40、それは。ただ美しいだけ
ヒナは。
特別じゃない。
そういうんじゃない。
ヒナは。
自然そのものだ。
庭に見る食草の芽。
夜に届く花火の音。
鼻に纏う土気の香。
朝に染む日向の色。
太陽は燦めく。
満月は煌めく。
海は昼夜を問わず輝き、風は草花を撫でて遊ぶ。
そこにあって当然で、そうと理解していても、感情を揺さぶられる。
誰もが大自然の前ではちっぽけで、圧倒されて、心を奪われる。
オレにとってのヒナは、特別なんて枠に嵌まるようなやつじゃない。
そういうんじゃないんだ。
アイツは。
◆◆◆
「じゃあな」
「待って」
馴染みの教師から押しつけられた用事を終え、さっさと背を向けるオレの服の袖を、ヤツの細い指に掴まれる。
包丁どころか鋏すら使ったことのないような、ちいさな逆剥けすらない白い手のどこに、オレを引き留める力を溜めてるってんだ。
「約束は」
「今だけ、少しだけ。おねがい」
コイツの口からお願いが出てきたのは、初めてだった。
これまでと違う様子なのが、癇に障った。
何も見返りを要求しないし、要求されない。
そんな言い方をして。
「……きみも」
真面目な表情。
「誰とも関わらないよね」
いつもの笑みが微かにも滲まない。
ただの嫌がらせには見えない。
意趣返しのつもりか。
簡単に不愉快だと吐き捨てても良かった。
「関わって、何が得られるってんだ」
「さあ。端的に言えば、人脈かな」
人の答えを辿らないところが、コイツらしい。
そんなことでホッとしてるオレは、ただの馬鹿だ。
ヒナは、笑ってないのに。
笑ってない。
ああ、そうか。
そうだったんだ。
オマエ。
寂しいんだ。
なんて、つまんないやつなんだ。
笑えない。
笑いものにならない。
完全に、オレの負けだった。
「それは本当に必要なものなのか?」
これは、わざとだ。
意地悪な質問を、オレはする。
わざわざ言わなくていい言葉だって、オレは言う。
「きみは不安にならないの?」
「ならねえな」
「もしかすると、お葬式に来てくれるかもしれないよ?」
「それのどこに魅力があるってんだ」
どっちも無駄な質問だった。
自分が死んだときに集まってくる人数を数えたところで、一体なにが分かるっつうんだ。
そんなもんでオレの、やつらの何を知れるんだ。
突っぱねるような返事に、ヤツのかさつきを知らない唇がわずか震える。
フッと漏らした一息は、それもそうだと言いたげだ。
やっぱ美人で性悪。
底意地の悪さにかけて、オレより質は高い。
でも他人を欺いて好かれようとしてるわけじゃない。存在してるだけで人気者になれるが、自分に正直に生きていて、この現在なんだろう。
それがヒナだ。
オレも、自分に正直なだけだ。
「きみって、ときどき冷たい人の時あるよね」
「は。まさか、オマエ。携帯の連絡帳に登録した連絡先の数なんか気にしてねえよな?」
「そんなことはないけど」
まさか、となめらかな眉間に皺が寄る。
それに今はみんな簡易連絡アプリを使ってるよ、と付け加えてくる。
持ってない機械のことは知らねえよ。オレの家じゃ、ガラパゴスが最新連絡ツールだ。
「使ってるもんのことは何だっていいんだよ。オレが言いてえのは……」
「分かってる」
遮って、こくこく頷く。
白くて細い首筋を動かし、ヒナがオレを見上げる。
「大丈夫、分かるよ。だって、そんなもので価値は決まらないもんね。そんなところには無い。いちばん護りたい自分は、そこには無い」
「……」
なんで黙っちまったのか。
納得したからだ。
悔しいが。
人の繋がりを無視していいとは思わない。
生きる上では、それなりに必要な時ってのがある。
言葉を忘れない程度には関わっておいたほうが、無難ってもんだ。
だが、関わる誰かを選ぶくらいは許されたい。
なんせ相手は、人だ。
進退を制御できるわけでもないし。
薄ら笑いのヤツも、そこは心得ているはず。
不本意で不愉快だが、2人して本校舎に急ぐ。
5分後に教室の床を踏んでなかったら、オレたちは揃って遅刻扱いだ。
若干早足で、ふと視線が遠方に向かう。
渡り廊下のほうから、通りすがりの信者が人気者を見つけて手を振る。
オレに見えてるくらいだ。
てっきり、コイツも手を振るか笑顔を返すだろうと思ったが。
隣を盗み見ると、ヤツは気付いてないふりで応じようともしない。
こりゃ筋金入りの酷薄っぷりだ。
オレより冷たいじゃねえか。
コイツは、ひどい。
正真正銘、ひどい。
どこまでも冷めてて、他人に気持ちを分けない。
極寒に吹く強風を孕んだ美人は、その容姿で自分に興味を持つ人間の足元を凍らせる。
心臓と連動しやすい気持ちまで。
己に陶酔させたまま……。
──……オレの心も、そんな氷のなかにある。
◆◆◆
オレは、オレじゃない人生を生きてみたかった。
でも、人生はこれひとつしか無いんだ。
この生き方を選ぶしかなかったんだ。
そうじゃなきゃ、死だ。
残ってたのは、それだけだった。
だから教えてくれなくていい。
知らせてくれなくていい。
示さなくていい。
何に気付いたとしても、オレの人生の中でそれを受けとめるしかないんだから。
どれだけ新しいことを知ったって、新しい自分になれるわけじゃない。




