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29、萌黄色のパーカー【修学旅行2日目・引明】



 楽しかったら良かった修学旅行、2日目。


 オレは自分に宛がわれた5人部屋で起きた。

 しおりに書かれた起床時間より一時間も早い、朝の5時30分。

 とうぜん同室のやつらは眠ってるし、引率の教師たちが様子を見に来てる気配もない。


 廊下は無人だ。

 誰かとすれ違うのも煩わしいと思ってたから、ちょうどいいけどな。

 オレはホッと息を吐き、こっそり部屋を抜け出す。


 潔白なトイレの内装に気圧されつつ、今日の自分の服装がいかに目立ちにくいか、蛇口を備えた大きな鏡で入念に確かめる。

 朝晩は冷えると思って持ってきたジャケットも、こっちの朝には必要ない。

 半袖のシャツで充分過ごせる。


 でも一応は、ナイロン製のブルゾンを持っていくか。

 雨が降ってくれりゃあ、オレは大手を振って外を歩ける。


 晴れてると目立つんだよな。

 背丈の都合で頭がひとつ抜き出るせいで。

 雨が降れば、みんな傘から上はあまり見ないし。

 そうは言っても、実際はポケットに手を入れて歩くわけだが。


 どしゃぶりになってくれと願いながら、斜めがけの布鞄を引っ提げて旅館の外を目指す。

 この時間に出掛けるのは、あの厄介な美人と出会したくないからだ。

 オレが個人行動しても、何か言ってくるやつなんていないしな。

 どうせ聞かねえんだから、言っても無駄ってやつだ。


 ……ったく、担任も気が利かねえんだよ。

 はじめから、オレを一人部屋にしてくれりゃいいのに。

 馴染みの教師あたりなら考えつきそうなもんだが。


 あいつなら喜んで、オレと二人一組で予定立てるぞ。

 お互い、一人でいるほうが好都合だし。

 連絡さえ細かく取り合っていれば、虚偽工作も楽勝だ。


 階段をこっそり降りるオレを見つけ、女中さんが遠慮がちに見上げてくる。

 こんな時間から起きてる客なんて、オレ以外に見てないって顔だ。



「おはようございます」

「あ、ども……」



 一礼に、それから挨拶か。

 所作の綺麗な相手にここまでされると、こっちも、つい会釈くらいは返したくなる。

 生返事の後、一階に足を付けたオレは、そのまま通り過ぎようとする着物の背中を引き留めた。



「ちょっと訊きたいことがあるんだけど」




 ◆◆◆




 細かい石畳で舗装された、狭くて細い道。

 景観の良さを兼ねたその道は、バスが通ってきた大通りとは真逆に位置する寺の参拝者が、よく使ってるらしい。


 旅館の敷地内をグルッと回った、建物の裏にある道の途中で獣道みたいな足場の悪いほうに逸れ、体をすぼめて10分ほど歩く。

 その膝丈くらいの高さの茂みを抜けていくと、ようやくお目見えだ。


 カメラを持って土を踏み荒らすようなやつは絶対に来ないだろう、自然の休息所。

 この竹林のなかは、誰もやってこない。

 そう女中さんは言ってた。


 臑あたりの高さの竹のベンチを見つけて座る。

 息を吸って、吐く。

 たったこれだけのことが、気持ちいい。

 静謐に飲み込まれた空気は、オレにとって新鮮で、待ち遠しかった。




 絶好の清々しい酸素を独り占めして、20分経った頃。



「……なんで来たんだ」



 すべり込むように寄ってくる美人を、もう睨みはしない。

 追い払う効き目がないんだ。

 顔を向けてやるのも煩わしかった。



「君らしい訊き方だなって思って」



 何のことだよ。

 オレの顔に感情が書いてあったのか、ヒナは「この場所のこと」と悪戯を楽しむように言う。

 どうやら、さっき女中さんと話してるときに、コイツも近くにいたらしい。


 ──観光目的じゃないから人に見つかりにくい静かな場所があれば教えてくれ。


 そう訊いて、オレはこの場所へ来た。

 直球すぎて女中さんは苦笑いだったが、それなら他にどう訊けばよかったっていうんだ。

 やさしく包み隠すような語彙なんか持ってねえのに。

 そういうところを期待してないのは、目の前の相手も同じみたいだけど。



「誰も来ないね」

「オレは一人になりたくて来たんだがな」

「二人でも変わらないでしょ?」

「心情が変わるんだよ。面倒な人間が一緒だとな」



 教えてもらったとおり、ここは自然の景色を貸し切りにしたような空間だ。

 自分だけに用意された景色。

 うっかり、そう思っちまう。


 まったく喧騒を寄せ付けない場所なのに、どうしてだろうな。

 この美人のことは受け入れちまうっつうか、拒む気がないようだった。

 自然の気まぐれってやつかな。

 おかげで、またコイツに見つかった。


 一人で落ち着きたくても、すぐにこれだ。

 どこにも居場所がない。

 どんよりとした気分とは真逆の、晴れ上がったばかりで初々しい青空から目を逸らす。



「となり座ってもいい?」

「わざわざ聞くな」



 いつも勝手にやってるだろうが。

 いちいち言わせるんじゃねえよ。



「風が気持ちいいね」



 自重とは無縁みたいな軽やかさでベンチに腰掛けたヒナは、四方に聳え立つ竹林の壁を見上げて言った。

 横顔に、昨日みたいな異変は感じない。

 表情にも影はない。


