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30、「白白」しく「明け」て【修学旅行2日目・日盛り越えて宵の口】



 修学旅行生貸し切りの立て看板を横目に、騒がしい食堂をいち早く抜け出す。


 見送りのために出てきた女中さんの横をすり抜け、旅館の敷地外を目指したオレの隣に学校一の人気者が張り付いてること以外は、概ね順調だった。

 あとは、どうすればコイツの自由奔放な態度を躱せるかだ。


 食前に済ませた朝のオリエンテーションの時から、オレの頭のなかは考え事に忙しい。



「ちょっと待ってよ。ヒナー」



 旅館正面の舗装された林道で耳障りな高い声が響く。

 取り巻きたちがやっと自分の役割を思い出したのはいいが、声がこっちに向かってきてるのは不愉快だな。


 やつらが下心満面の笑顔で迫ってくると、隣の美人はオレの腕を自分の腰に無理やり回させる。



「ごめんね。一緒には行けないんだあ」



 取り巻きに上目遣いで誘いを断るヤツに、細い目をさらに鋭くして睨め下ろす。

 約束の有る無しはどうでもいい。

 とにかく、あいつらの方に行ってくれ。



「おまえら引き取ってくれないか。学校でも仲良いんだろ?」



 ちょうどいい。

 オレの腕はヤツを抱えてるようなもんだ。


 グッと力を入れてやると、押し出されたヒナは素直に前に出る。

 連中は「もちろん仲良し!」と声を揃えたが、一向に手を伸ばしてこない。


 こいつら怯んでるな。

 直接触れるのはおこがましいと、やつらの足は地面に縫い付けてあるらしい。

 自分たちはあくまでも声をかけるだけで、美人には自ら誘いに乗ってほしいってか。

 連れ出すこともできない意気地の無さをここでお披露目して、ご立派なことだ。


 集団で囲ってくる相手に離れる気配がないのを察してか、まだオレの腕を掴むヤツは唐突に体の力を抜いた。



「途中でまた体調が悪くなるかも……」



 不調アピールの蹌踉めきは完璧だ。

 ついで額を押さえて俯く様子に、取り巻きは「そっかあ」とか「そうだよね」とか納得して離れていく。


 あいつら、まじかよ……。

 ヒナの思惑にも気付かず背を向ける連中が憐れで、恨み言の一つも浮かんでこねえぜ。

 コイツに白々しさを覚えるのはオレだけなのか?



「ちょっとは協力してよ」

「何してんだよ」

「君と出かける準備だけど?」



 腕を鷲掴みする力があって、調子が悪いふりも出来るとか。

 オマエは本当に何をやってんだ。


 しかも協力して、だと?

