20、卑屈な青は眩しい
──……気付くと、表側の歓声は聞こえなくなってた。
時間は分からねえけど、オレの体に差してた太陽が、今は旧校舎の上で半分隠れてる。
昼を過ぎたんだ。
久々に心ゆくまでうたた寝できたけど、すっかり建物の影になったせいでちょっと肌寒い。
学校の敷地内全体に響く放送に耳を澄ませる。
身震いしながらゆったり起き上がると、冷えて固まった体の痛みに思わず顔を顰めた。
行事に戻る気はねえけど、できれば温もりが欲しい。
昼飯も持ってきてることだし、ちょっと移動するか。
ここから少し南に行けば、誰にも見つからない日向スポットがある。
そこでなら、夕方まで昼寝を続けられそうだ。
オレはずっと制服のままだから、みんなが体操着から着替えてるあいだに帰ったっていいし。
静かで気に入ってる裏門も近い。
五分ほど歩いて旧校舎を回り込み、薄暗い裏門を通り過ぎる。
主要道路の沿道と校舎から隠されたそこは低い植木が占め、それらに囲まれた奥に何故か拓けた場所がある。
こんな緑ですっきりした気分になれる景色のプライベートな庭っぽいところを見つけて、陽気で暢気などっかの脳天気なやつが放っておくわけもなく。
かといって他の誰かが使ってるのも、話題にしてるのも見たことがない。
一昨年の春に見つけてからは、オレ以外に知らないはずだ。
ふさふさしたグリーンシートに、鞄から取り出した弁当を広げる。
昨日の夕飯の残りだ。
生姜焼きは美味い。こんにゃくといんげん豆の、だけど。
あとは野蒜と蕗のとうの和え物。細く刻んだ紫蘇の香りもいい。
野草が取れる庭で良かった。
草は、オレの家では主食だ。
それから最後に、フライパンで焼いたパンの耳に箸を伸ばす。
オレの好物。食後のデザート。
腹を満たし、弁当を片付け、お茶で一服して寝転ぶ。
疎らな長さの芝生に頭を直置きして、音を拾わない空に微睡む。
昼はいい。
特に学校行事がある日は、みんな本校舎やクラスの仲間から離れようとはしない。オレがこうして遠くにいるだけで、ちゃんと騒々しさから解放される。
今日の夜ご飯は何をつくろうか。
そんなことを考えながら、風の気持ちよさと瞼の重さに抗えずにいると。
──ガサ、と足元で植木が揺れた。
人が一人通れるかどうかくらいの狭い隙間から、美の塊がヌッと出てくる。
二人座ってやっとの広さしかない場所に、ヤツは不躾にも踏み入った。
寝転ぶオレを見ながら突っ立つヒナは、心地良い陽光を独り占めしてるみたいだ。太陽に裏切られたオレは、降りそそぐ陽射しを受ける姿に目を細める。
あまりにも眩い。眩しくてたまらない。
影欲しさに目を閉じたくて、でも目を離せなくて。
息が詰まった。
口の中がカラカラに乾いて、地面に置いた手からはジットリと汗が噴く。
体温がおかしい。
一瞬だけ吹き抜けた風に寒いと思ったり、涼しいと感じたり。
これは、嫌だな。
本当に面倒すぎる。
オレが見つけた日向スポットは、今この瞬間から、オレの場所じゃなくなった。
なんで。
ここにいる……。
「やっぱりね」
と、ヒナの眼差しに捕まる。
「見つけた」
ヤツが、ニッコリ笑う。
ああ……気に入らない空だ。
青くて、青が濃くて、広い空からは光が降ってくる。
それでもオレは、今の空は嫌いだ。
目の前の美人だけを意識したように、温かい光は落ちてきてる。
だから嫌いだ。
植木の陰で横になるオレは、日の当たらない自分を悲観した。
無性に、無気力になる。
とうにマスクも外したヒナを、溜め息ついでに視界から外す。
コイツの花粉シーズンは、もう終わったらしい。
腹黒美人の片手にある、体育祭の競技リストを睨み付けた。
「オレは参加しねぇぞ」
「午後の徒競走は出ようよ」
「どこの誰がオレを候補にしたんだよ」
「だって君、歩くの速いでしょ」
なんで知ってんだ。
ヤツには走って逃げるところしか見せてないと思うが。
オレの顰めっ面を興味深そうに眺め、相手はリストの紙と一緒に後ろ手を組む。
「そのあとの綱引きは、休んでいられるんだから」
「あのむさ苦しいやつらの横に並んで、スタートの声を聞いて早歩きするなんて嫌に決まってるだろ」
「なら、一人でコースを回る?」
日々を目立たないよう生きてんのに、なんでわざわざ注目されるようなことをしなきゃいけないんだ。
どう考えても一番視線を浴びずに済む方法は、まず参加しない、だろうが。
「高校生最後の体育祭だよ?」
「最後かどうかなんて、オレには関係ねぇよ」
一年の時も、高校生最初の体育祭だから張り切って、とか言ってるやつを見たぞ。オレは。
二年の時ですら、いちばん遊べる年だから盛り上がって、なんて周りに言って回ってるやつがいた。
そんな騒がしいやつらに、教室の隅で思った。
最初とか中間とか最後とか。オマエらのピークは一体いつなんだ。
年中お祭り騒ぎでいるやつらでも、落ち着く年があるってのか。
そんなの待つなんて嫌だぜ。
流れに乗っかるのは、もっと嫌だ。
去年も一昨年も参加してねぇんだから、今年だってサボる。
とうぜんだろ。
