きなことが形になり、そのうえで周りも自分も心から楽しめる。結果だけでなく、準備過程における生徒の意欲促進に主軸をおいているという話だった。


 ──自分だけが楽しいと思うことでも、望んだ形や求めた結果に添うよう手段と方向性を調整すれば、自分以外の誰かを楽しませることができる。これは、自分だけが好きなことでも同じことが言える……。


 だってよ。


 そんなことを1年の春に担任が力説していて、話が長ぇな、帰りてぇなとか考えてたと思う。

 だから話の内容の半分も聞いていなかったわけだが、そこだけは何故か頭に残ってる。


 そういうわけで、この学校では3回に分けて文化祭を行う。

 まず受験を控えてる3年生が春に、授業や学校での人間関係などにひとまずは慣れただろうという理由で1年生が夏休み明けだ。

 オレのいる学年──つまり2年生は最後。10月に開催する。その期間がやってきたことを、このHRで思い出す。


 今年の春に転校してきた冷酷美人のこともあって、オレは早々に学校の敷地内から出るという技を修得していたが、最近まで準備も文化祭も終えた先輩後輩が達成感に湧く騒がしい声を避けていたから、こうして自分たちの学年に順番が回ってくるまですっかり忘れてたぜ。


 習慣ゆえに上級生も下級生も関係なく集団というものから距離を取ってたが、春から今までオレはずっと煩わしいヒナのことで頭がいっぱいだったらしい。


 無意識ってのは、意識した途端にこえーもんだよな。


 先見の明ってやつを持ってる同級生は授業にも身を入れてることが多いけど、うちのクラスはまあそこまで将来の自分に熱心じゃない。

 そういうオレも、3日後に迫る文化祭準備期間からどうフケようか考えてたし、学級委員が必死に喋る最中でも窓の向こうをボーッと眺めてた。


 一度目の昨年も別に楽しんでたわけじゃねぇし、二度目になる今年もテキトーにサボらせてもらうぜ。

 催事当日以外は必ずやる清掃時間を使って色んなヤツの担当場所をできる範囲で変わってやれば、準備期間中でも掃除を終えて速攻サボったところで大目に見てくれるかもな。


 まあもし仮にオレが批難されるとして、隣のやつが出張らないとも言い切れない。手伝わずに黙って帰るオレに非があると分かりきっていても、オレを直接攻撃する相手には敏感な反応を示す気がする。


 ……なんて他人任せ──いやヒナ任せな甘えた考えを抱く自分が、妙に気持ち悪くて笑いそうになった。

 なんでコイツのことが真っ先に頭に浮かぶのか。オレはついに生来持っていたはずの頭の中身をどこかに落としてきたらしい。

 見つけたら拾っておいてくれ。忘れ物コーナーに取りにいくからよ。


 変な考えばかり浮かんだところで目の前のことに意識を戻すと、教室の雰囲気は様変わりしていた。

 クラス全員の響めきと、そして何故か拍手が湧き起こっている。オレの知らないあいだに何かあったようだ。


 美人で人気者のソイツは隣で起立していて、手拍子にも似た喝采は鳴り止まない。オレは担任や席を囲む周りの生徒に言われるがまま、訳も分からず席を立たされる。とぼけて放心するオレに向かって、先に立っていたヒナは黒板を指さす。

 そこでようやくオレは、この状況をもっと前に避けるべきだったと気付いた。


 誰が推薦したのか、オレの名前がクラスの文化祭役員の枠に入ってる。

 一クラスから二人一組で選出されるのが規則の役割で、ともに役目を担う相棒も既に決まってた。

 オレはまたしても、この腹黒美人とペアを組むらしい。


 ……ったく、誰だよ。候補に納得したやつと勝手にオレの名を挙げたヤツは。


 もちろんオレは立候補なんてしてない。めんどくせぇ役回りで、めんどくせぇ相手と組むとかありえねぇだろ。


 断ろうと真面目にも手を挙げたら、隣から細くしなやかな指が腕をつついてくる。

 ヤツの長い睫毛に縁取られた視線の先を追いかけてから、オレは自分がずっと上の空だったことと、役員決めが始まってることに気付かなかったことを同時に後悔した。


 クラス中の目がオレに向いてる。羨望と嫉妬、疲労と諦念って感じだ。

 前者はヒナと組むことへの感情だろうが、後者を向けられる謂われはねぇよ。てめぇらが勝手にオレを役員にしたんだろ。嫌なら反対しろよ。

 クラス連中そっちのけで唯一楽しげにしている隣席のやつを横目で睨む。が、相手はちっともオレを見ない。意図したわけじゃないと、素知らぬ顔を装うつもりなんだな。


 分かったときには手遅れ。もう後には退けない。

 役から外れるにも、周りを納得させなきゃいけねぇから面倒だ。


 オレは大きな溜め息をつくに留め、結局わざとらしい音を立てて椅子に座るくらいのことしかできなかった。



 ◆◆◆



 不毛な文化祭役員に選ばれて1週間。


 クラス、いや学校でいちばんの人気者といる時間が更に増えた。

 そのぶん準備のための打ち合わせで他のクラスと合同会議に勤しんだりするから、ずっと2人きりっつう状況にはなりにくい。

 プラマイがどうのって話なら、オレの感覚的には1.5くらいプラス寄りで良い状況だ。

 こういうちょっとした救いでもないと、実際やってらんねぇよ。


 文化祭つっても、回ってくる年によって学年主体とクラス主体に分かれることがある。

 学年全体で作品を準備して開催するか、クラス別で準備して各各のクラスの出し物を楽しむかくらいの違いしかないが、オレの学年はどうも来年の受験生が自分たちだってことを忘れたいようだ。

 勉学に励む学生って身分はそっちのけで、刹那の快楽に浸りたいやつが開催の覇権を握ってるらしい。


 まあオレもどっちかっつうと、そっちのけにする側だけど。


 役員同士の会議中は天井を眺めて考えるふりしたり、まったく聞いてなかった誰かの意見に相槌を打ったりと、そこそこ忙しい役回りをこなした。

 中途半端に会話を交えていたせいか、話が終わる頃には、オレたち2年は学年とクラス別の両方で催しの準備をすることになってた。


 どっちもやる羽目になった理由は分からない。考え無しに同意するもんじゃねぇな。


 学年主体の催し物は他クラスの役員と合同で企画し、それぞれのクラスの賛同を得てから実行に移す。クラス主体のほうは教室内で企画を考え纏めるような……って要するにどこの学校でもやってる取り組みだ。


 役員になったオレとヒナはもちろんほとんどの時間を一緒に過ごしたが、朝の始業前と夕方の終業後に教壇で文化祭について話すことや、他クラスの役員と集まって話し合う席で隣になる時間も含んでる。


 オレの機嫌が絶好調な横で、何を考えてるか分からないその美人は不満そうにしてた。

 だけど、コイツがいつもやってるあざとい澄まし顔が崩れるのを見てると、流れで役員になるのも悪い事ばかりじゃないと思いはじめてきた。



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