34、未知で奇妙な隣席
夏休み中は、稼ぎ時だった。
この時期だけは、寒い冬や短い春と違って、開放的な気分になりやすい条件が1ヶ月半も続くからな。
増える客足と注文で頭がこんがらがってイライラする暇もなく、むしろテキパキと動けた気がする。
皿を持っていく席を間違えることもなく、お冷やを切らすこともなく、注文を聞いたしりから出来た料理を運んでいく。
レジ打ちだって、2回しか間違えてない。
繁忙期にだぞ。それで時給も上げてもらった。
オレの頭は、ほんのちょっとだけ機動力が増した。
あれは、なかなか悪くねえ気分だったな。
店長に毎年こんな感じなのか聞いたら、まさに住宅街で店を開くメリットはこれだよね、と屈託のない笑顔が返ってきたっけ。
二つ角の通りにはオフィスビルもあるはずだ。朝のコーヒーを飲む人も、ランチに寄った人も、ケーキを食べる人も、夕飯を済ませる人も来る。
客が常連の3、4人しか来ない日もあったが、だいたい毎日忙しかった。
そうして夏中をアルバイトに費やし、オレの長いようで短かった休みが明ける前には、弟妹たちを外食に連れて行った。
食事や洗濯、掃除以外は放ったらかしにしてたからな。
特に中3の弟には、児童と園児の遊び相手になってもらってたから、労いの意味もある。
卒業祝いは豪華にしねえと。
中2の双子は自分たちだけ外に遊びに行ってたらしいから、筆記用具くらいでいいだろ。
そこはきっちり、分け隔ててやらねえとな。
これがオレの平等ってやつだ。
始業式の夜なんかには、店長がオレを労いたいってんで、喫茶店を貸し切ってフワフワの手作りハンバーグを食べさせてくれた。
このおっさんには、マジで世話になりっぱなしだぜ。
2日前に再開した高校の正門前には、ほぼ1ヶ月半は無縁だった鬱陶しい集まりも残念ながら復活してる。
例のごとく、ヒナの取り巻きがうるさく騒いでやがるんだ。
やつらの心酔してる人気者は、教室移動が多くて校内を這い回ってるそうだが。
頭の良いやつは忙しそうで何よりだ。
長袖に変わった制服を、きっちり着てるやつは少ない。
教師の見張りは二学期初日だけで、今回の担当が珍しくオレの知り合いの科学教師だったせいだ。
全員まとめて服装の乱れは一切なし、と登校に賑わう校門前で言い切ってたしな。そのあと5分もしないうちに、眠そうに校舎内に戻る猫背に手を合わせておいたさ。
不摂生が服着て歩いてるようなやつにしたら、よく仕事したほうだぞ。
それを見た生徒が、いつもより真面目だなんて噂してる場に遭遇したこともある。それも格好いいとか、もしかするとタイプかも、とかって話題だ。
昔馴染みのそんな話を聞いて、今さら気まずく感じることは無いにしても。
あんな、だらしないおっさんの何が良いってんだ。
周りの関係図が少しずつ変化してるから、何でもかんでも良く見えちまってんのか。
はっきり言って、趣味が悪いぜ。
まだ、うちの店長のほうがマシってもんだろ。
穏やかな性格に、柔らかい物腰。
ときどき茶目っ気もあるが、根っからの真面目でお人好し。
それと、触れてほしくない話題は逸らしてくれる。
ほら、最高だろ。
オレの好みと真逆のタイプなのが、まさにヒナだ。
相性も最悪だし。
接する相手によって自在に変化する性格、そこに付随する自分本位な態度、ときどき……でもなかったな。
アイツは、かなり腹が黒い。
闇黒色だ。
極めつけは、ヤツの執着性。
ゴキすけホイホイの粘着テープ並みに、一度引っ付いたら中々離れない。
そういう性質があることを知らないとはいえ、転校から一年以上も経ってるっつうのに、件の冷酷美人に好意を持つやつは増え続けてる。
頭の良いやつだけが受ける授業のこともあって、夏前から本人を校内で見かける頻度は減ってたが。
それでも噂は、いつも校内のどこかにあった。
例えば、オレが2年の時に流された、ヒナとの関係とか。
あれはもう終わってる……ていうか、火種も取り巻きのやつらが遊びついでに作っただけなんだが、今度は下級生の間で再燃してるらしい。