オマエらはオマエらで勝手に張り切って、盛り上がって、感傷に浸って頑張ればいい。
オレはオレで、勝手に自分の学生生活を始めるし、送るし、終わらせる。
お互い、無駄に関わろうとしないのが一番だ。
「君は、怖くないんだね」
「なにが?」
「……──ね」
「は?」
片眉を上げるオレに、ヤツはううん、と首を振る。
「そっか出ないのか、しょうがないね。クラスのみんなは……説き伏せてみるよ」
「怖いこと言うな、オマエ」
「そう?」
ほんの刹那、煩わしそうに歪んだ目を見逃さなかった。
コイツもたぶん、自分の取り巻き含め、クラスの騒がしさを想像してウンザリしたのかもしれない。
オレはそれよりも、さっきのことを聞き返したい。
変わらないね、とボソッと言ったその言葉が、妙に気に障った。
「なあ、さっきの……」
どういう意味だ、なんてことを口にしかける馬鹿なオレを止めたのは──。
「ヒナー?」
と、美人を求める取り巻きの声。
「どこだー」
「おーい?」
低い植木の向こう、騒がしい連中の声が旧校舎を回り込んで届く。
探されてる本人は一瞬、後ろから聞こえた複数の声に反応するか迷ったみたいに見える。
だけど幼い子どものような、すこしムッとした顔で踵を返すと、振り向きもせずオレの秘蔵スポットから出て行く。
ひとり、陽気な場所に向かって。
そうして、冷たく性悪な美人は、卑屈な日陰者から離れていった。
「どこにいたの? ヒナ」
目的の人物を見つけたか、一人がはしゃいで騒ぎ出す。
抑えを知らないヤツらの声は、木々の壁を余裕で飛び越えてくる。
「なんか良い場所でもあった?」
「昼寝に良さそうなところ?」
「……ここには涼みにきただけだから」
反応を求められた人気者の声は、明らかに素っ気ないのだが。
取り巻き達は賑やかすことばかり必死で、不機嫌な美人の心境など意識の外なのだろう。
持て囃されることは受け入れてるのか、ヒナのほうも傍らで騒がれるままに話を繋げた。
「でも、なんだか薄暗くて、ちょっと寒かったよ」
「なにそれ。この時期に?」
「まさか心霊スポットだったりして!」
「うちの学校、珍しくそういう噂聞かないじゃん!」
「だよね! あはは!」
ギャハギャハとうるさい声が小さくなっていき、ホッと一息吐いた瞬間。
「そういえば」
遠ざかりかけた騒々しさが、立ち止まる気配。
「マジメは? 見つかった?」
「ううん。この辺りは雑草だらけで人は入れないようになってるみたいだし」
ほんの一瞬、鼓動が跳ねる。
ヒナが、なにも言わないことに。
オレと会って話したことも、この場所のことさえ。
隠そうとしてるようで。
不気味……だな。
「へえ」
「そうなんだー」
頭を抱えたいオレを余所に、ヒナは「ははっ」と笑う。
取り巻き連中の興味なさげな反応なんて、気にも留めてない。
「別の場所にいるのかもしれないね」
そう返す声だけで、ヤツがどんな様子でいるか想像がつく。
風鈴みたいに涼しげな音を、跳ねて弾んで楽しそうに奏でてる。
きっと、他人を避けて生きてるオレを思い浮かべたんだろう。
面白がりやがって。
失礼なやつだな。
アイツらも、オレがどこにいるのか気にするくらいはしたのか。
「みんなで探せば見つかるんじゃね?」
「存在感ないから分かんねぇって」
「それより、ヒナはさー」
とりあえず話には出した感じが、妙に心地悪いが。
学校一の人気者の眼前なのもあって、サラッと無視はできないのかもな。
どうしてか、オレのほうが気まずくなってきた。
そう、ふと気になったものの、目の前に出ていって視界に入ろうなんて気はさらさら無い。
いま出て行くのは良くない。
オレが配慮することでもないけど、ここで聞こえないふりをしていたほうがいい。
話がすべて聞こえることを、ヒナにだけは知られてはいけないような気がした。
今度こそ、ほんとうに取り巻きの声が遠ざかる。
周囲に何の物音も聞こえない。
やっと静かになって、オレはまた寝転んだ。
南の上空で見下ろしてくる太陽が、美しい人間を見失って雲の向こうに隠れる。
醜悪だよ、オレはどうせ。
そのことを理解できてないのは、唯一、ヒナだけだ。
アイツが綺麗なのは、見た目だけ。
性格はオレと同じ。最悪ってなもんで。
だからって同属扱いされるのも癪だけど。
気まぐれに吹く風に乗って、グラウンドの歓声が聞こえる。
本校舎、旧校舎、木々の壁を越えてきてるから、ほんとうにちいさなざわめきだ。
メガホンの音すら、ここでは囁きに近い。
青のなかに微かな白があって、活気のいい緑にフチ取られた景色。
よけいなものは、ここにはない。
置いておく必要がないからだ。
オレの頭のなかに残ったささくれも、ここには置いていけない。
幹の隙間に見たちいさな棘すら、捨てていくことはできない。
三年になって色んなことが変わった。
ヒナの周りで、色んなものが変わった。
オレの周りも、もちろん変わっていく。
オレが見つけたものは、オレひとりのものじゃなくなっていく。
木々の向こうを覗いた瞬間の光景。
明るい陽の下、ヒナは、初めて取り巻きの前で顔を綻ばせてた。




