21、視界も胸も記憶も
「マトメさん?」
体育祭の活気が抜け、10日間だけある学業専念期間。
勝ったチームの興奮も、負けたチームの落胆も、すっかりどっかにいっちまった。
勉強疲れで騒々しさの薄い休み時間。廊下の窓枠にかけた腕を脇に下ろす。
煩わしい気持ちで振り返ると、オレより背のちいさい相手はビクッと肩を震わせた。
「あ、ごめんなさい。みんな、そう呼んでるから……」
睨んだ覚えはないが、鏡のなかのオレは刺すような目つきをしてるから、謝られても不自然とは思わないけど。
まあ名前と何の繋がりもない『マジメ』なんて呼ばれてたら、それこそ無視してたな。
ジロリとオレが見下ろせば、話しかけてきたその女子は視線を逸らす。
「……なんだ?」
「あの、今度の文化祭のことで聞きたくて。わたし、今年の実行委員なの」
オレの影にいる相手は、チロチロと目を泳がせながらも言う。
そんなものを聞かれても、オレが教えられることなんてたかが知れてる。
「……なにを知りたいんだ?」
窓辺にもたれ返事を待つと、相手は淹れたての熱いコーヒーを注意深く飲んだあとのような、すこしホッとした顔をした。
文化祭の実行委員が決まったのは、昨日の放課後のこと。
もう3日もすれば、文化祭準備が始まる。
あんたも面倒な役目を引き受けちまったな。
目の前の女子に同情を覚え、訊かれたことは出来るだけ全部答えてやろうと思った。
彼女の質問は、比較的簡単な内容だった。
人の話をあまり聞いてないオレでも、ある程度は覚えていることを話しただけで、真剣にメモを取って納得するみたいに頷いてた。
色々と答えてるうちに、視線も合うようになっていって。
オレに怯んでたはずだが、いつのまにかホットケーキを前にした邪気のない笑みがある。
「ありがとう。参考にするね」
「いや、ああ、まあ……」
意外な反応をもらい返す言葉を失うオレに、彼女がフフッと声をもらす。
「マトメさんって、意外と話しやすいんだね」
訳の分からないことを言って微笑む女子は、じゃあね、と手を振って目の前の教室に戻っていった。
どうやら同じクラスだったらしい。
まったく、なんだってんだ。
色んなやつに話しかけられる。最近は特に。
卒業する年だから感傷にでも浸って勘違いしてんのか、もしくは最初で最後とばかりにオレをからかいに来たのかとも思ったが、どうもそういう感じはない。
なんつうか、やっぱり声をかけられる回数が違う。
今年は人数も多いし、一回の会話で交わすやりとりも増えた。
たぶん、いや絶対ヒナのせいだ。
あの意地悪な美人や、その取り巻きに巻き込まれるせいで、クラスのなかだけでなく他クラスや他の学年からもよく話しかけられるようになった。
とりあえず隣にヒナがいれば話しかけてもいい、みたいな流れから、今度は、とりあえず物腰を低くしてれば話しかけてもいい、みたいに考えてる節がある。
同級生なんかの態度が、そう感じる。
こうなるから、学校の連中と絡みたくなかったんだ。
ほんと、まじで面倒くさい。
せっかく、端から旧知の仲で纏まりができてそうな高校をわざわざ選んだってのに。
隣街に来てまで、どっかの輪に加わる気はない。
でもヒナの存在で、コイツという共通点ができたことで、やつらは同じもの感じてると思い込んでるらしい。
ていうか、そんなことで仲間意識が芽生えるとかチョロすぎるだろ。
もっと警戒心を持て。
他は知らないが、オレは簡単に見放すぞ。
ヒナの前で霞んでるが、オレだって性格は悪いほうなんだ。
どうでもいいやつを相手に何時間も自分を費やすほど、人間出来てないんでな。
3限目の始業チャイムが鳴り、目の前の教室にズンズン入っていく。
窓際の自分の席に向かうと、前席につよく見覚えのある、見たくなかった姿がある。
「なんで、そこにいる」
「君のいる場所だから」
それを答えにしていいのか。
眉を顰めて睨むと、ヤツは微笑み返してくる。
見せつけるように軽蔑の表情をしたつもりだが、こんな相手に効果の有り無しを問うのは時間の無駄ってやつだ。
腹の黒い美人は約束どおり、帰り道をつけてこない。
学校にいるあいだも、避けて動けば避けられる程度には、顔を合わせる頻度も減った。
だけど、姿が視界に入ることだけはどうしようもねえ。
毎日見る羽目に遭ってる。
強制的に。
クラスが同じってことは、そういうことだ。
だからオレは避ける。
向こうに見つかるぶんには、もう何も言いたくねえ。
コイツが自分から動くってんなら、それを誰かが阻むことはない。
ヒナを特別視してるやつらには、そうする理由がない。
オレだって止めるのは無理だ。
弟妹たちのギャン啼きより慣れ親しんだ諦め思考を取り出す。
空の果てを探すような、どこか遠いところへ視線と意識を向けると、ゴキさんも驚いて飛び方を思い出すくらいの衝撃的に美麗な顔面が視界に飛び込んでくる。
「さっき女の子と話してたけど、何だったの?」
「……なんだっていいだろ」
「良くないよ。教えてよ」
「おまえには関係ないことだ」
「関係ならあるよ」
「どこに関係があるってんだ」
「嫌だから」
「オレは目の前にいるやつと顔を付き合わせるのが嫌だ」
一息に言い捨て、顔を背ける。
グラウンドに植えられた木を数えていると、ヒナの顔がオレの視線の先に追いついてくる。
席と窓のあいだに身を入れた美人は、そのまま笑みを浮かべた。
人のいい笑みだ。
誰もが好いちまう笑みだ。
でも、オレはその笑い方が嫌いだ。
背後がちいさくざわめき、ヒナの顔からスッと笑みが消える。
性格の悪いコイツの微笑みは、人の胸を穿つ。
芯の底、根っこを掴まれたら最期。
ヒナの記憶は二度と消えない。
その美人の幻影を脳裏に、やつらはこの先の日常で美人のいない時間を過ごし生きてく。
まさに、一生ものだ。
ここには可哀想なやつしかいないのか。
「ほんと、賑やかだよね」
「ああ。なんでだろうな」
今だけはヒナと一緒に、クラスの連中を無視することにした。
オレの後ろで何してんだって感じだが。
「とても楽しい学校だね」
「オレは楽しくねえがな」
「そうなの、いつから?」
「妙だが、去年からだな」
「それは、ついてないね」
「ああ。ついてねえよな」
まったく、ほんとうに。
オレはなんて恵まれない境遇にいるんだ。
シッシ、と手で追い払うと、ちょうど古文の教師が入ってくる。
ヒナはふて腐れた様子もなく、おとなしく自分の席に戻っていった。