 2人きりになるための嘘を吐けってか。

 自分の自由を台無しにしてまで、そんなことに協力しなきゃいけねえってのかよ。


 ふざけてやがるぜ。

 もう、うんざりしてんだよ。こっちは。

 ヤツに関わる全部が煩わしいってのに。



「人気者なんかのお守りをする予定は、オレのしおりには無いんだ。さっさと離れろ」

「やだ」




 大通り沿いに、徒歩10分。

 線路を挟んで手前と奥に分かれたホームを交互に見回し、どっちに逃げるか考える。

 切符売り場の上の案内板だけが頼りだ。



「ねえ、行こうよ」

「いや、行かねえ」

「どうして?」

「オマエのために外出するわけじゃねえからだよ」

「ここまで一緒に来たのに?」

「勝手にしがみついてきただけだろうが」



 片方のホームにだけ並んだ2つの券売機を邪魔しないよう、端に寄ってヒナと押し問答を繰り返したあと。

 さっきからこの調子で、しつこい美人に絡まれてる。

 駅を使うやつらも何人か見たが、みんなヤツの外見に目を引かれるせいで必ず一回は改札機に足をぶつけてる。


 あかぎれとは無縁のなめらかな手の甲が、オレの腕を改札まで引こうとする。



「デートみたいだね!」



 改札を過ぎて階段前、おおきな声で。

 歌ってスキップでもしそうな言葉に、オレの後頭部がジクジク痛み始める。

 さっきから妙に、うなじをピリピリと刺激してきやがる正体は……これか。

 出会すやつら全員が、オレを視線で刺してきてんだ。


 コイツは嘘を吐くのも平気なんだろう。

 そのせいで痛むのは、オレの頭だけだがな。


 桃の皮みたいな色の唇から、なんの躊躇いもなく言葉を連ねて。

 騙してるっつう罪悪感なんて、まるで無い。

 ぜんぶ自分の思いどおりにするためにやってる。


 オレにとっては、いつも悪意を感じる表情で。

 まじで最悪な性格してやがるぜ。


 人気者がオレの腕を力任せに引き摺り、目の前の階段を軽やかに駆け上がっていく。

 トン、とホームに足をついて振り返る美人に、頭の痛みが増した。




 ◆◆◆




 夕方の5時を目前に、旅館の玄関をくぐる。

 他のやつらより早い戻りだが、騒々しい廊下の壁を這わなくて済んだ。

 人が少ない場所を歩くっつうのは、やっぱ気分がいいもんだな。


 夕食までは2時間くらい。

 この調子で思う存分に寛いでやるぜ。


 執拗な美人も、入浴とあって素直に引き下がったし。

 今のうちに、ゆっくり湯船にでも浸かりてえな。


 しおりに書かれた入浴時間はまだ先だが、受付の女中さんに聞けば快諾だった。

 銭湯がある隣の館に向かうと、同じ学校のやつが何人か前を歩いてる。

 あいつらも、うるさい同級生がいないうちに風呂を済ませるつもりなんだろう。

 オレも昨日、今朝と入りに行けなかったから、まあまあ楽しみだ。


 浮つく内心をタオルと無表情で隠し、素早く体を洗い終えて外の湯殿を見に行く。

 手前から釜茹で、蒸し茹で、湯煎って感じだ。

 釜風呂は満員だし、奥の滝行みたいな流し風呂もそこそこ人がいる。

 右の真ん中にある山小屋風のサウナは、今まさに3人出てきたところだった。


 ……へっ。オレは手強いぜ。

 小窓つきの扉を開け、意気込んで熱風のなかに身を投げた。



 ──……5分と保たなかった。

 なんだアレ。

 餃子になった気分だ。

 焼かれて、蒸されて、さいごにちょっと焼かれた。


 サウナってやつは全国どこでもこうなのか?

