23、時間は美人を選ぶ
春の文化祭を終えた翌週。
やる気のある3年生だけで続けた3日間は、日が経つごとにひっそり静かに騒々しさを収束させていった。
行事に参加した人数は知らない。
文化祭2日目の朝、校門にもたれて眠そうにしてる白衣の男とすれ違ったときは、下の学年どころか3年で客気分のやつすら見てないって聞いた。
ああ、そうだろうな。
オレは馴染みの教師にそう返した。
文化祭も、準備期間中も、あの美人が来た様子はない。
立ってるだけで話題になるヤツだ。
だれの話の的にもならなかったってんなら、アイツは学校を休んでたんだろ。
行事がいまいち盛り上がらなかったのも、学校一の人気者が来てないことをどっかの取り巻きが広めたせいだとオレは思ってる。
校内はそれだけで活気を失うから、あの煩わしい美人が来てるかどうか判断はしやすかった。
そうなるくらいには存在感のあるヤツだってことは、オレも認めてる。
安息できる範囲内に入られるのが、心の底から嫌なだけで。
進級してからの授業風景は、卒業を控えた学年らしくなってきてる。
頻度の増えたテストとか、木曜に変わった週一の体育がそうだ。
水曜は丸一日使って、進学するやつを主軸に日程が組まれるようになった。
別の曜日でも進学組と教室が分かれる時間があって、そのあいだオレや、他に就職を目指してるやつらは自分のクラスにいる。
自習してたり、情報誌を片手に説明会に行く予定を立てたりと、目的の有る無しでその過ごし方は様々だ。
因みにオレのテストの点数は下の中。
まだ悲観するレベルじゃねえって担任は言ってた。
頭のいいやつらは揃って教室を移動する。
違う教室で、面接やら進学先に出す作文やらの講習を受けるらしい。
物好きは一日中、目指す大学の昨年模試で受験対策することもあるって話だ。
そうしてクラスの半数ほどがいなくなる空間は、深夜前のコンビニくらいおとなしい。
時々、仲間内で笑ってるところもあるが、声量は控えめだからオレは無視してる。
過ごしやすくていい。
逆に廊下を騒がしくしやがるのは、教室を移動するやつらのほう。
そっちには、ヒナがいる。
頭が良い連中のど真ん中だ。
アイツはどこにいても持て囃されるが、見た目だけで存在感を出してるやつじゃない。
ちゃんと頭も良いらしい。
誰だったか、そう廊下で話してたのを聞いた。
クラスの進学連中は、ヒナと同じ教室にいられることがよほど誇らしいみたいだが。
なるほど。
むかつくぜ。
こういうところが、オレは気に食わないんだ。
なにもかも、アイツのために世界が動くし、社会がまわってる。
そう勘違いしてるのは、ヒナじゃない。
美人の周りに群がる、人気者を好むやつらだ。
そいつらが懸命に取り入ろうとする当人に、追い払うそぶりは見られないけど。
最近は、その美人の姿をあまり見ない。
オレがわざと無視してるとか、存在が分からなくなるくらい心を無にしてるとかでもなく、ヤツが斜め前の席にいることが少ないんだ。
本当だぜ。
机に向かって、板書を写して、頭に知識を入れるふりをしてる。
昼には飯を食い、そのあとの授業は教科書で顔を隠して昼寝して、それから家に帰る。
オレの日常はこっち。
落ち着いて過ごせる、いつもどおりの時間は辛うじて残されてる。
ヒナが近くにいないことだって、オレの生活のうちだ。
でも、ヤツの取り巻きは無神経に声をかけてくる。
アイツが一日をどんなふうに過ごすのか、朝のホームルームで恐々と訊いてくる。
表情から、醸し出される雰囲気から、漂う空気から。
クラス内での同級生たちの様子は、かなり変わった。
あの美人に左右されてる。
周りも振り回されたがってる。
それくらい不自由な空間だってことは、オレみたいなやつでも分かる。
だけど、だからってオレを媒介にするなよ。
オレは無関係だし、無関心でいる。
何も知るつもりはないし、何も確かめるつもりはない。
性悪の行動なんてどうでもいいし、知ってるわけもないんだ。
ていうか知ってたほうが気持ち悪いだろ。
そういうわけで学校一の人気者のことを聞いてくる相手は、いつも一睨みするか手で追っ払ってる。
怒鳴らないだけ良いだろ。
