25、暗雲のからだ【修学旅行1日目・真昼】
大通り沿いにある専用駐車場にバスを止め、傍らにある竹の林道を抜けていく。
奥へ進んでいった先にあるのが、オレらが泊まる旅館だ。
観光地として、写真に映えるスポットとして知る人ぞ知る有名な場所だと、しおりには書いてある。
今日の天気は曇り空だが、悪天候の薄暗さも気にせず周りはシャッター音を響かせてる。
観光地の写真に映えスポットを含んでたら、そりゃ陽気なやつらの話題も盛り上がるってもんだ。
オレは今日みたいな天気も嫌いじゃない。
雨が降ってりゃ寂寥感とか、そういう雰囲気は出るだろうし。
家の雨漏り管理も、今は頭の隅から追い出してる。
すっ飛んで行ける距離でもないから、オレがここで慌てても意味ないしな。
建物の前で出迎えた旅館のやつらは、みんな印象が良かった。
クラスの連中とかが浮かべる不自然な笑みじゃない。
一旦迎えたからには、全力でもてなして気に入ってもらおうとしてる笑顔だ。
歓迎する気しか態度に出てないところは、見ていて面白い。
昼過ぎの到着だったからか、これから旅館の食堂で昼飯が出ると聞いたオレの体は、途端にグウグウと苦しそうに鳴き出した。
他のやつらも同様に空腹を訴えはじめてる。
だけど一歩後ろに立つ美人だけは、ひとり澄まし顔で修学旅行のしおりを眺めてた。
廊下に並んできゃあきゃあと騒ぐ連中の横をすり抜け、旅館で割り当てられた部屋に入っていく。
畳敷きの部屋の奥、外窓に面した木板の廊下からは、旅館の庭を見下ろせるようになってる。
なんか艶艶しい黒の丸テーブルと、同系色の座椅子の後ろにちいさなスペースがあるのを見つけ、そこに遠慮無く自分の荷物を置く。
オレたちは5人部屋だ。
しおりに書かれた部屋割りによると、3つ借りた部屋のうち他2つは6人で使うらしい。そっちに混ざらなくて良かったと、心の底から思った。
荷物の上に家から着てきたジャケットを被せる。
午後の自由時間にすぐ出掛けられるよう、下にはあらかじめ動きやすい服を着てきた。
昼食に向かおうと廊下に出たところで、壁にもたれる美人と目が合う。
……オマエの泊まる部屋は階数が違うだろ。
男子と女子で階数が分けられてるから、みんなと部屋へ荷物を置きに行ったヤツがこんなに速く来られるとは思えない。
纏わり付いてた取り巻き連中はどこに置いてきたんだ。
「いい加減、付きまとうのはやめてくれ」
「帰り道はつけてないよ?」
──約束は破ってないでしょ、と凜々しい表情が言ってる。
ギリギリ、と奥歯が鳴る。
こめかみではピキッと血管が浮いてるかもしれない。
こんなことなら、プライベートな時間の邪魔をするなって言ってやるんだった。
誰かコイツに配慮ってやつを教えてやれ。
このまま良い気にさせとくのはダメだ。
誰よりも速くこの階に来たヒナは、睨むオレに微笑み返してくる。
企みを見透かせないよう気をつけてる笑みだ。
人気者を持て囃すやつらを片手間に騙す笑みだ。
こんな顔をする時の美人は、単純に不愉快だった。
昼飯を終えた班から順に、自由行動の許可が出た。
午後1時を回った食堂では、騒々しさの波が引いていく。
辺りがひっそりするなか、オレとヒナ、あと取り巻き3人がテーブルに残された。
食堂の出入り口で、教師のひとりが忙しなく腕時計を確認してる。
見張り番から解放されるのが待ち遠しいんだろ。
オレらの後に食堂に来た連中も、自分たちが最後と見るや慌てて飯を掻き込んでた。
辛うじてビリケツを免れることは出来たが、出遅れた原因はこの美人にある。