2ヶ月前でもそりゃあ睨まれたもんだが、夏休みで学校から離れてる間が快適すぎて。
普段のオレの態度が広まってる去年とは違う。
今年新しく入った連中は、オレとヒナを親しい仲だと思い込んでる。
噂はみんながしてるし、1年前から一度も消えなかったからだろう。
くそったれ。
人気者様々だぜ。
もちろん皮肉だが。
ほら、今も通りすがりの1年生から恐い顔で見られた。
まったく……今さら疎まれてもな。
呆れて怒る気が失せるだけだ。
ヒナ単体の噂なら、アイツの進学先の予想とか、好みのタイプは何だって話題が多い。
取り巻きの情報網によれば、去年オレたちの一個上に愛嬌、美形、清純、色気、有能を網羅する人がいたらしい。
その先輩含め、全学年で5本の指に入ってた全員が振られてるんだと。
なかには再挑戦したやつもいるようだが、あの冷酷美人が一切頷かなかったっていうんだ。
そりゃ、みんな戸惑うよな。
誰もが好きになる相手でもダメだったからって、逆のタイプなら可能性があるってことにはならねぇんだから。
オレの知るヒナと、他のやつらが知ってるヒナは違う姿をしてんだ。
隣の席を維持し続ける元転校生が、借りた教科書に落書きした絵を一生懸命に消してる姿なんて誰も興味ない。
他のやつらが態度の悪いアイツを知らないままでも、べつに困らねえし。
ヒナがどんどん未知の存在になっていくところは、感情を曝け出す瞬間を知ってるオレには奇妙に映ってるが。
まあ、よっぽど暇を持て余してんだろ。
廊下で、階段脇で、昇降口で日毎大きくなる集団ってのは、陽気で脳天気なやつらが作る。
他人のことを分かったふうに話して、夢中になれる話題を見つけるのがうまいから、そういう空気や場所にも馴染めるんだろうな。
教室の中は、そろそろ夏の空気が抜けてきた。
長い休みが明けたところで、聞こえてくる話の内容は変わったりしないが。
みんな勉強がどうだの、恋人がどうだのと騒いでる。
年がら年中頭の中が空っぽのオレでも、外野から見てるだけで分かった気になれるのが窓際で後ろから二番目の席の良いところだ。
自分以外のことは、ちゃんと見えてるつもりでいられる。
話の内容なんて、オレにはどうでもいいことだがな。
どうせ、1年後には顔を合わせることもないやつらだ。
オレはきっと忘れるし、向こうもオレのことは覚えてないだろうぜ。
◆◆◆
放課後に入ってすぐ、オレは進路希望の紙に殴り書きして教室を出た。
4月から今まで何度も落書きを提出しては、新しい用紙を個別に渡され続けてきた。
進路希望調査票なんて、オレがどんな内容を書こうが口を出してくる相手はいない。
唯一のメッセンジャーにされた馴染みの教師も、朝一で眠そうなだらしない顔はしてるが、「ん」と手渡してくるだけだしな。
でも、今日はついに目指す職業を書いて出すことにした。
学校側は一人でも多くの進学者を出したいんだろうけど、そんなのは他のやつに期待してくれ。
オレは学校のために生きてるわけじゃねえし、理念に従ってやる義理もない。
学びの対価は金だしな。
こっちが欲しいのは卒業認定証だけだ。
それよりも今考えなくちゃならねえのは、調理師免許の方だ。
この夏休みの間に始めたアルバイトで、参考書籍と受験の金を払っても余裕があるくらいの貯金はできた。
がっつり入れるって言ったら、がっつり入れてくれた店長には感謝だな。
オレの気懸かりは、資格を得た後だ。
あのおっさんは合法的に雇う側になっても良心的で、他の店でも働けるよう知り合いを紹介すると言ってくれた。
でも、オレはその話を断った。
卒業したからって、直ぐに実家を離れられるわけじゃねえし。
弟妹4人に不便を受け入れさせるなんて、オレの選択肢には無い。
家庭環境を少なからず知ってる店長は、「いつでも力になるから言ってね」とオレの準備ができるのを待ってくれるらしい。
すこし残念そうな顔はしてたが。
自分の決まり切った未来を想像して悶々としてたけど、やっと鬱屈した一日を終えられそうだ。
まあ、もとから明るくて陽気な性格でもねえんだけど。




