24、旅は眠り【修学旅行1日目・朝朗】
家の庭を照らしはじめた陽光が、若干の湿り気を帯びてる朝。
おなじ陸の上、だけど遠い南の方では梅雨前線が見られると、ラジオのお姉さんが言った。
新幹線の窓越しに、行き交う人の流れを目で追う。
どれだけ見つめても、皿の上を滑る胡麻だ。
でも車内から意識を逸らすには、これくらい無感動なほうが気も紛れる。
オレはまだ乗客の疎らな新幹線内で、修学旅行について話すホームルームを無碍にしたことを悔いた。
班も、新幹線やバス移動なんかの席順も、ぜんぶ決まってることだ。
オレ以外はみんな、だいたい希望通りの相手と組んでる。
何がいちばんつらいって、居眠り中の同級生の希望を誰も確かめなかった──……なんてことじゃない。
そんなことはどうでもいい。
オレが嘆く問題は、いつだってアイツが原因なんだ。
窓側の席で内心唸ってると、周囲の嬉々とした挨拶を受けながら人気者はやってきた。
「となり、座るね」
指先で何度も窓枠を小突き、さらに顔を逸らす。
できるだけ視界に入れたくはないが、窓にはきっちりその整った造詣がある。
オレが無言でいるのを了承と捉え、ヒナは窓ガラスに上機嫌な笑みを映して席に座った。
「ここじゃなくてもいいだろ」
「ホームルームで寝てる人に文句言われたくないなあ」
こいつ……。
斜め前の席なのに、なんでオレが熟睡してたこと知ってんだよ。
「さいしょは我慢してたんだ」
「開始早々、あくびばっかりしてたもんね」
見てたのか。
見てたんだな。
つっけんどんに吐き捨てたものの、そのあと返ってきた言葉に意欲を削がれる。
事実だから反論はしないが、コイツの言うことに肯いてやる気になれない。
まあ、真面目に参加するつもりはこれからもないけど。
あの日は、10分経っても話が纏まらないから、だんだん飽きてきて途中で席を立とうとしたんだ。
だけど周りを窺った瞬間、話したことのある女子と目が合っちまったんだよ。
だから立ち上がらずニヤッと笑い返して、そのまま退屈すぎて寝ちまったんだが。
そろそろ出発が近いのか、座席につく同級生たちの落ち着きのない声に頭痛がする。
おいおい。
誰も声を掛けてこないのか。
行きでこの状況ってことは、つまり帰りもこの席に座ることになるんだぞ。
そんなのオレが可哀想だろ。
帰りも席を交換しやすい空気を、今この瞬間につくっておいてくれないか。
さっきだってトイレに立っただけで、コイツの信者がひそひそと話してるところを見てんだ。
何を話し合ってたのか、オレでなくても予想がつくってもんだぜ。
誰が、誰と、席の交換をするのか。
ヒナの隣席には、二つの候補がある。
服が擦れ合うほうの隣か、通路を挟んでるほうの隣か。
話が前向きに進めば、何人かは、オレに席を換わってくれと言ってくるはずだ。
正直どいつでもいい。
早くしてくれ。車両が動き出す前に。
「だいじょうぶ?」
「ああ?」
振り向かず粗雑に声を返す。
よく話しかけてこられるな、コイツ。
今にも一睨みで人を射抜きそうな目つきのオレと会話しようなんて、オマエみたいに無神経なやつくらいだよ。
「今日も機嫌が悪そうだね」
「隣にいるやつのせいでな」
「またまたあ~」
なんだその返しは。
こっちは冗談で言ってるわけじゃねえんだよ。
本気で嫌がってもこの調子だ。
うんざりのし過ぎで疲労感まである。
ああ。本当に誰でもいい。
たった一言でいいんだ。
積極的に声をあげてくれ。
この車両は指定席だから、ただ場所を換わればいってもんじゃない。
教師に報せるためにも、チケットの交換をしなくちゃならない。
そして、オレの手にはチケットが握られてる。
こっちは準備万端だ。
声を掛けてきた瞬間、そいつに無理やり渡してやる。
いつでも走って逃げる気でいるのに、まったく声が掛からない。