食堂に入る前からずっと、ヤツはオレのズボンを掴んでる。
ベルトを通す、あの部分だ。
死んだ祖父ちゃんのお古で、その指がとらえてる箇所しか穴紐が残ってないのに。
コイツ、わざとだ。
オレが一人で行動しはじめたら、姿を見失うと思ってんだ。
だからベルトの穴紐の無事を担保に、オレの行動を制御してえんだろ。
まあ、こっちも本気で姿を眩まそうと思ってるから、きめ細やかなこの手が邪魔なんだが。
夕食までは5時間と少し。
そのあいだに、この執念深い人気者を振り切れるかどうか。
たぶん、すぐ旅館に戻らなきゃいけねえ時間になるだろうな。
つまり、まったく自由じゃない。
取り巻きは絶対にヤツを責めない。
コイツが何をしても責めない。
悔しいが、それを覆す力なんて、オレは持っちゃいない。
旅館の受付カウンター前まで来ると、ヒナは両腕を伸ばしてきた。
オレの左腕を雁字搦めにして、逃げられないようにするつもりだ。
咄嗟に身を翻して、周到な美人を見下ろす。
容姿にばかり目がいく周りは気付かないだろうが、ヤツの表情はしてやったりって感じだ。
めちゃくちゃわざとらしい。
オレが性格悪いとかじゃなく、絶対に何か企んでるぞ。
コイツは。
「どうして逃げるの?」
「追われたら逃げるもんだろ」
「そんなことしてないよ」
「ん」
その一音に、オレは今の感情すべてを込める。
……こっちは怒鳴りたいのを我慢してんだ。
オレが指差した先を見ても、ヤツは何事もないと澄ましてやがる。
「それは……繊維が解れてたから、取ってあげようと思って」
「嘘だな」
オレが今着てんのは、ナイロン製のブルゾンだぜ。
その手には乗るかよ。
だいたい、手がもう拘束具を成そうとしてたんだよ。
意図を見抜かれたことが相当悔しいのか、ヒナは両手で作りかけた輪っかを背に隠し、数秒、目を伏せる。
急に黙り込んだ美人を、取り巻きは目敏く囲う。
「外いこうぜ、ヒナ」
「さっきの場所で写真……ヒナ?」
「ねえ、大丈夫?」
気遣うように手を添える同級生に、ヤツは顔をあげてニッコリ笑う。
それだけで周りに集まったやつらは、クラッと惚けたようだった。
「ううん、なんでもない。行こっか」
明るい声だ。
微笑まれたままの言葉を聞き入れ、やつらは人気者を連れて外に行こうとする。
誰も、ヒナの違和感には気付いてない。
いつものコイツなら、自分の微かな変化を他のやつに見せたりしない。
わざと気付かせることはするし、その餌食になってるのはオレだが。
取り巻きや、持て囃してくる連中なんかに気を遣わせてやるような隙のあるやつじゃない。
オレは黙ってグループの後ろに付き、ツルッとゆで卵肌の顔をしばらく観察する。
揃って玄関を抜けていき、外の涼しい風に充てられたときだ。
分かった。
オレが何で、違和感を覚えたか。
顔が、異様に白い。
ゆで卵の白身より白く、透けて見える。
コイツの肌は日焼けしにくいし、普段から真っ白だけど、そういう白さじゃない。
青白い。
血の気がないんだ。
頬を染めてる姿なんて見たことないが、肌の赤みが失われてることくらいは分かる。
そう思って様子を見れば、他の兆しも目に留まる。
ふっくらもっちりだった下唇は乾いて、目元は少し潤んでる気がする。
さり気なさを装って振り返った顔に、はっきり書いてある。
元気じゃないって。
でも、取り巻き達の目は節穴だった。
いつもの、見せるための明るさがないヒナを、ヤツらは心のなかで愛らしいと大喜びしてるに決まってる。
