2、秋に腹黒
初めて集団で放課後プレイをした翌日から夏休みだったこともあり、長期休みが明けて二学期に入ったら既に、転校生とオレの関係性で囁かれた噂は収束していた。
つっても完全に終わったんじゃなく、単純に、直接その話をするヤツがいない。
クラスにいる転校生の取り巻き連中が、周りでそういう話をする生徒が減ったと言ってるのを聞いただけで、実際にはどうなったのか、たぶんどこかで囁かれてはいるんだろうが、直に言ってくる噂以外はどうでもいいから放っておいた。
つまり、オレは誰が噂してるのかを知らない。
だいたい、明るくて人懐っこく、誰にでも笑顔で接する可愛らしい──さらりとした黒髪にパッチリ二重で透き通った肌に映える桜色の唇を持つ眉目秀麗な──転校生が、夏休み前の放課後にたまたま集団から離れ、オレの隣で歩いていたからといって噂するほどの価値なんかないとは思うが。
本人もさぞ不快な思いをしただろうと休み明けに問いただしたが、相手は根っからのお人好しなのか笑みを浮かべるだけ。
でも、オレは何となく悟った。
こんな根暗でガサツで協調性のない人間が相手なんだ。嫌じゃないはずがない。
オレだって不本意なのだから。
そんな心理状態でいることが続き、オレの周りから広がった『噂』の収束は、いつしか学校全体にまで及んでいった。
これがおかしな事に、減ったのはオレとヒナの話だけじゃない。
そう、噂全般だ。
一学年上にいる秀才の話や、修学旅行先の有力候補地の話、それからテスト範囲の中り予想まで。
すべて、何もかも話すのをやめた感じ。
オレとしては要らぬ気遣いだし、言いようのない苛つきをどこにもやれず、朝からドスドスと足を踏み鳴らして歩く。学校までの通い慣れた舗装道路が痛がって軋むような音を出してる気がする。
きっと幻聴だ。知ってる。だってオレの足のほうが痛い。
最近はとうとう、秋の朝に冬の気配を感じるようになってきていた。
吹く風は冷たく、時々刺してくる。
ひょう、と木の葉が数センチ舞い上がるたびに、あちこちで寒いと喚く声が湧くが、肩を怒らせ厳めしい面で歩くオレには見向きもしない。
こうしてると、一年生だった頃の懐かしい登校時間を思い出す。この距離感を教室内に持って行けるなら、オレは約1年半ばかし残っている学生生活をすべて同学年4クラスの黒板消し係を一手に引き受けてもいいくらいだ。
寒さとは無縁の理由で不機嫌なまま、無言で自分の教室に入る。
誰もオレに声をかけないし、こっちから挨拶することもない。このままなら、オレの願望はそっくりそのまま叶う。だが転校生と関わっちまった時点で、オレの不運が軌道に乗ったのは否定しようもなかった。
窓の外では残り僅かの乾いた葉が風に揺れて枝と擦れるのが見える。
換気で指一本ぶんくらい開けられた窓から入り込んでくる外の音に混じって、教室内でも複数のヒソヒソと抑える声が湧いてくる。
この不協和音は、噂期間の再来を報せてる。
元転校生さまは密談するクラス連中の真ん中で、取り巻きと一緒に何かの話題で楽しげに話している。
こっちは、ここ最近ずっと苛々しているってのに。なんでだ。
我慢の限界を感じつつ、オレは放課後プレイに誘った張本人に向かって睨みを効かせそうになった。
「おはよう」
いつもみたく落ち着いてるのにご機嫌な様子が分かる声音で、転校生であるヒナが後ろからオレの隣までやってくる。
過ぎる机の数より圧倒的に多くの生徒が応える声は、そいつがオレの隣席に落ち着くまで続いた。
「おう。今日も人気者だな」
「……そうかな?」
本人がどこまで自覚しているのは分からないが、意図して周囲を靡かせているわけじゃないと思わせる作戦かもしれねぇから、まだ油断できない。
転校生の着席と同時に、一瞬の静寂がオレにも分かりやすく伝わる。けれど同級生の一人が転校生へと歩み出すと、政のように皆がヤツの席に集まりだす。
それでもオレまで取り囲むことはせず、あくまで転校生の机にのみ用事がある体裁を取ってきやがる。
距離感を考えてくれるのは非常にありがたいが、オレが手を伸ばしただけで届く範囲にいるってことを理解してほしい。
聞きたくなくても声が届いちまうほど近いんだ。
教室内で隣の席っつうのは、そういうもんだろ。
「あ! そういう話なら、昨日してたよね?」
ね? ……じゃねぇーよ。
案の定、気を散らして話の半分も聞いてないオレに、転校生ヒナは次の番手を回してくる。
綺麗な顔をして、オレに話を振る時の顔は少しだけ悪戯っぽい。その笑顔に騙され群がる生徒たちは、転校生の声を無視するオレに妙な視線を送ってくる。
ていうか何の話をしてたんだよ……。
「ところでさ、ヒナって今日も教科書忘れたんじゃないの?」
含み笑いをする同級生の女子に言われて、チヤホヤされる隣人は曖昧に微笑む。
「だったら、俺の隣に来るか?」
「ばーか。それだとマジメの立場ねぇじゃん」
