33、青春は言えない
「らっしゃー」
「……いらっしゃいませ、だよ。──どうぞ、お好きな席へ」
昼下がりに入ってきた客に笑いかけ、おっさん店長はカウンターの向こうからオレに言う。
「はい。先にお冷や持っていってね」
「あいよ」
飲み水がチャプチャプと音を立てるコップを、傍らに持ってたトレイに乗せる。
「それと、あとでコーヒーと一緒にレモンバターサンドも持っていってね」
「あいよ」
カップにコーヒーが注がれる様を見届け、店長の手が流れるように脇の皿へと動く。
「あと、もうすぐ決まって奥の席に座るお客さんが来るから、その人にお冷やを持っていったとき、ラテとセットのデザートを何にするか訊いてきてね」
「あいよ」
「君のその返事を聞くと、どうしても気が抜けるんだけど」
「店長って、器用に覚えてんのな」
カウンターに戻ってすぐ指示を出してくる店長に、鼻を鳴らして笑う。
オレが混乱しない程度に自分の考えを伝えてくる相手が、あんまり凄いんでびっくりしたぜ。
おっさんは肩を竦めて、皿の上の作業を続ける。
「慣れもあるけど……接客も、一朝一夕には上手くいかないものだから。君は要領も良いし、気配りもできるから直ぐに慣れるよ」
「どっちもオレには覚えがないけど、一応礼は言っとくぜ。ありがとな」
「君ってば……。自分のことになると、途端にそんなことを言うんだから」
こういう素で認めてこられると、適当に流すこともできない。
この店長の言葉は、余計な裏を考えずに受け取れる。
「お客さんを迎える挨拶さえ直してくれたら、あとは完璧なんだけどな」
周囲に意識を配りつつ言うおっさんの言葉に、背を向けて店の外を見る。
毎週火曜日、午後二時に必ず来る客が、窓の近くを歩いて扉に手を掛けた。
「いらっしゃいませ。ほら、新人さん。来客だよ」
「へーい。いらっしゃい」
「君といると、いつでも気楽な寄り合いにいる気分になれるね」
修学旅行で帰ってきたあと、しばらく曇り空と雨天が続いて、学校は夏休みに入った。
オレはこの長期休暇を利用し、通い詰めてた喫茶店で本格的に働き始めた。
今までは閉店後の手伝いだけだったが、期間中に従業員扱いにしてもらってる。
金を貯めて、調理師の資格を取る。
毎日学校に通うなんてうんざりだから、通信制の授業を受けるつもりだ。
オレには、やっぱり『これ』だ。
自分の強みを作るのに、日常的にやってるものを利用しない手はない。
働くと決めて、試しに声をかけたおっさん店長の反応は快諾で。
『良かったあ。この秋までに君から話が来なかったら、もう脈無しかなって。こっそり諦めなくて良かったよ。ありがとうね』
──なんて言って。
胸の前で手のひらを合わせ、大袈裟に喜んでた。
目尻に薄らと涙さえ浮かべて。
あれは、すっげー後ろめたい気持ちになったな。
年上を泣かしたみたいで。
◆◆◆
「それにしても、どうして気が変わったんだい?」
客も引いて、店内にオレと店長しかいない暇な時間に、子犬のような表情で言ってくる。
午後4時。
壁掛け時計をチラッと見てから、誤魔化しの笑みを向ける。
「君も、返答に困ったような顔をするんだね」
見抜かれて当然だ。
オレも、どう答えるべきか迷ってる。
動機が単純すぎて、堂々と話しづらい。
「……べつに何だっていいだろ」
そっぽを向いて、テーブル拭きに勤しむふりをする。
「あんたは、オレに構ってる場合じゃあねえだろ」
この春の初めを皮切りに、おっさん店長が仕事を早く切り上げる日は滅多となくなった。
逆に店を開く時間が遅くなった。
つっても午前6時の開店が、3、4時間ほど遅れるだけのことだったが。
