27、美人と不自由に【修学旅行1日目・黄昏】
旅館の外に出ようと一階に向かってたら、正面から保健医が階段を上ってくるのが見えた。
ヒナを置いてきた部屋は二階だ。
あの担任も連絡係はちゃんとやれるらしい。
これでやっと、アイツの傍から解放される。
「あら。あなただったのね」
上階から来たオレの姿で、何を想像したのか。
相手はそれだけ言うと、サッと体の向きを変え階段を下り始める。
「ちょ……おい、待て」
「あなただったら間違いなんて起こらないでしょ」
「なに勘違いしてんだよ」
間違いが起こるほど近い仲でもねえよ。
オレとヒナをどんな関係で見てんだ。
「あなたこそ、なにを勘違いしてるのよ」
「あ?」
「顔を合わせてすぐ何も言ってこないってことは、それほど酷くないってことでしょ」
その言葉に口を閉じる。
そりゃそうだと考えてから、やっぱおかしいだろと相手を見下ろす。
「じゃなくて、あんたの仕事なんだろ。何のために来たんだよ」
「修学旅行のため」
オレだって修学旅行しに来てんだよ。
とりあえず代われって。
せっかく止めさせた足がまた下に向かってくもんだから、こっちも必死だ。
なんとか上らせようと腕を掴むと、相手は涼しい顔で振り返った。
「お世話に慣れてるかどうかくらい、見れば分かるわよ」
オレは絶句した。
自分の表情が動いてないのが悔しい。
伝われ、この胸中……!
呆れて手を離した隙に、保健医は素早く一階に戻ろうとする。
こいつ、はじめから仕事する気なかっただろ。
「どこ行くんだよ」
「あとは若いお二人で」
うっわ……言葉選び悪いぞ、こいつ。
階段を下りきって玄関まで一直線に向かう背を追いかけたが、焦って伸ばした手をひらりと躱される。
オレをあっさり振った保健医は、後ろ手にひらひらと手を掲げてそのまま旅館を出て行った。
「まじかよ……」
せめて文句くらい言わせろよ。
教師も同級生すらもいないロビーの真ん中、オレはひとり、ソファを蹴り倒したい衝動を負かし続けた。
◆◆◆
まずいことになった。
これはまじで、このまま面倒をみることになる流れだ。
梅雨の湿気を纏っても空寂しい外から戻ると、ヒナがいる部屋の前には担任が立ちはだかってた。
部屋にいる学校一の人気者が、また誰かを絆してワガママ言い出したのか。
注意もなく、すんなりオレを部屋に通した担任を余所に、いくつも並んだ靴の数を数える。
見舞いに来たのは、3人か。
取り巻きにしては少ないが、まさか交代制で押しかけてきたりしねえよな?
コンビニから戻ったオレを見つけて、体を起こしてた美人は見舞客に笑顔を向ける。
ニコッと口角を上げてはいるが、それは退室してねのサインだ。
オレと違って、雰囲気で意図を察した取り巻きたちも、文句ひとつ言わずに部屋を出て行く。
あの担任はヒナが置いたんだろうな。
妙なことが起こらねえように見張らせたってわけだ。
ちゃっかりしてやがる。
空気を入れ換えようと、部屋奥の窓を網戸にする。
買ってきた物を畳の上に広げて、ヒナに口にするものを選ばせる。
女中さんに聞いてコンビニへ向かいつつあの保健医を探したが、あっちもかなり隠れるのがうまいらしい。
旅館に戻る道中でも見つけられそうになくて、内心すっかり諦めきってた。
「おかえり」
「起きていいのか」
「うん」
もう大丈夫、と小さくこぼす声よりも、人見知りするように照れた様子が気になる。
真上にある照明の陰で表情は見えづらいが、なにか隠し事してそうな感じだ。
「ねえ、そこの鞄……」
ヤツの視線を追って、敷かれた布団の向こうを見る。
そこだけ床の高い空間になっている、見覚えの強い場所。
花や掛け軸を飾る、同じ用途の空間がオレの家の仏間にもある。
華奢な指が示した、床の間。
それの前に何か置いてある。
「これ、誰のだ?」
ヒナの荷物とは別にある。
いったい誰が置いていったのか分からないが、旅行鞄にしては小さい。
小脇に抱えるには余裕がありすぎる。
ちょうど、救急キットでも入ってそうな……。
「……オマエ、これ」
半分だけチャックを開けて、中身を覗く。
やっぱり……。
鞄の中に、オレの予想したものがそのまま入ってた。
ここは保健医に借りた部屋だ。
とうぜん体調不良の生徒のためにある。
これが最初から無いほうがおかしい。
「わざとだな」
出来るだけ低い声で睨め下ろす。
眉を寄せるオレに、ヤツはふふっと微笑み返してくる。
「すぐに気付けなかったのは本当だよ」
目を逸らすのかと思いきや、珍しく笑顔を消してる。
よほど嘘は吐いてないと思われたいのか、ついで頭を下げた。
「気付いても言わなかったのは、ごめんね」
「……これ、薬とか入ってるじゃねえか」
そうだよな。
あるよな。
オレも、うちの家族も薬にはほとんど世話になったことがないけど。