実際、弱ってるコイツに、庇護欲を掻き立てられてるようだった。
右では食べ歩きしようと言いだし、左では気分転換できるような雑貨店を勧め、人気者を散策に誘ってる。
楽しめる外出にしようと意気込んでるのか。
ただ、そのすべてが空振りだ。
まじで、コイツら無いわ。
「おい。こっち来い」
「わっ……なに⁉︎」
外の小路に向かっていた熱い体を、玄関まで引き戻してやる。
喧しい冷やかしは、後ろに置いてきた。
強引に掴まれた腕が痛むのか、旅館のロビーで離れた美人は顔をかすかに顰めた。
頭や顔に籠もる熱、体の怠さもあるかもしれない。
コイツが調子を崩してるなんて、誰も想像すらしてないんだろうな。
傍らにいるのに、誰も見てなかったんだな。
保健医を探そうと、ロビーのソファにヤツを座らせる。
だが辺りを窺ってる最中、コイツはオレの服を掴み、背もたれに身を預けて脱力する。
「なんともないよ。三半規管が弱いだけ」
俯いてたって、隠し切れてない。
口から零れる愛想笑いは、ぜんぜん平気そうじゃない。
底意地の悪さも、悪戯っぽさも、ハハッともらした声には滲まない。
自分を保てなくなった様を、真綿を掴むみたいにヤツの手を退けながら眺める。
ヒナのなかで悪魔のような天使が、天使の顔した悪魔を負かした瞬間だった。
相手はついにカクン、と顔を傾ける。
肩で息をするように揺れてる。
新幹線酔いで、ここまでグッタリするやつは初めて見た。
ここまでになっちまったら、性悪美人も碌に嘘を使えねえらしい。
……しょうがねえな。
旅館の入り口を見る。
さっきまで一緒だったやつらは、オレたちのことを様子見してる。
気にはなるが、駆け寄ってくるつもりはないらしい。
せっかくの自由時間は惜しいが、人気者を伴うことは諦めてないってか。
鬱陶しいことになってきたな。
周りに視線を滑らせ、受付にいる隣のクラス担任と目が合う。
向こうは外出した生徒の人数を確認した後なのか、オレを見つけて顔を顰めやがった。
が、目が合ったことに気付くと焦ったように苦い顔をする。
どう転んでも、都合の良さそうな相手には違いない。
一応、引率だろうしな。
「……。やめろよ」
ソファから離れ損なった体は、雪みたいに白い腕に繋がれてた。
顔面蒼白ながら、見上げてくる眼差しが活き活きしてる。
コイツ、まだオレに嫌がらせできるのか。
縋ってくる動きから逃れようと、必死に藻掻く。
だけど聞こえるのは、人が集まってくる騒々しさだけ。
穏やかな関係には見えない学生二人に、廊下を行き来してた浴衣姿の女中さん達まで距離を詰めてきてる。
大人が来るってんで、取り巻きたちも揃ってこっちに群がってきそうだ。
「おい、離せって」
無理に振り払ってやると、オレに掴まって中腰になってたヒナが椅子に倒れ込む。
周囲から感じる、驚愕と困惑の気配。
さすがにやり過ぎたか。
問い詰める視線に思考を巡らせてみたが、何を言っても誤解を与えそうだな。
「とりあえず、ここで待ってろ。保健医呼んでくるから」
体調の悪い美人に言って、それから怪訝な表情の傍観者たちの輪を抜け出す。
自分で立つこともできないコイツを抱えて、どこにいるかも分からない保健医を探し回っても疲れるだけだ。
どうにか早めに、人に預けてしまいたいが……。
「ねえ、待って」
今にも消え入りそうな、擦りきれた、か細い声だった。
腹の中に真っ黒なもんを抱えてるやつから出る声じゃない。
ちゃんと弱々しい声に、オレは迷い、奥歯を噛みしめて輪の中心に向かった。