「そうよ。折角マジメが隣の席なんだし、ヒナも頼れば良いじゃ~ん?」
「そうしたいけど、その隣席の人に嫌われてるみたいなんだ」
同級生たちは声を揃えて、転校生に同情の眼差しを向ける。
おいおい、その前提から間違っているだろ、と声を大にして言ってやりたい。
そして、オレの名は『マトメ』だ。バカヤロ。
「そういや……何で席替えしねぇんだろな?」
ちょうどオレの斜め前にいるやつが、そう口にした。その内容にはオレも同感だ。他の男子や女子も同じことを考えたらしく、そいつらは何度か首を縦に振った。
「さあ、どうしてかな。……でも席の場所を覚え直さなくて良いから、ちょっと嬉しいな」
「そりゃあ、ヒナはな!」
途端にドッと笑いが起こり、オレの周囲の音は一気に賑やかさが際立つ。
やめろ。他の席で集まってるやつまで、こっち見てんだろが。あと笑うな。
舌打ちを堪えつつ、笑いの中心にいるのが自分じゃないことにホッとしてる。オレは、自分のことを笑われるのが一番嫌いだ。だからといって、人を笑いの種にしても良い気分にはならねぇけど。
◇◇
ここらで一つ明かしておくことがある。
オレは転校生が、故意に物を忘れて戯けたふりをしているのではないかと疑う時がある。
もちろん、オレ以外の隣席の生徒に頼めば、忘れた教科書を一緒に読むことが出来る。
その人の右側に座るやつなら、喜んで見せてくれるだろうな。
互いが教科書を見られるよう机を合わせるだろうから、ちょっと肩とか当たっちまった瞬間にでも、「あ、ごめん……」なんて照れた表情を転校生が浮かべたりなんかしてみろ。
その時点でやつらのあいだに芽生えた感情が、都合のいい関係まで繋げるだろ。
そうすりゃ、オレの周りは一気に静かになる。それは、むしろありがたい展開だ。
めっちゃ良いじゃん。
そう思ってどうにか良案を絞り出したオレは、一学期の真ん中あたりで、転校生の右隣にいる生徒に提案をしてみたことがある。
直後の授業でオレの言ったとおり、忘れ物をした転校生に教科書を一緒に見ようと提案する様子をこっそり窺ってた。
だけど申し出た同級生の言葉に、ソイツは何て返したと思う?
ヤツは一言、他の人から借りたから、と微笑まで浮かべたんだぜ。
その瞬間には、特に何も感じてなかった。
単純な話、「次の機会に持ち越しか」とも考え、その同級生にもそう伝えようと思っていた。実際、誰かから借りたのは本当らしかった。
けど、オレは気付いちまったんだ。
せっかく教科書を貸すと持ちかけてくれたっつうのに、ヤツは断った後、朗らかだった顔を歪めた。
一瞬の出来事だったし、きっとオレ以外は知らない。それに、自分の新たな一面をオレに見られたことは、転校生本人も知らないだろう。
オレだって見たくて見てたわけじゃない。
カラッカラの大空に湿った匂いが滲む外を眺めていた時、ふと窓に映る教室内へ目が向いてしまっただけだ。
だから、転校生はオレに見つけられたことを知らない。
その仕草は音こそ出していないが、まるで小さく舌打ちをしているようだった。
オレは察した。
ヒナは、心の底に冷めたものを隠してる────。
◇◇
相手のそういう一面を見てから、オレが抱く転校生の印象は腹の黒い美人だ。
だからこそ、まるでオレを転校生にとっての親しい人物に置き換えて話しを合わせる同級生たちの話題に、とても不愉快な気分になる。
コイツを持て囃す取り巻き連中にも、オマエらマジかよって思ってるが言うのはやめておいた。
「あ、……じゃあ、マジメも一緒に……」
曖昧に半笑いをする男子の視線は主に、仲のいい同級生とそれらの中心にいる転校生へ向けられてる。
そして、それぞれが微妙な空気を醸し出す。
受け入れて欲しい。でも断って欲しい。出来れば関わらないで欲しい……って、これはオレの望みか。
で、何の話だったんだ?
訳は分からねぇままだが、ここで求められてる答えを選ばなかったら、オレどころか他の同級生にも迷惑がかかるんだろな。それもめんどくせぇか。
とりあえず人受けしそうな笑みを浮かべてみる。
周りは揃って気を緩め、ホッと溜め息を吐くさまはささやかな合唱だ。やつらに、ほんのちょっぴりだが同情した。
「ありがとう」
取り巻きたちの心の底から湧いた声で言われちゃ、こっちも気を遣って首を縦に振るしかない。
何を一緒にやるのかは知らねぇけど。気乗りしなかったら逃げるか。
「いいよ。別に」
それと、ちゃんと覚えとけよ。略すならオレの名は『マトメ』なんだからな。
次に間違えたらオマエの名前も間違えて覚えてやるよ。コイツらの正しい名前とか知らねぇけど。
「ところで、オレは何に誘われたんだ?」
頷く前に聞いとくことだったが、オレはやっと物事の核心に迫ったらしい。
ちょっぴりだが緊張した面持ちの同級生たちとは相反して、隣席の腹黒美人だけがひとり和やかな笑みを浮かべていた。