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4、朝に白けて



「おはよー」



 冷たい空気がのし掛かる道の真ん中、朝から囀る美人の声が行き交う人の足を止める。


 青春の思い出作りに駆り出された次の日。

 普段わざと時間をずらして密集に巻き込まれないよう学校へ向かうオレでも、登校時間の象徴ともいえる学生の乱れ歩きの真ん中を突っ切っていくのは別に苦じゃない。

 持て囃される隣のヒナが、道をあける鍵になっているあいだは。


 ただし、周りからの視線を無限に集め続けるコイツのせいで、オレの足は遅々として前に進まない。

 わざと歩幅を小さくしてやがるんだ。自分が誰と一番仲が良いのかを見せつけるように。

 そのことが、オレは純粋に不快だった。


 ヒナの挨拶にたくさんの声が返るさまを尻目に溜め息を吐く。学校の最寄り駅を降りてからずっとだ。もう心を無にしてなきゃやってらんねぇや。


 なかなか前に進めねぇ理由は、コイツの左腕がオレの右腕をがっちりホールドしてるから。

 振り切って逃げようにも、まず腕を振りほどけねぇもんでよ。

 相手にそんなことをする動機を聞いても、昨日のオレの行動がそうさせるとしか答えねぇから、どうしたって離れてくれる気はないらしい。


 コレがフワッと笑うだけで可愛く見えるなんて、やっぱり理解できない。

 さっきだってオレが制服に着替えて寝ぼけたまま駅のほうへ向かってると、曲がり角を塞いで立ってたんだ。この美人は。

 人の頭の寝癖をクスクスと笑って、「一緒に登校しよう」と言ったその顔は悪意に満ちてた。誰も信じないだろうが、オレにはそう見えたんだ。



「なあ、せめて腕を離してくれないか? オマエのペースに合わせていると、まったく進めないんだが」



 離れた隙に猛ダッシュするため、心の準備はしておく。ちょっとでも準備動作をすると、コイツは読み取って先手を打ってくる。オレの内心をバレないようにするには、動かない表情の裏に隠すしかない。

 だけど相手は自分の状況が見えてないのか、こてん、と首を傾げるだけで腕はしっかりとオレを掴まえたままだ。



「え? 進んでるでしょ、着実にね。それに、パートナーの歩幅に合わせるのは、パートナーの義務だよ」

「誰がパートナーだ……っ」



 オレは出来るだけちいさく声を張る。

 周囲にはコイツの取り巻きになりたい連中ばかりだ。それでも、きっちり訂正しておかないと気が済まない。



「第一に、進んでいるとは言ってもこのペースじゃ……」



 牛歩とはよく言ったもんだが、今の速度はカタツムリかミミズ並み。亀のほうが先に学校に着く気がする。



「──ヒナぁ! ヒナぁー!!」

「おはよう。(よし)ちゃん」



 隣の美人の歩みに辟易してると、女の子が音を立てて走ってくる。



「おはよう。(よし)ちゃん」

「おは……っ──!」



 彼女は慣性の法則に逆らえず勢いあまってオレを押しのけ、こっちも弾みで危うく転びかけたがなんとか踏ん張る。

 うちの学校の制服を着た元気いっぱいな女子は、オレの腕のなかで涙目になっていた。



「あ、ご、ごめんなひゃ、……いたっ! ……噛んひゃった……」



 たまたま胸に飛び込んできた彼女は、噛み違えた舌の痛みを堪えながら謝ってくる。

 上目遣いにウルウルとした瞳を向けられ一瞬だけ怯んだが、オレは相手の両肩をソッと押し戻して首を横に振る。



「ああ、良いよ。オレがちゃんと受け止められたら良かったんだが……」

「ふぉんなひょとないれす……」



 まだ痛む舌を口先に出してるせいで、相手の顔がだらしないことになる。けれど本人はそれを気にした風はなく、胸の前で手をひらひらと振ってオレの言葉を遠慮する。

 しかし、衝突に際して引き離されたその人の懐は深くなかった。よしちゃんと呼んでいた相手に、かの美人は寒々とした笑みを向ける。



「本当に反省してね、由ちゃん」

「うえーん。ふぉんとにごめんなひゃい~っ! わはとひゃないんへふ~~ッ……」

「いやだから、オレは別に良いってば」



 彼女はもう一度オレに頭を下げるが、自分に鋭い視線を向けてくるヒナの様子には気付いてない。見た目に寄らず、なかなか心根が強い女子のようだ。



「ていうか、オマエが言うなよ。ぶつかられたのはオレなんだからな」

「だって……」

「だってとか言うな。そもそも、オマエに腕を掴まれてたせいで身動き取りづらかったんだよ」



 正直に思っていたことを口に出すと、ヒナは頬を膨らませてむくれる。

 高慢なヤツだ。それで許されると本気で思ってるのか?