やきもきしてるうちに、新幹線は次の駅に向けて走り出した。
「修学旅行って楽しそうだよね」
「黙ってろ」
「まだ怒ってるの?」
そうだよ、悪いかよ。
駅前で集合した時から、オレは苛ついてる。
渡された旅のしおりも、破いて駅のくずかごに突っ込んでやりたかった。
内容を見なくても、どんなことが書かれてるか分かる。
周りの反応で一目瞭然だった。
そもそも一度みんなで集合っていうのが納得いかない。
なんで現地集合じゃないんだ。
国内なんだから、一人でも行けるだろ。
新幹線だって一人で乗れるだろ。
オレは短期のアルバイトで溜めた貯金があるし、旅費は店長がカンパしてくれたし、往復チケット代は昔馴染みの教師が全額負担してやる、つって恩を売ってきたから自分の出費はほとんど無いし。
学校側に先導してもらう理由がない。
肘掛けに頬杖をついて目を瞑ってたら、通路側で人の気配がした。
「あの、その席……」
「あ、ごめんねえ。席換われそうにないんだ~」
「そ……だよね、こっちこそごめんね。じゃあね」
「うん。バイバイ」
あっという間だった。
オレが気付いて顔を上げる頃には、訪れたチャンスは踵を返してた。
「なんで、オマエが代わりに断るんだよ」
「断る手間が省けたね」
声を掛けてきた相手を取っ捕まえても良かったが、コイツの様子を見るに同意を得なけりゃ逃がしてもらえそうにない。
というか、無理を通してどこまでも追いかけてきそうだ。
そうして席の交換を申し込まれた誰かは、ヒナに笑いかけられたら「いいよ」と即答するだろうしな。
ヤツに話しかけられただけで、あっさりと冷静さを失うやつばっかだ。
誰も、この腹黒美人を説き伏せることができない。
コイツが先に断ったって、オレが移動したって状況は変わらない。
それじゃあ意味がない。
隣には、機嫌良く笑う顔がある。
オレの苦悩は、あと何分続くんだろうな。
景色の残像しか見せない新幹線の窓を睨みつけ、大袈裟に溜め息を吐いた。
「ちょん、ちょん」
肘置きにある腕が、異変に反応してピクリと動く。
ぼやっとしながら視線をやると、しなやかな指先がオレの腕をつついてた。
「君って、どこでも眠れるんだね」
人の寝起きをからかう前につつくのをやめろ。
大きなあくびを繰り返すオレが不思議なのか、細く伸びる指はまだ服越しに肌を押してくる。
身を捻って寝返りを打てば、ヤツは執拗さを消した。
オレも暢気だな。
うっかり寝ちまうなんて。
新幹線のアナウンスで周りから遅れて、目的地に近付いてることを知る。
3時間くらいか。
いったい何人のやつが席の交換を申し出てきたのかと、通路側の座席を陣取る美人の様子を窓越しに窺う。
オレはジャケットを頭から被っていたが、ヒナは背もたれに身を預けこそすれ、目は全力で開いてるようだった。
窓側にいるオレにしか見えない角度で、腹に含みがありそうな半笑いを浮かべてる。
よほど機嫌が麗しくないらしい。
コイツにとって良くないこと……つまり、オレにとってそこまで悪くねえことがそばを掠めたってわけか。
オレはいくつチャンスを逃したんだろうな。
性格の悪い美人が隣にいたんじゃ、誰も再チャレンジはしたくないだろうし。
小学校で運は尽きたと思ったが、さらに底があったらしい。
やけにオレの周りだけ静かなせいだ。
心地よく眠れはしたが、単独行動と平穏は手を離れてった気がする。
オレだけ下車しないで別場所に旅行とかしたら怒られっかな。
怒られるよな。
誰よりも早く起きて、誰よりも早く寝入るか。
朝風呂の貸し切りに期待するぜ。
自分だけ修学旅行の目的を改め、わらわらと新幹線を降りる同級生に混じってホームに足をつく。
ここは、地元とは違う空気が流れてるみたいだ。
オレは肺に溜まった不快感を吐ききって、こっそりと食うように新しい空気を吸った。




