26、慈悲に暇なし【修学旅行1日目・日中】
ソファまで戻ったところで、また美人の腕に服を掴まれる。
今度は、相手が誰かも関係なく縋ったような力だ。
目の前に立つのがオレだと知らないようだった。
どうしたもんかな。
必死に頭の裏まで考えを探ってると、ヒナが唐突に頭をあげた。
「ヒナ⁉︎」
「ヒナ……」
「ヒナっ」
取り巻きたちの挙動は重ならない。
こいつらは自分の言葉を届けるのに必死だったが、それでも不安に思わせてることを当の美人は感じ取ったか。
呼びかけられたヒナが、やつらに向かって上目遣いに微笑む。
「ごめん。少し休めば大丈夫だと思う」
「オレが部屋まで運ぶから、あんたらは他のやつらに、このこと伝えてきてくれよ」
他の、──ヒナを持て囃すことが大好きな連中にって意味で言ったが、渦中のやつらがそのことを察したかどうかは確かめようがないな。
外でおそらく人気者の誘い待ちをしてるだろう大勢は、取り巻きに任せるしかない。
今のオレに、そんなもんを相手してる余裕はない。
背負ったヒナは全体重をかけてきてるから、すげえ重いし。
近くにいた引率の教師は、その場でオレたちのクラス担任に連絡を取り始める。
集まってきた女中さん達にも事情を説明して、オレは先にこの美人を部屋へ運ぶことにした。
◆◆◆
修学旅行では、5、6人の大部屋だけじゃなく、誰かの体調不良に備えて余分に部屋を用意してある。
一人部屋にしてくれと女中さんをつかまえたら、そう言われて二階の廊下を案内された。
階段から二部屋も離れた室内は、今日はじめて人を入れたみたいに、シン、とした空気でオレたちを迎えた。
通された奥の部屋で慌てて敷かれた布団に、ヤツの火照った体をソッと下ろす。
背を支えてゆっくり寝かせてやると、ヤツのつるりとした丸い額には汗が滲んでた。
掛け布団を被せてやったところで、別の女中さんが水の入った桶とタオルを持ってきた。
水気を絞ったタオルで顔周りを拭いてると、体を横にした美人は微笑を浮かべてやがった。
なんだ、コイツ。
気色悪いもんを見た。
でも、こんな場所で声を荒げたくない。
出かかった言葉を飲み込んで顔を顰めると、背後で聞き慣れた吐息が聞こえた。
振り返れば、部屋の手前で控えてた女中さん達が恥ずかしげに身じろぎする。
見惚れてたことを隠せてると思ってるようだ。
こんなときでも、性悪美人は誰かを誑かしてる。
性別も年齢も関係なしだ。
たちが悪い。
いっそ知らぬ存ぜぬで、放置してやろうか。
内心迷ったが深いため息を一つ、目の前の空間に落とした。
にやける寸前で、頭を空っぽにして捻くれた考えを振り払う。
いつまでも居座りそうな女中さんを追っ払い、いつの間にか寝入ったヒナの顔を眺める。
あいつらも、コイツに取り入ろうとして目をギラギラさせてた。
こんな状態のときに任せても面倒事が増えるだけだろうな。
だからって、人気者とワンチャンスを狙ってるやつらもここには呼べない。
直で保健医を捕まえりゃ、オレがお役御免のワンチャンスを狙えるが。
逃げられるのか、これ。
この場面を見られた後だと、オレが病人の面倒を見る羽目にならないか。
あの保健医なら、やるぞ。
オレが保健室にいてもお構いなしで留守にするくらいだ。
馴染みの教師といい、おっさん店長といい、お互い利用しやすい人間になっちまったな。
店長からの頼みは、オレにとっても好都合だったりして理由があってのことだけど。
他二人の場合は楽をするためのお願いだから、やるやらないの遣り取りをするのも億劫だ。
教師のほうは平然とサボるし、似た雰囲気の保健医も同じこと言ってきそうだな。
そんなもんを相手にするのかと想像するだけで、面倒くさくて鬱屈した気持ちになる。
「……うっ──ん」
ヒナは眉間に皺を寄せて、唇を震わせてる。
今度は赤い顔をして、浮かぶ汗の粒も増えてきた。
しとどに濡れた毛先が耳に纏わり付いてる。
美人が魘されてやがる。
こうして弱ってる姿は、まあそれなりに見てられる。
コイツに大袈裟な好意を持ったやつらには、よほど好機に思われるだろうが。
「はあ……」
息抜きついでに、胡座から体育座りに姿勢を変える。
膝に乗せた両腕で顎を支えて、じっくり病人を観察する。
それにしても、厄介な連中が、ああも素直に言うことを聞いてくれるとはな。
人気者の隣に立つために好んで牽制するようなやつらだ。
自分が部屋に連れて行くだとか、世話をするだとか言い出しかねなかった。
諍いを止めるのは疲れるし、丁寧に宥めてやる義理もない。
誰がとか、どうでもいい。
早く横にさせて、存分に休ませてやることが大事なんだから。
あいつらの株を上げるために利用されたんじゃあ、そんなの道具扱いしてるのと同じだ。
オレが基本的に思うのは。
病人の世話は、真剣に心配できる相手がやったほうがいいってこと。
恩を売りたいとか、自分の印象を良くするための世話焼きなんて、誰が受けたいっつうんだよ。
そんなもん、ただ臭いだけだ。
鼻を摘まんでも臭ってくる。
腐った臭いがする。
でも今のコイツには、それを追い返す力がない。
だから、せめて……。
オレが普段の姿を知ってる、だらしなくて腑抜けた、気味の悪い欲を出さないようなやつが居たほうがいい。
オレがそう思ってても、きっとあの保健医はやらないだろうな。