オレも随分と気が長くなったもんだ。
いまさらだが、ヒナの一日なんてみんな知ってる。
授業を受ける教室が違うから、こっちのクラスにいる時間が少ない。
そんな、誰にでも分かるようなことを、聞いてくるやつ全員にわざわざ答えてやるのは億劫だった。
特別授業で離れても、ヒナは約束を守り続けてる。
底意地が悪くても、進学を目指すことには真剣らしい。
放課後もひとり残って、図書室で勉強してるという。
下校に誘いづらくなったと、取り巻きは昇降口で嘆いてた。
賢いやつの考えることなんて、オレみたいな馬鹿にはよく分からねえけど。
あんなヤツでもしっかり進学するつもりなのは、ちょっと感心した。
だけど、不思議だ。
ひとりだけ真剣なせいで、異質に見える。
進学組で同じ授業を受けてるはずの腹黒美人と、ヤツの取り巻きとでは、動いてる時間がまったく違う。
アイツだけ。
ヒナだけ、時間が動いてる感じがする。
いつも変化のなかにいて、いつも非日常のなかを進んでる。
別々の世界で生きてるみたいだ。
オレはもともと、ヤツとは別の世界で生きてるようなもんだが。
あの人気者が持つ時間と比べたら、それ以外の時間は等しく日常だ。
こっち側じゃあ変化は望まれない。
慣れ親しんだ生活を崩すやつは疎まれる。
オレだって、オレが許容できる変化はそんなに多くない。
だがアイツは違う。
自分の環境の変化を、腕を広げて迎えようとしてる。
ちゃんと、これからを生きるために。
ヤツが纏う空気の前では、他人は蚊帳の外だ。
周囲の視線を独り占めにするヒナだけが、自分の時間を主張しても快く許される。
つまり誰も、安易には近付けない。
周りの誰も、アイツには近寄れない。
そのせいで校内のそこかしこに、澱んだ表情がわだかまってる。
階段脇で。廊下の端で。トイレの前で。校門の横で。
話しかけたいけど……っていう暗い目がたくさんある。
とうぜん、そんな泥水みてえな空気なんか旨くも甘くもない。
……つらい。
オレとしては、まあ最悪な状況ってわけじゃないけど。
ヒナに労力を割かれなくなったぶん、サボりたいのだって我慢できてるし。
授業が分かれてる間はまるっと居ない。
水曜なんて、一日ずっと顔を合わせなくていい。
だからこそ、より際立つもんで。
まるで砂糖を舐めたあとの、生の苦瓜みたいな。
自分の体がなかなか受け付けようとしないそれは、解れないし消せない。
制服の胸ポケットに突っ込んだまま、歪さに新しい歪みを重ねていくことしかできない。
もう、そろそろ飽きて捨ててもいいと頭では分かってるのにな。
笑えるぜ……──。
◆◆◆
息切れしそうな空気が勝手に裂けて霧散するわけもなく、梅雨入り前の6月初めにある修学旅行に向けて、夕方のホームルームが行われた。
5月も終わりかけの天気は、やけに機嫌がいい。
日中の日照りで窓枠に熱が残ってる。
外の木が繁ってなかったら、今頃オレは自分の机と共に干物だ。
階数が上がったせいで、日当たりが良くなりすぎてる。
嫌な席になっちまった。
ホームルームも面倒だ。
オレは積極的にサボろうとしたんだが、クラスの女子に止められた。
文化祭の話をした相手なのもあって、いつもの無視ができなかった。
学校行事に真面目に取り組まなくていいところを気に入ってるっつうのに。
よりによって、うるさい時間に残っちまうなんて。
調子づいて賑やかになる連中が、この教室には多い。
ヒナの取り巻きが率先して盛り上がってるせいで、余計に収拾が付かない。
前から、横から、色んな声が飛び交う。
どこに行くだとか、誰と一緒に行動するだとか、宿泊先では何をするだとか。
みんなして大声で話してる。
ほら見てみろ、おまえら。
クラス委員……じゃなくて担任が困ってるな。
今なら、誰にも気付かれることなく下校できそうだ。
こっそり抜け出しても、この騒がしさで隠れる気がする。
そんで、誰かが代わりに纏めてくれ。
この荒くれ者たちを。
オレは止めない。卑屈で根暗なオレが、陽気で脳天気なやつらに何が出来るっていうんだ。
そもそもオレは面倒も厄介事も、目立つことも群れることも心底嫌いなんだ。