 弟妹四人の相手をしてきたオレの根性を舐めるなよ、とか思ってた自分が急に稚拙な人間に思える。

 ……べつに元から賢くはねえけど。


 根気でどうにかなるとも思えない。

 家に湯船すらないオレは、おとなしく屋内の湯船で満足してろってか。


 ゼエ──。

 肩で息をつき、ふと奥の露天風呂に目がいく。

 脚だけ湯に入れ、縁の石に座ってるだけのやつもいる。

 オレも始めから入り方を知ってるかのように真似してみる。


 なるほど。

 こういう感じでいいのか。


 足先からジワジワと、熱い湯が浸透してくる。

 顔にこもった熱が引いていき、首から背中にかけてを微風が撫でる。

 こりゃあ良いもんだな。


 その爽快感に気分を良くしたオレは、しばらくの間、この熱と冷を堪能することにした。




 脱衣所の時計を見上げ、ハッと意識が冴える。

 夕方、6時40分。

 食堂に行く時間が迫ってる。


 あれから2回、オレはサウナってやつに挑んだ。

 一度目は5分だったが、二度目には10分、三度目には12分も耐えられた。

 なかなかクセになる。

 地元でもサウナがある銭湯を探すか。


 今日は、久しぶりにゆっくりできたな。

 鬱陶しい美人を避けるのだって、オレの小さい脳をフル回転させてんだ。

 この2年で一番疲れる日だったのは間違いない。


 ここだけは、アイツでも絶対に入ってこられない場所だったから。

 おかげで物珍しさにかまけて、色んな湯船に何度も浸かってやったぜ。


 ヒナに付き合わされた昼間の心労も、すっかり取れちまって肩が軽い。

 あくびも止まらない。


 ヤツが見てたら真っ先に、眠いんだね、なんて声を掛けてきそうだが……。


 サッと周囲を警戒して、嫌な視線に身構える。

 弛んじまった緊張も僅かに引っ張り出してみたが、目的の人間は見えない。

 昼の自由時間だけじゃない。

 オレもかなり、あの極悪美人に振り回されてる。


 やめよう。

 深呼吸ついでに、あの精巧な顔面を頭の中から追い出す。


 宿泊部屋がある本館に戻る途中、屋内付の渡り廊下で隣のクラスのやつを見つける。

 去年の文化祭でオレと同じく実行委員だったやつだ。

 さっきも屋内の湯船を順繰りに浸かってて、一回だけ一緒になったな。


 廊下を抜けた先では、修学旅行のしおりを持った4人が盛り上がった様子で喋ってる。

 どっちが夕食の始まる時間ギリギリまで風呂に入っていられるか、なんてやりとりがすれ違い様に聞こえてくる。


 残り20分も無いっつうのに勝敗つけてる暇あんのかよ。

 騒いで旅館のやつに見つかっても学校名はバラすな。

 おまえらと同郷とか思われたくねえ。


 ……うまくいかねえな。

 銭湯を楽しんだ余韻も、たった今、台無しになった。

 気が緩んだ直後で、ちょっとの不愉快にも顔を顰める。


 一旦、入浴セットを部屋に置きに行って、食堂まで戻ろうと階段を下りていく。

 階段の踊り場からでも、玄関での騒ぎは耳に届いた。


 黄色い歓声とともに広がる生まれたばかりの話題が、階段下でもちょうど行われてる。

 話題の中心は、やっぱりアイツだった。

 これが仮に芸能人なら、ここまでひっそりと騒がれることはないだろうからな。


 案の定、ヒナは囲ってくるやつらに人受けのする笑顔で応えてる。

 その容姿で持て囃されるうえに、取り巻きと信者(ファン)っていう同級生たちが囲ってるせいで、美人を見つけた無関係なやつらは遠巻きに眺めて噂するしかない。

 しかもヤツには、自分に好奇の目を向けてくる相手に、わざわざ手を振ってやる義理もない。


 厄介な相手が身動きも取れないってんなら、オレがやることは一つだ。

 壁の端に寄って、斑に纏まる集団の後ろから静かに食堂へ行く。

 うまくいけば一人で夕飯にありつける。

 ゆったりした時間を得るためには、アイツに見つからないように動かなきゃならねえ。


 でも、こういう状況はオレに有利だ。

 ヒナが近付いてきたら……信者(ファン)は知らんが、取り巻きはついてくるだろう。

 こっちから見つけやすいぶん、逃げやすいってアレの典型だ。


 教室でキィキィと騒ぐだけが取り柄のあいつらも、やっと役に立ったぜ。

 心の中でありがとうと手を合わせ、目立たないように忍んで食堂前の列に並ぶ。

 列を先導する教師が腕時計を確認し、おおきく頷く。


 午後7時。

 修学旅行生に向けた、夕食が始まった。


 前に20人くらい、並び始めて10分。

 配膳の列は盛況だ。

 3人くらい列に割り込まれたし、座ろうとした直後に押されて席を取られたが、苛ついても奥歯を噛みしめて耐えきった。


 食堂の入り口から対角線上にある、中庭の窓に面した最奥の席でもっそりと飯を食う。

 昨日も思ったが、ここの飯は格別に美味い。

 間違いなく、プロの料理だ。

 おっさん店長の出す喫茶店のセットメニューよりも美味い飯を、オレは初めて食べた。


 弟妹たちにも食わせてやりたい。

 こんな美味いんだ。

 あいつらだって何年か後には体験するはずが、すぐに教えてやりたい。


 あいつらに良い思いさせてやれるなら、オレも頑張れる。

 いつも庭に自生してる食草とかもやしがおかずで悪いとは思ってんだぜ。

 そんで飯が豪華だったと自慢してやるんだ。


 ああ……はやく帰りてえな。

 思ってたよりも、すこしだけ退屈なんだな。

 修学旅行ってやつは。



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