 ついでに言うと声に覇気もないが、それは今のオレも同じだった。

 まあ、いいさ。

 本調子じゃなくたって。

 自分でここまで歩いてこられるようになったなら。


 いつもの甘ったるい声なんか聞いても、オレの体調が悪くなるだけだしな。


 俯いたまま、隣に座る様子を盗み見る。

 腰に巻かれた萌黄色のパーカーが、その体の細さをうまく隠してる。

 お淑やかにジーパンの脚を揃え、膝を抱えるようにして座る姿は遠巻きでも人を惹きつけそうだ。


 そして今日も、ヤツの白くて無地のスニーカーは汚れてない。

 ……ふと、赤い筋が目に付く。

 糸より細い線だったが、相手の雪白の肌には目立つ。



「その傷」

「え? ……ああ、さっきの茂みで掠めたのかも」



 くるぶしの上まで裾を捲り上げて、そりゃあ傷をつけてくれと言ってるようなもんだ。

 特に生い茂った草地を歩くときは、素肌は極力見せないような服装にしないといけないんだぜ。


 そう言って、いつも言うことを聞かない弟妹を何度も注意してきたが、オレも結構な頻度でやる。

 そして傷をつくる。これくらいじゃあ怯んだりしないけど。



「ちゃんと手当しとけよ」

「大丈夫だよ。これくらい」



 ソッと傷を拭い、自分の指先に血がつかないことを確かめ、ヒナは裾を下ろした。

 もう一度上がる顔には、明らかに穏やかな笑みが広がってた。



「なにが面白いんだ」

「ただの思い出し笑いだよ」



 変なやつだな。

 思い出し笑いなんて、そう人前でするもんでもねえだろ。



「ちいさい頃もよく、そんなふうに言われてたなって思って」

「へえ」

「当時住んでた家の近くの公園に、おおきな桜の木があってね。いつも木陰に座ってたんだ。青空の下で見るより、木の下から見るほうが眺めやすくて」



 ああ。眩しい太陽は桜が隠してくれるもんな。

 コイツも、そういう理由を持ってそうだった。



「ずっと眺めていられたなあ」



 そう懐かしそうに言って、不意にオレを見る。

 美人の愁いの眼差しに、ぞわっと寒気がした。





 腕時計の針が朝の6時30分を回って、横で携帯端末の着信音が鳴る。

 5分くらいで通話を終わらせたヤツの機嫌は悪い。

 拗ねた横顔に訊けば、同室や取り巻きの連中が姿を探してるって一報らしかった。


 再度、自分の腕時計を確かめる。

 これも祖父ちゃんの形見だ。


 教師の点呼があと10分で始まる。

 オレが戻らなくたって、勝手に出席扱いになるだろうけど。

 教師が騒がなくとも、ヒナが周りを巻き込んだら大騒ぎになっちまう。


 とりあえず一旦戻ったほうがいいかもな。

 だが、それはコイツの背を見送ってからだ。



「行けよ」



 この人気者と一緒に戻ったら面倒なことになる。

 2人並んで歩いて行って、それを見た周りが何を言うかは簡単に想像がつく。

 雑に追い払われようが、コイツは暢気に笑ってやがるが。



「ねえ、いつ起きたの?」

「おい無視すんな」

「このまま、いつもみたいにサボっちゃう?」

「は? 勉強ならともかく、堂々と遊びに行ける良い機会じゃねえか」



 大概の学校行事はサボるが、修学旅行は別だ。

 自由時間に何してようが、あとで感想文を「良い学びを得ました」って感じに締めとけばいいんだよ。

 だから散策はする。もちろん一人で。



「オマエが先に戻るか、オレが走って先に戻るか。どっちか選べ」



 そして、できれば前者を取れ。

 走っても疲れるだけだから。



「どうせ一緒になるじゃん」

「ほんの少しでも一緒に居たくねえから言ってんだよ。さっさと戻れよ」



 肩を軽く押してみたが、相手は横に揺れるだけで立とうともしない。

 それどころか、ぷくっ、と頬を膨らましてやがる。



「は。……なあ? オレをからかって愉しいか?」



 ちいさく息をついた瞬間、ヤツの体がピクッと反応する。

 だけど続けた言葉を聞いて、ヒナの美眉が八の字をつくる。



「……………………、……わかったよ」



 長い沈黙と細い溜め息の気配。

 前に聞いた、何かを企んでる時の声じゃない。

 やっと折れることを覚えたか。


 心のなかで自分の勝利を盛大に祝う横、相手が立ち上がる。

 無表情のオレに、美人は名残惜しそうな顔で振り返る。



「それで、何時に起きたの?」



 やっぱりしつこいな、コイツ。

 まあ、これくらいなら答えてやってもいいけどよ。



「5時半だけど」

「明日も同じ時間に起きる?」



 いまだ座り込んだままでいるオレの顔を、均整の取れた眼が覗き込んでくる。



「たぶんな。起きるっつうか、勝手に目が覚めちまうんだけどよ」

「毎朝?」

「ああ」

「早起きさんだね」

「癖みたいなもんだ」

「そっか」



 たったこれだけの遣り取りで、ヤツの目に熱い何かがチラリ見える。

 感情なのか、昨日の熱が残ってるのか。

 気味の悪い目だ。つられそうになる。


 引き摺られる前に手を振って追い払う。



「さっさと行け」

「あとでね」



 声の主と視線が合うことのないよう、オレは顔を逸らして景色を眺めるふりをした。



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