まいったぜ、こりゃあ。
病人の世話なんて、傍に付きっきりだし寝不足にもなる。
3つ下の弟と、その年子で双子の弟妹が同時に風邪を引いたときに比べたら、たった一人の体調不良くらい大したことじゃない。
だけど、ヒナの周りに群れるやつらは厄介だ。
弟妹の時みたく、甘い考えではいられない。
いつ騒ぎにやってくるかと気を揉む時間は、正直つらい。
考えなしに首を突っ込むもんじゃねえな。
「……どうしろってんだよ」
「う……む、ん……」
また、魘されてる。
一体なにが、ヤツの夢で暴れてるんだ。
「……あ、うう──」
こんな苦しそうにしてても関係なしか。
コイツには、いないんだな。
無償の情をかけてはもらえないんだな。
心から身を案じてくれるやつはいないんだな。
今の姿は、誰にも見つけてはもらえないんだな。
可哀想だな。
可哀想だ。
ヒナは、自分が特別なことを知ってる。
特別視されてることも分かってる。
神様にも愛されてるようなヤツだ。
でも、愛はあっても、慈しみにはとことん嫌われてるのかもしれない。
寝返りを打つヒナの額からタオルが落ちる。
それを拾ってやると、タオルはとっくに熱を持ち乾いてた。
顔を拭いたあと新しく濡らしてから、まだ30分は経ってないはずだが。
傾けた額に手の甲を当て、熱さ具合を確かめる。
頬もだいぶ元の色に近付いてきた。
薄い桃色に戻った唇も、濡らしたタオルの端で拭いてやる。
だが寝苦しそうに身じろぎした姿は、まだ調子が良さそうには見えない。
修学旅行の一日目だってのに、ついてないやつだな。
べつに最期を意識してるわけじゃねえが、こんなヤツにだって物事を楽しむ権利くらいあるだろう。
だけど、この人気者がすこし動くだけで周りの視線は張り付いてくる。
いつも誰かの意識の真ん中に晒されてる。
そんなの、生きづらい。
有象無象に良いように思われようと、悪いように見られようともどうでもいい。
オレには何の影響もないし、いつの間にか気にならなくなった。
だからこそ、誰かの干渉には拒絶反応が出る。
特に体調を崩して、気怠かったり休みたいと思ってたりで余裕がないときは、誰も近寄ってくるなと顔を顰めて過ごしてる。
そういう考えが、ヒナに無いとは言えない。
持て囃してくるやつらに冷酷な顔をするコイツも、きっと似たようなもんだろう。
そう思っちまってるせいで、オレはこの部屋から動けないでいる。
「面倒なヤツだな」
手のかかる、うちの弟妹より厄介で……。
新しく濡らしたタオルを、汗の引いた額に置いてやる。
そこでうっかり可哀想だと呟きかけ、ふと異変に気付く。
嫌な予感を胸に視点を下げると、ヤツの口元は起きていた。
コイツ笑ってやがるぞ。
しかも、なんか嬉しそうだ。
とんでもねえやつだぜ。
熱に浮かされてるわけじゃねえのは確かで、開いた目はしっかりオレを見てる。
何も疚しいことはないが、ジッと見られ続けたら誰だって目のやり場に困るだろ。
居たたまれなくなったオレは、女中さんが置いていってくれた水枕をヤツの横顔に押しつけ、目を逸らさせる。
ヒナが自分で頭の下に水枕を敷いたところで、ようやく担任は駆けつけた。
その教師は焦った顔で、コイツの様子ばかり訊いてくる。
そりゃ病人だもんな。
不調を気に掛けるのも、お手のもんだろ。
だけど心配する口調は、あからさまに媚びてる。
受け持ちの生徒だからじゃない。
相手がこの美人だからだ。
まだ女中さんたちのほうが聞き分けは良かったぞ。
苛立って舌打ちするオレに、担任の教師は一瞬ビクッと肩を震わせて苦笑い。
なんで保健医が一緒じゃねえんだよ。
この教師ひとり居たって、どうせ碌に世話できねぇだろうが。
やれることもなく顔を右往左往させる担任に迫り、保健医に連絡するように言う。
役に立たない大人を部屋から追い出し、眠そうに瞬きするヒナの肩先をつついた。
「外で食いやすいもん買ってくる」
適当に大通りまで行けば、コンビニくらいあるだろ。
合図はしたとその場で立ち上がると、人気者がオレの靴下をつまんでくる。
「外の食べものより、君のつくったものが食べたい」
「無茶言うな」
ちゃっかり何を要求してんだ。
その布団引っぺがしてやろうか。
寝込んでようが、相手がコイツなら遠慮はしないぞ。
たとえ家の前で倒れてたって入れてなんかやらねえし、ここはオレの家でもないしな。
オレだけは、ヒナの策には引っ掛からない。
こんなヤツに絆されない。
人気者が良い思いをする代わりに、オレが嫌な思いをするなんて有り得ないだろ。
こっちに何の得があるってんだ。
そもそもヒナは、オレにとっては特別じゃない。
「今日くらいは、それ引っ込めろ」
「どれのこと?」
きゅるん、と音が鳴りそうな仔猫の眼で見上げてくる。
わざとらしい表情しやがって。
まさにその顔だよ。
それをやめろって言ってんだよ。
やっぱオレの見立てどおり、こいつは腹黒だ。
闇黒の性格をしてる。
敗北感を味わうのは惜しいが、先に顔を逸らしたのはオレのほう。
ヤツとこのまま視線を合わせてるのは、かなり危険かもしれなかった。
こめかみに痛いくらいの熱視線を感じて、ぞわぞわと産毛が逆立つ。
オレは絡みつく視線と手から逃れ、そそくさと夕陽が差し込む部屋から脱出した。