ずっと、こっちから事情を聞くのは気が咎めていたところだ。
気になってたのもあって話題を変えてみたが、もとより無い思考力を捻っても無駄だった。
案の定、相手は怪訝に思ったらしい。
視界の端で、やれやれと肩を竦めるのが見えた。
でも、オレにだって絶対に口にしたくないことはある。
無視を続けると、店長も諦めて話題を変えてきた。
「そういえば、あの子来ないね」
「あ?」
そりゃあ誰のことだ。
オレが思い浮かべたくない人物か。
もし、そうなら……。
「ほら、あの綺麗な子だよ。君の同級生の」
……さっき話を逸らし損ねた手前、たぶんだが気を遣ってくれただろうその話に乗らねえわけにもいかなかった。
「なんで、そんなこと聞くんだよ」
「だって仲良いんでしょ?」
たった数分間、一緒に居ただけの性悪美人のことなんだな。
そうなんだろ。
オレたちの何を見て、そう思ったんだ。
学校内ですら、オレとヒナの関係を自分たちが愉しむための素材くらいにしか思ってないやつが大半だぞ。
「勘違いもいいところだ」
「そっか。僕はてっきり……」
「オレとアイツは好い仲じゃねえよ」
「──いや僕は、友だちだと思ってたって言おうとしたんだけど」
「……」
思い違いをしたのは、オレの方ってか。
笑えねえ。
苦い顔のまま、カウンターに戻る。
店長もちょうど振り返ったところで、オレを見て苦笑しながら続けた。
「君が働くようになってからは、とんと姿を見なくなったんだよね」
「それまでは来てたのか?」
「うん。ちょくちょくね。でも、そうだな……君がお客さんとして来てた日は、見てなかった気がする」
「ああ、そういうこと」
ダラダラとテーブルを拭き終え、カウンターに戻る。
オレから乾いちまった布巾を受け取りつつ、おっさんは気遣うようにゆっくり問う。
「何かあるの?」
「まあ、ちょっとした約束事がな」
「約束?」
「簡単に言うと、オレの前に姿を見せるな的な」
「だいぶ大ごとになってたんだね、君たちの関係って」
「大層なことは何も無いぜ。ただ……」
ただ、オレがめちゃくちゃ、アイツを毛嫌いしてる。
「どうかした?」
「いんや。ただ、オレのわがままに付き合わせてるだけだ」
本当のことは言えなかった。
誰にも、何を約束したかは言う気になれなかった。
言ったところで、何の隔たりも起こらないとは思うが。
オレにも、どうしてそう思ったのか分からない。
「まあ、でも事情があると分かって良かったよ。もしかすると飽きられたのかなって」
「それは無いと思うぜ。そもそも飽きるほど夢中になってたのかも謎だな」
「そう? 僕には、何かに夢中になってるように見えたけど」
「ここは、自分のコーヒーを自慢しとくところだぞ」
「それは僕の口からは何とも……、まるで青春真っ只中の学生って感じだったよ」
苦笑いを返されたあと、店長から意外な言葉が出てくる。
それがヒナの印象だって?
アイツのことを、まるで分かってない。
「そいつはどうかな。青春真っ只中は当たってるかもしれねえけど」
今だけ、ちょっと想像してみる。
美人の完璧な曲線を描く頭部の中は、いつだって青空の下の茂った大草原みたいな景色が広がってそうだ。
「僕には、君も青春真っ只中の学生に見えてるんだけど?」
「あんた本気か?」
眉間が痛くなるくらい、思いっきり顔を顰めてみせる。
自分に当てられた冗談を苦笑いで流す余裕は、オレには無いぜ。
「それと、さっきのことだけど……君を気に掛けるのだって、僕にとっては大事なんです」
半分睨むように相手を見たけど、そこには含みを持ってそうな微笑みがあるだけだった。