「んな顔しても可愛くねぇからな」

「ちぇー」



 さっさと先に歩き出すと、ソイツは文句を言いながら追いかけてくる。

 オレにぶつかってきた彼女も何故かつられて、さらに後ろから追ってくる。


 謎の組み合わせになったこの3人で登校する朝は、間違いなく人生最大の無駄な時間だった。



 ◆◆◆



 取り巻きたちが持て囃す美人に纏わりつかれたまま、オレは(よし)ちゃんと呼ばれた女子と2年の教室へ向かった。


 彼女は隣のクラスだったようで、こちらに向かって手を振り一足先に別れる。ヒナは離れた途端、すぐにオレの腕をがっちり捉えて自分たちの教室に足を踏み入れる。

 この冷酷美人はお怒り中ときた。めんどくせぇ1日になりそうだ。


 (よし)ちゃんや他の同級生に被害が拡大しないよう、今日のオレはコイツのご機嫌取りをしなければならない。鬱陶しいから今すぐ腕を振り解きたいが、オレの我慢で平和に一日が終わるってんなら、まあ耐えてやらなくもない。

 誰でもいいから良くやったと褒めてほしいところだが、それは今日寝る間際にでも自分で贈ってやることにする。



「あ、ねえ」



 席に着くまで続いたヒナ歓迎ムーブメントの中心で、とうの本人は何かを思い出したような声をあげる。



「また教科書忘れちゃった……」

「オレは貸さねぇかんな」

「えー」



 上目遣いに瞳を潤ませたって、顔の前で指先をつんつん合わせたって、オレは絆されねぇぞ!