有るなら使わない手はないのに、わざわざしんどい方を選ぶって。
「どういうつもりだ」
弟妹の悪戯を叱るときみたいな、胸のつかえを無表情の裏に隠して問う。
ヒナは無邪気に答える。
「見つけちゃったら最後、もう君が離れていっちゃうかなって」
「オマエ、馬鹿だろ」
「そうかも」
──熱のせいかな。
とか言って、布団から上半身を出したまま渡した体温計で熱を測り出す。
馬鹿だよ、コイツ。
進学組で成績発表でも上位にいるヤツが、そんな理由で自分を蔑ろに出来るのか。
そんなことに付き合わされる身にもなれってんだ。
呆れて顔を逸らし、天上の隅と睨み合う。
「ありがとう」
その唐突な言葉に、鳩尾でわだかまってた感情の塊がスッと解けた。
なんて答えたらいいんだ。
舌の根にすら、返す言葉の気配がない。
「とりあえず何か食え」
「うん」
ピピ、という測定の音を聞いて、ヤツから手渡された体温計のちいさいパネルを見る。
熱は37度5分と、高めだ。
下がってこれなのか、上がってこれなのかは分からないが、ここから更に熱が上がっても良いことはない。
熱を計り終えたヒナは、布団の横に並べた中からぬるくなった餃子スープを選んだ。
「下の食堂で温め直してもらうか?」
「ううん、大丈夫」
ちょっとだけ生姜風味の香りを漂わせ、美人はちいさく啄むようにスープを啜る。
「ありがとう、美味しいよ」
また、言われる覚えのない言葉にオレは固まる。
やめてくれ。
元々、選べるほど候補がないんだ。
オレの言葉は。
わざわざ礼を言われるようなことはしてない。
その後のことは別として、誰も好き好んで体調を崩すわけじゃねえし。
コイツの言うことを聞かないものが、花粉症以外にもあったってことだ。
それにオレも、鞄の存在に気付けなかったしな。
餃子スープとヨーグルトを食べ終えたヒナは、一瞬だけ眉を顰め、薬を飲んで布団に潜った。
「勝手に良かったのかな」
オレに押しつけられた解熱剤の箱に、何か思うところがあるらしい。
考えてることは分かりすぎるが、この状況で使わないのも無理がある。
「まずは、ちゃんと熱を下げろ」
今さら保健医が戻ってくるとは思えないし、良し悪しを聞くために探しに行っても時間を無駄にするだけだ。
こうして用意だけはしてあるんだし、説明書もあるし、事後報告だけやっとけばいいだろ。
やっとしおらしく見えるコイツを余所に、部屋の時計を見上げる。
午後6時を回って、開け放した窓から入る風が肌寒い。
もうすぐ自由時間を楽しんだ連中が旅館に戻ってくる。
オレはいつまでこの部屋に縛られるんだろうな。
疲労の溜め息が畳の目に吸い込まれてった。
「疲れてるね」
「誰のせいだと思ってんだ」
「……修学旅行、楽しかったね」
「終わらせんな。まだ1日目の夕方だぞ」
何の問題も起こらなければ、この行事もあと2日は残ってる。
それなのに初日から、コイツと過ごすことになるなんてな。
オレは修学旅行を体験しにきただけで、ヤツの不調に付き合ってやるためじゃないんだが。
「隣に入る?」
「冗談言ってないで寝ろ」
オレの顔色を窺いつつ、布団の端を持ち上げる相手を睨む。
ヒナの為にと買ってきたプリンを、腹立ち紛れに掻っ攫ってやった。
◆◆◆
オレが中学生だった頃。
なんの知識もないまま手探りで弟妹の世話をしていた。
特に双子はよく熱を出すほうだった。
それも決まって、二人同時に。
いちばん下がひどく風邪を引いた時、オレに面倒ばかりかけられないと自分たちで看病すると言った親連中に、やり方を一から教えてやったこともある。
最初は面倒だった。
なんでオレがと思ってたかもしれない。
でも、オレしかいなかった。
そこにいたのが、オレだけだった。
だから色々やった。
もう慣れた。
世話するやつが一人増えたところで、今さら感情が動かねえくらいには。
自分以外の世話なんて、いつもしてる。
普段から弟妹で見慣れてるから、ヒナの行動も構ってほしい子どもみたいなもんだった。
……相手がコイツなのは、やっぱり腑に落ちねえけど。
オレの理屈もつゆ知らず、ヤツは安息しきってる。
もう30分くらい、静かで安定した寝息だ。
綺麗な弧を描く眉も、ひっそり閉じられた瞼も、まっすぐ伸びる鼻筋も。
苦渋に歪むことはない。
薄い唇はすこし開いてる。
緩んだ顔っつうのは、こういう表情を言うのかもな。
さっきみたいに魘されてる様子はない。
弟妹の時も思ったが、この瞬間がいちばん見応えがある。
本当に。
……なんでコイツは、ムカつくくらい美人なんだ。
喋らなければ、本当にただ顔のつくりが良いだけの、ただの同級生で。
オレにしつこく構ってくることがなければ、掃除当番が一緒になっても「がんばろうね」「そうだな」くらいの会話はしてやれたかもしれない。
転校初日に覚えた、あの強烈な印象を頭から消せなかったとしてもだ。