「ふうん」



 相手が口を尖らせ不機嫌そうな声を出したとこで、オレは今日の抱負を思い出す。

 やっちまった。つい癖で拒否っちまった。



「ああ、もう分かった。貸してやる」

「ほんと!? やった!」



 机の横のフックに鞄をかけながら仕方なく言い捨てると、ソイツは嬉しそうに声を弾ませた。


 ていうか、貸してやるの《や》の時点で声被ってるから。食い気味にはしゃいでやがるが、自分が忘れ物常習者だって意識はどこにもないのかよ。

 なんて図々しいヤツなんだ。

 オレが他人にここまで直接的な言葉を使うなんて滅多にないことなんだぞ。


 おかげで機嫌も戻ったらしく、ヒナは話しかけてくる取り巻きたちに笑顔で答えてる。

 とうぜん周囲は明るい空気に包まれる。

 これじゃ感謝の言葉を催促してもお釣りがくるってもんだぜ。



 ◆◆◆



 結局、この日のオレはされるがままの人形に徹した。

 帰宅のチャイムが鳴るまで、誰からも好かれるソイツに文字どおり付きっきり。

 さすがに便所は別だったけど、今日が体育のない曜日だったから本当にずっと一緒だった。

 これでまたオレとその美人についての妙な噂が広まることだろう。傍迷惑でしかない。


 それでも放課後に取り巻きたちとのおしゃべりが始まるタイミングで、なんとか形振り構わず逃げてきたところだ。

 抱く必要のない使命感に疲れ切ったオレは、確実な休息を求めて寄り道を決めた。


 最寄り駅に向かうまでの住宅街のなかに、ひっそりと佇む静寂を体現したような喫茶店がある。オレは疲れて静かな場所を求めるとき、必ずこの喫茶店に寄って帰る。

 今年度に入ってから高い頻度で世話になっていて、最近はそこの店長とも親しくなりつつある。


 はあ……とカウンターの端っこで溜め息をつくと、店長はクスッと声を漏らした。



「悪りぃ。つい」

「いいよ。よっぽど疲れが溜まってるんだね」

「ああ。そうなんだよ」



 喫茶店は店長が一人で切り盛りしている。

 年齢は三十路ってとこだろう。

 整えた顎髭とツーブロックに刈り上げた頭髪で分かりづらいが、顔面のほうはショートケーキの地盤に粉砂糖の山を築いたような、甘ったるい造形をしてる。


 そんなことを言えば店長は微妙な顔を浮かべるだろうが、そもそも相手に踏み入った会話は互いにしないし、こんなことを口にする機会はこれからも無さそうだ。



「ここにいる君は、すごく穏やかな顔をするんだね」



 ──チッ。やっぱり見つかったか。


 どこにいってもオレを見つけるコイツのせいで、もう数年はしないと思ってた舌打ちの衝動に負けそうになる。


 これまでずっと放課後プレイに駆り出されない日は、この美人の腕から逃げ続けてきた。今日だって正面玄関で周りに潜んでないか確認してから全力疾走したんだ。陸上部が思わず勧誘したくなるだろう、完璧なスタートダッシュだったんだぞ。



「なんで分かったんだよ」

「喧騒とはかけ離れた静かな道に、静寂を体現したように厳かで上品な雰囲気の店だから」



 ね? 君の好きな要素が詰まってる──。


 相手は魂の理解者のように言って、わざとらしく肩を竦め微笑む。わざとらしく見えたのは、オレの性根が歪んでるからじゃねぇぞ。まじだからな。

 普段の、コイツの態度のせいだ。八割、いや五割くらいはな!


 仕方なしに責任の配分を均等にしてやり、絵画モデルのように整った横顔が視界に入らないよう体を大袈裟に背ける。

 店長はオレの顔を見てなにやら察したようだが、来客を拒むわけにもいかず、ここをどうぞとオレから離れた席を勧める動きが目に入った。

 だけどヒナはそれをお淑やかに断り、椅子ひとつ分離れた席に意気揚々と座る。人1人分をきっちり空けてくるのも、コイツの策略のうちのような気がして落ち着かない。



「……なんだよ」

「なにが?」



 こっちが質問してるってのに嫌な──オレにとって物凄く嫌な笑みに見える──表情を浮かべて、相手は身を乗り出してくる。



「あんま近付くなよ」

「なんて?」

「は?」



 人受けのする、おそらく同級生たちには大受けする愛され声に、オレは思わず耳をすませた。


 聞き間違い……じゃねぇよな。

 コイツ、いま……──。



「なあ、もう一回だけ言うぞ。あんま近寄んな」

「ん? なんて?」



 聞き取れねぇふりしてやがるな、コイツ。

 やっぱ性格が悪いぜ。オレの言葉も無駄になっちまったしよ。


 一日中耐えた反動で抑えてた苛立ちが戻ってくる。

 これで考えなしに振り返ってしまったのが運の尽き。今度こそ顔を見てはっきり言ってやろうとしたら、その美人は満面の笑みでオレに体を向けていた。



「……わざとかよ」

「何が?」



 他意も含みもなさそうに見せることなら、コイツの表情の作り方は群を抜いている。

 仕草がいちいちあざといんだよ。


 せっかく店長が入れてくれたコーヒーも、そうこうしてる間に若干冷めちまった。

 まあ湯気が飛んでも美味いんだけど、熱いコーヒーが飲みたかったから多少は悔しい。



「なあ、一つ提案があるんだがよ」

「嫌だな。絶対、良くない話でしょ」

「オマエにとってはそうかもな」

「だから聞くのも嫌なんだよ?」




 猫なで声で語尾をあげたって揺らがねぇぞ。意地でもその耳にオレの声を届けてやるぜ。

 お前のワガママにこっちが付き合ってやる必要は、全くもってこれっぽっちもないんだ。



「聞かないなら、明日から一人で登下校して教室移動するんだな。教科書も見せてやらないし、昼食も別々だ」

「実行できないことは口にしないほうがいいと思うな」

「オレの本気を知らないだろ」



 口の端をあげて笑ってみせると、漸く美人の真っ直ぐなだらかな美鼻の筋に皺が寄った。

 ここに鏡があれば、オレもきっと黙り込むしかなかっただろう。明らかに悪いことを企んでそうな意地の悪い笑みを浮かべる、自分の顔に。


 相手は目を瞑り、苦悶の表情で思案を始める。

 それはそれはもう渋い顰めっ面だ。40年以上も寝かせた塩分の強い梅干しを口に含んだときのような、鬼気迫るお顔だ。それが他のやつだったら、きっと心配なんてものをしてお冷やを与えただろうが、オレはコイツにそんな気は起こさない。


 渋い顔もサマになるとか、色々と有益な容姿をしてる。けどな。残念ながら、オレにもまだ希望は残されてるのさ。

 コイツだけじゃなく、教師陣の目も欺ける秘密兵器みたいなものがな。



「ああ、もう。分かったよ。提案を聞く」



 頬を膨らませはしているが、不機嫌そうには見えない。

 良く考えた上で出した結論だ。あとでやっぱり聞いてませんでした、なんてことを言いだすやつではないと信じよう。



「オレの提案はこうだ。学校内では、まあ同級生も一緒なら、オマエと行動してやってもいい。ただし、体育なんかで着替えたりだとか、男女別にならなくちゃならねぇ時は、学校のルールに則って行動する」

「それだと、水曜日しか学校にいるあいだ丸々一緒にいられないじゃん」



 教室でも移動でも登下校にも2人きりになれないのにと、相手はまた頰を膨らませる。


 何言ってんだ、コイツは。こっちはむしろ水曜日も一緒にいたくねぇんだよ。

 オレが最大の譲歩をしてるってのに、納得する気も聞き入れるつもりもなさそうだった。



「週に1回で何が不満なんだよ」

「1日のうち、8時間くらいしか一緒にいられないんだよ。嫌じゃないの?」

「はあ? 貴重な週一の8時間すらもお前に割かなくちゃいけねぇってんだから、そのほうが嫌だっつうの」



 オレのほうが一緒に居たがってるみたいな言い方はよせ。さっきから、食い下がってきてんのはオマエだろうが。



「あーあ。何だか色褪せて見る影もなくなったって感じ」



 喫茶店のメニューを暫くいじり、ヒナは店長にパンケーキを頼んだ。

 構うのも疲れてきて無反応を決め込んでいたら、その美人はとうとう席を移動してオレの真隣に座ってくる。



「あーあ。何だか色褪せて」

「それ2回目だかんな」

「今のはわざとだよ」



 オマエにわざとじゃない瞬間があるのかよ。

 溜め息の代わりに、ぬるいコーヒーを一息に飲む。


 店長もまさか注文されたものを客の遠くへ出すなんて出来るはずもなく、険しい表情のオレに苦笑しつつ珍客の目の前に湯気の立つ皿を置いた。


 左斜め前で、香ばしい匂いを放つパンケーキの熱に溶けるバターと、自家製はちみつの甘い香りが漂う。

 オレの腹は食べ物に正直だ。

 ぐうううう、と重低音を響かせる腹を抑えると、隣で聞いていたヒナはフォークに刺した一口サイズのパンケーキを、オレの口の前に持ってくる。



「ほら。早く食べないと、はちみつやバターが落ちちゃうよ」

「食べねぇよ。帰ったら夜ご飯作んなきゃいけねぇし」

「へぇ。料理するんだ。凄いね」



 やっちまった……。


 どうか杞憂であってくれと願いながら、おそるおそる隣に目を向ける。オレに付きまとうコイツの笑顔は一見爽やかに見えるが、頭と心で何を考え思っているのか手に取るように分かってしまった。


 何か企んでる。オレのボロい家で飯を食うとか、そういうことを言い出しかねない。

 自分の失言を相手が繰り返す前に、オレはコーヒーの金をテーブルに置いて席を立った。



「ねぇ、待ってよ」

「うっせぇ。くんな」



 オレがきつく返すと、ソイツは椅子を降りかけてやめる。


 そのまま振り返らず駆け足で店を出て、相手がそれからどうしたのかは知らない。

 ただ、去り際の一瞬に見えたヒナの顔が瞼の裏に焼きついてしまった。その純白みたいに綺麗な顔は、帰路のあいだもずっとオレの頭のなかに居座って。


 その夜すんなりと眠ることは出来たが、ヤツの泣くのを我慢しているような笑みは、グッと目を瞑ってもしばらくは瞼の裏から離れなかった。



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